一人一人の方とお会いしていて
特に現状が苦しいと感じられている方と
お会いするとよく、
「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
という言葉を思い出します。
孔子の言葉だったと思うのですが、
それを自分の人生にあてはめて解釈すると、
どんなにつらいときでも
なにかがふっとひらけて、
みえてくるものがあれば、
救われる(気がします)。
それがもし一時的なものであったとしても
何もないよりは幸いです。
もちろん一時的ならば、ないほうがいい、
というとらえ方もありますが、
「永遠に苦しみから解放される」
そのことだけを望むのは自分自身に対して酷だなあと。
至上のものしか受け入れられない人生は
さぞ苦しいでしょうに。
道端の雑草にも何かを感じ取ることができる人生なんて、
なんとすばらしいことでしょうか。
ほとんどすべてのものが光り輝いてみえることでしょう。
ある聖者は、うじのわいた動物の死骸をみて
もちろん周りの人間は気味悪がったり、嫌がったのですが、
彼は「なんときれいな歯をしているんだろう」と言ったそうです。
ものごとの美しい部分をみることができるのは
その人の心のあり方なのだなあと思います。
世界をそんなふうにとらえる心のあり方を
一瞬でも垣間見ることができたらなあ。
井の中の蛙が大空を見上げるように
よくそんなことを思います。
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