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長女が中3の秋、私は交通事故にあい2週間入院。入院中の記憶は、花束を抱かえた女性がドアのところに立ってる、手すりにしがみつかないとトイレにも行けなかった、ぼーっと向山を眺めながら私はなんでここにいるのだろうといつも思ってた、の三つだけ。
退院すると母がいた。夫は交通事故にあってるのに黙ってるわけにいかないから連絡したら母来仙と言う。
そして3学期終了日の翌日の夕食時。さあ食べようとしたら母は「あんたたちは、よくも勉強もしないで、学校へ行くわね!」とド~ンと机を叩いた!
恐怖で私を含め5人の顔が引きつった。その瞬間以降の記憶がない。夫が帰宅した時はどうだったのか…?
前夜は夫は出張、何時もの学期末のように通知表を見せられた私は「よく頑張りました。じゃ、おばあちゃんにもみてもらってピアノの上にのせておきなさい。明日お父さんにもみてもらおうね。」と言ったが、誰一人母に見せようとはしなかった。が、誰一人隠しもしなかった。
夜か早朝に母はこっそり4人の通知表を見て、愕然とし怒り心頭に発したのだろう。
孫が4人もいて、一番どころかオール5さえいないとは…そんな母の怒りをずっと感じながらも、その後も、子どもたちにどんな言葉をもかけることができなかった。
私が小さいころから言われ続けたこと「勉強さえしてればいいと言ってやってるのに!」「なんで1番になろうと思わないの!」
自分のことでは『勉強なんか嫌い』『1番になってなにすんの?』と思っていたが、子どもまで巻き添えにされたのに、母の怒りへの恐怖から子どもを守れなかった。
母に、母の怒りに向き合うのが、私はそれほどに怖かったのか。
カウンセリングに出会う6年前だった。
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