「G-DRAGON」徹底解説! | ONE OF BIGBANG

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2015年に開設された韓国版wikiペディア、「ナムウィキ」ってご存知ですか???

 

韓国版なのでもちろんwikiペディアより詳し~~くKポップアイドルについて記載されていてとっても興味深いです口笛

 

 

しかも解説が最近なので古い情報や誤情報は比較的すくなそう。

 

 

 

そこでナムウィキを日本語訳して何か新しい発見があればなーって読んでみましたラブラブ

 

 

ナムウィキの訳と共に分からないところは調べて注釈をいれ、写真なども混ぜてみました!

 

また、ウィキに載っているだけでない情報も混ぜながら紹介していこうと思います^^

 

なんだか学歴やら日本でびっべんを検索した時にはあまりお目にかかることのない項目もたくさんあってすごく興味深かったですルンルン

 

 

 

 

それではさっそくナムウィキで検索~~~~

 

ポチッとクリック

 

 

一番色々出てきそうな人物にしてみましたラブラブ

 

本名:権志龍(クォン・ジヨン)

職業:歌手、シンガーソングライター、音楽プロデューサー

出生:1988年8月18日(28才),ソウル特別市

血液型:A型

星座:獅子座

干支:辰年

本貫:安東(アンドン)クォン氏

 

☆本貫とは…古代東アジアにおいて戸籍の編成(貫籍)が行われた土地のこと。転じて、氏族集団の発祥の地を指すようになった。中国・朝鮮半島では、個人の戸籍の所在地の意味を離れ、氏族集団(宗族)の始祖の発祥地として使用された。とくに大韓民国では現在も家族制度上大きな意味を持つ。

 

家族編成

父:クォン・ヨンファン、母:ハン・ギラン、姉:クォン・タミ

 

「末っ子で非常に可愛がられて育ったのはよく分かっています。両親が今の僕を誇らしく思ってくれるのが、どれほど嬉しいことか。歳を取るほど、もっと家族思いになろうとしているようです。うちの家族は、以前から父とも友達みたいで、母と姉とも友達のような関係です。家族仲が良いということが、本当に幸せだと思います。」

出典:「Kstyleスターコラム2013.4.17」

 

 

 

学歴:

スンウイ初等学校
国立伝統芸術中学校
国立伝統芸術高等学校中退
東豆川(トンドゥチョン)情報産業高等学校(現韓国文化映像高等学校)卒業
慶煕(キョンヒ)大学校PostModern音楽学科中退
国際サイバー大学校レジャースポーツ学科

 

 

子供のころから芸能活動をしてたジヨンって中卒だと思ってたので色々学校に通っててびっくりキョロキョロ

 

 

 

趣味:限定版の服や靴などの収集、スケートボード

特技:ビートボックス、ヤン・ヒョンソク社長のものまね

所属会社:YGエンターテインメント

所属グループ:ビッグバン、GD&TOP、GD X TAEYANG

ポジション:リーダー、メインラッパー

 

ここで特技にものまねと書いているほど親しいヤンサとジヨンの関係性についてラブラブ

Kstyleの「スターコラム」よりジヨンの言葉を抜粋しました!

 

 

「僕はヤン社長を100%信じて従いますが、それはヤン社長も一緒です。僕が何か要求事項を提示すると、いつも僕の意見を尊重してくださり、傍で大きな力になってくださるからです。」

 

「ヤン・ヒョンソク社長に初めて会ったのは、僕が13歳の頃でした。YGがこんなに大きくなる前に、地下の練習室とオフィスをレンタルして使っていた頃からの付き合いなので、10年は軽く超えている縁ですね。最近の「K-POPスター」でのTVでの姿より遥かに厳しくて、あまり褒めてもくれない方でした ^^ それが、社長も結婚して子供が生まれたら、本当に優しくなりました。もともと情が深い人でもありますし。」

 

最初は地下の練習室とレンタルしたオフィスから始まったYGエンタテイメント。

BIGBANGがYG社屋を建てた、という言葉は冗談でもなんでもなく事実なんですね。

 



「親しくなったら本当に面白い人です。ジョークも好きで、いたずらも大好きな人なんです。他の事務所の社長より良い環境を作ってくれるのもありますが、人間対人間として、多くの事をアドバイスしてくれます。社長も歌手をやっていたからか、僕たちの環境と不便を言わなくてもよく理解してくれ、何より僕がやることを大いに信じてくれる方です。僕の場合は、他のメンバーたちより特にそうです。V.IとD-LITEはまだ社長を怖がっている部分があるみたいです。僕が子供の頃は社長は怖い人だったんですが、20歳を超えて成人になり、社長とたまにお酒も飲みながら親しくなったようで本当に嬉しいです。社長も僕を実の家族のように接してくれます。」

 

 

デビュー:2001年大韓民国Hiphop Flex - G-Dragon

活動時期:2001年~現在

17年って芸歴長いですねびっくり

活動ジャンル:ダンス、ヒップホップ、エレクトロニカ、R&B、アコースティック、ロック

 

 

 

1.概要

 

アイドルグループBIGBAGNのリーダーで、才能あふれる様々な魅力でグループ内で最も人気がある。 ハタチの時に作った「嘘」がヒットして以降、グループでも、そしてソロでもトップの座を現在まで維持中である。最高のアイドルスターの内の一人で、多様な才能を基にデビュー10年を越えた今でも大人気を享受している。

 

基本的にラッパーだがボーカルもある程度はする方で(上手)、ダンスの実力もある。 滑らかなダンスのラインがとてもセクシーで美しく、"입덕요정(ファンになる妖精:そのグループのファンになるきっかけになるメンバーのこと)"でもある。 シンガーソングライターとしてBIGBANG、自信のソロ ヒット曲の大多数を作詞、作曲した。

 

彼の象徴的な挨拶法は仏教信者が合掌をして挨拶するまさにその姿勢だ。 公式な場でしばしば見せる。

これですね!確かによく見ます^^

 

 

2.BIGBANGでのポジション

 

BIGBANGのメイン プロデューサー。これまでほとんど全てのBIGBANGの曲に参加をしたと言っていい。

 

G-DRAGONは主に共同作曲で作業をするに際して自身の役割は主にメインメロディーを作ることだと話している。 大衆的な曲を作るアーティストで消費しやすくてアクセシビリティが高い音楽を主に作り、極端ないくつかの曲を抜いては概して叙情的なメロディを抜き取る。 このような叙情的な感性は'バカ'や'嘘'、そして'Haru Haru'でその能力を豊富に発揮するが、このような叙情性が大衆のニーズとよく合致して音源発売に一役果たしている。 「そのXX」もまたG-DRAGON特有の叙情的なメロディラインを見せる。

 

このようなシンガーソングライターとしての顔でBIGBANGの"実力派アイドル"というイメージにあたって最も核心的な機能をしている存在。グループ活動以外での多大な働きも有名だが、作詞・作曲は基本でコーディネートや舞台構成、近頃はコンサートディレクティングまでするという。

 

 

 

 

 

3.デビュー前

 

幼い頃から多くの放送経験を積み重ねた。 その中から代表的なものを取り上げると、まず「ポポポ(※子供番組)」があって、何よりYGエンターテインメント練習生キャスティングの決定的な原因になったルーラのMVに'子供ルーラ'で参加した経歴がある。 また、息子の才能に早くから気づいた母親がG-DRAGONを連れていって各種オーディションと大会にしばしば参加させたという。

右側が子供ルーラ(当時のG-DRAGON)。

左側がルーラ…芸能界黒歴史の中の一つとして残った希代の児童性犯罪者であり変態であるコ・ヨンウク。二人の変わった地位と位置を考えれば意味深長な写真である。

 

 

※実はこのルーラ(コ・ヨンウク)という人物、何度も未成年に対するわいせつ行為で逮捕されてるんですね…。ジ、ジヨンなんという危険自分物の隣に…。ちなみに「稀代の児童性犯罪者」はそのまんま書いてありました。w

 

 

本格的にYGに足を踏み入れることになったきっかけはX-Teenのイ・ヒソンがプロデュースした「2001大韓民国アルバム」に参加してのこと。 公式では初めての音楽活動でもあるこのアルバムでG-DRAGONは13才ラッパーという特異さで多くの関心を集め、タイトル曲である'Realize Yourself'の参加だけでは飽き足らず遠慮なく'G-Dragon'という題名の曲まで入れた。 直接歌詞を書くことはしていたがさまざまな面で不十分な点も多くラップ作りは他の人々も助けたとか。とにかくこのアルバムを契機にイ・ヒソンがG-DRAGONにYG練習生オーディションを薦め、YGに練習生に入ることになる。

 

投稿者:vkkim様

 

BIGBANGの自叙伝である'世の中に君を大声を張り上げて!'を読んでみればG-DRAGONが小学校の時(13才)から時々作曲の授業を受けていたという話がある。 「明日までに歌詞に曲付けてきて」、「これサンプリングしてきて」という形でハードトレーニングを受けた。

 

13歳の少年に課す宿題じゃないですねべったん

 

 

BIGBANGというチームが確定する前にはテヤンと共にデュオで'GDYB'というチーム名を構想したこともある。 だが、後にBIGBANGというグループでデビューをするプロジェクトに決定され、G-DRAGONはこれに対して不満が多かったという。 自身は何年もの間デビューのために練習したが他のメンバー、特にスンリは数か月間しか練習をせず一緒にデビューをしなければならないというのが理由であった。

 

現在はまったく問題なくグループ活動をしております。

カミソリ期のジヨンは不満爆発だったみたいですが!!w

これについては私の過去の記事でも取り上げてますのでよろしければ…▼

 

LOSERの勢いがとまりません…!

2015.5.22の記事

 

 

 

 

4.デビュー後の活動

 

デビュー初期からプロデューサーの役割を受け持ってきたが、YGのメインプロデューサーであったフェリーや「勇敢な兄弟」の助けをたくさん受けたという。 そしてできた歌が「嘘」だ。 本来G-DRAGONのソロ曲として作曲をしたがヤン・ヒョンソクが聞いてBIGBANGの曲に決めたという話は有名だ。 以後「B to the I to the BANGBANG」で有名な「最後の挨拶」や「Haru Haru」などにも参加してBIGBANGの興行を導いていった。

 

 

2009年にソロ1集であるHeartbreakerを発売する。 このアルバムはヒットに成功するが発売と同時に色々な収録曲が盗作論議を体験した。 この時G-DRAGONがこの調子では本当に不死鳥になるのでは(...)と話されるほどに多くの悪口を言われた。

アイドル自ら楽曲制作を行うのは今ではメジャーなこと。

でも当時は「アイドルに本当に書けるのか」と活動自体を悪く疑われるような時代でした…。

 

 

2014年MAMAでG-DRAGONがGD×TAEYANGの舞台のイントロで行った「Show Me The Money? Don't even know much I have」というラップがヒップホップ ファン達からも大きな称賛を受けた。

 

授賞式の本質を失って参加賞のようにむやみに賞を与えるというMAMAの形態を、MAMAのメイン舞台でまともに皮肉った。

 

2015年BIGBANGの活発な活動で認知度が再び上昇、韓国Gallup(世論調査機関)が選定した今年のアイドル2位に上がったが、驚くべきことは10代・20代の男性が投票した順位で全て2位を記録したという点だ。それだけ活動する男性アイドルの中では圧倒的な支持を得ていると見ていい。

☆ちなみにテヤンもまたGDに引き続き男、女すべてのGallup順位に10位中に入った。

 

 

5.ディスコグラフィー及び6.コンサートは省略。

 

 

 

7.その他

 

 

・世界的な歌手ジャスティン・ビーバーがG-DRAGONについて言及した。 PSYとG-DRAGONは非常に素晴らしい才能を持っていると絶賛。

 

・「無限に挑戦」の・西海岸(ソヘアン)高速道路歌謡祭ではチョン・ヒョンドンに念願の(?) 食い物にされて一生懸命無視した。 有名な"~~~見ているか?"という流行語もこの特集でチョン・ヒョンドンが駆使した"G-DRAGON見ているか?"から生まれた。

 

パク・ミョンスとチームを結成。ただし海外ツアーで多忙なためパク・ミョンスが直接日本まで訪ねて行くなどの誠意を見せた。 二人が協力して作った「浮気しちゃった」という曲は歌謡祭で1位、同時にすべての音源サイト1位を獲得。

 

 

 

 

・車が非常に好きなようだ。ベントレーコンチネンタルに乗っていたが2013年にランボルギーニアヴェンタドールに変えた。

 

 

・YG社屋に出勤する際乗って通う姿がしばしば目撃されていて、2013年に「WHO YOU」のMVを撮影する時に小道具として使ったりもした。 最近の記事で写真を見れば現在はランボルギーニアヴェンタドールにチューニングをして乗っているようだ。 ランボルギーニの処分の有無は分からないがメンナレン650Sも所有していると分かった。

 

 

 

・自らのファンに非常に上手く対応する。 時々舞台から降りてファンサービスもする。 2013年の握手会の映像が神対応で有名。

投稿者:권지용서포터즈(GD_SUPPORTERS)様

 

 

・清海鎮(チョンヘジン)海運セウォル号沈没事故の次の日、2014年4月17日、搭乗者の無事帰還を祈ってTwitterに残したツイートが2014年大韓民国のゴールデンツイートに選ばれた。

 

 

 

・ファンの間ではネーミングセンスがないことで知られている。
BIGBANGの代表曲「嘘」も原題は「嘘っぱち(韓国語で「뻥」)」だったという。「Strong Baby」は「Hottest In The World」であり、「一日一日」は「まあまあ(韓国語で「그럭저럭」)だったとか(...)

 

こんなにセンスがいいジヨンなのにネーミングセンスないの可愛すぎるwww

 

・性格は意外にも非常に落ち着いている方で悩みも多い。 派手な外見や音楽のために軽い性格だろうと考える人々も多いが、実際はチーム内のリーダーらしく真面目なポジション。特にBIGBANGが共に出演すれば音楽の話や仕事の話を最も多くするメンバーでもあり、話をする時は頭の中で十分に噛み砕いてから、というスタイル。たくさん笑わせないが時々ポテンシャルが炸裂するタイプ。メンバーの中でいたずら心が多いメンバーはT.O.Pとテソンであり、テヤンはそのまま口数が少なく、進行はおおむねスンリがする。

 

ジヨンのお姉さんも「弟は無口だ」って言ってましたもんね~~~かわいいラブ

 

 

・G-DRAGONが今のイメージを持つようになるまでは実際相当な過程があった。 2006年デビュー直後から2011年初めまでは才能溢れる明るい少年のイメージが強かったとすれば、2012年初めにALIVEというアルバムでカムバックした時にははるかに反抗児的な感じが強くなっていた。 このような感じは2013年に曲を発表した時最高潮に達したが2014年少しの間の空白期が過ぎた後2015年ビッグバン完全体がMADEアルバムを持ち出した時には重厚なことはもちろん以前と違った派手さまで備えた姿を見せてくれた。 今の派手で、都市的で、先駆的で、洗練美溢れるイメージはこの時期に取りそろったということができる。

 

 

7.1.タトゥー

 

身体にタトゥーが多いことで有名。



2016年現在の上写真↑より更にタトゥーが増えた。

 

 

 

 

 

8.ファッショニスタ

 

G-DRAGONは卓越したファッション感覚でファッション界で最も大きな注目をあびている歌手だ。

 

 デビュー初期にはヒップホップグループを指向して'サクン'というブランド(当時女子高生たちが歯の描かれたマスクを使ったり歯の絵のバックパックを街中で持っていたがこの流行の最初がBIGBANG)を日の当たる場所に引き上げ、この他にも韓国であらゆるストリートブランドの名前を広く知らしめた。

 

洗練されたストリートブランドとBIGBANGのイメージがよく合致して一つの'BIGBANGスタイル'を作った。 この一番の貢献者がスタイリスト知恩とG-DRAGONだ。インタビューを見れば自分が先に着たい服を知恩に話して知恩と相談してトレンドに合うのか、あるいは先んじたのか、遅れているのか確認して服を購入するという。

 

 

G-DRAGONのファッションが注目され始めたのは彼の空港ファッションが知られ始めた後からだ。 当時有名なファンがG-DRAGONの空港ファッションを撮って有名になった。 空港ファッションを見れば庶民は近づくことのできないあらゆる名品を振りかざして出てくるのにその色感や洗練美が普通でない。 巷ではプロが選んだ服を着て出てくるのでは、と当てこする人々もいるが、それならなぜ他のメンバーはG-DRAGON水準の注目をあびることができないのか(...)。

 

わざわざ空港ファッションまでスタイリストがいるわけもないだろうに、なんでも注目を浴びると悪口言いたくなる人がいるということですね笑い泣き

 

 

実はG-DRAGONはアイテムを選ぶ能力が優れているのもあるが、ジャンルを問わず服を着ることができる身体と顔もファッショニスタとして指摘されるのに大きい比重を占める。 背が低くてやせた体形だからインタビューでも気兼ねなくレディースを着るというほど女性服もしばしば着て出る。

 

2010年シャネルVIPパーティーでもレディースのジャケットを着てまともに栄えた(...)。

 

ブランドたちも協賛に列を作り、最近ではエディスリマンと連絡がついてSaint Laurent Parisの服をしばしば着て出る。 現在回っているワールドツアーではSaint Laurent Parisを着て舞台に上がっている。 エディスリマンはその他にもG-DRAGONに自分の服を着てくれて有難いということでハングルで親密な手紙を送った。

 

 

会社として「G-DRAGONの恩恵だ」と正確に見るのはやはり広告モデルで採用した時だ。

 

G-DRAGONが空港で海外限定版mcmカバンを着用した後問い合わせ電話が急増して韓国で販売をした時は一時間後に完売し、そのmcmカバンはG-DRAGONが空港に背負って出てきたことで、限定版での生産になった。 ビッグバンがNIIモデルだった時入庫した服はみな完売となり、最近広告を出すBSXはG-DRAGONが着用したフードが発売一日で全国完売となり気を吐いた。

 

 

 

2010年クロムハーツで全身を包み登場した時、kzブレスレットは韓国、香港、日本全域で完売しNY支社に直接問い合わせて注文しなければならず、その上で3ヶ月待った後に受け取れるという事態に陥った。

 

 

2012年にはジバンシィで最初に韓国人のジバンシィ ミューズとしてG-DRAGONが選ばれ、bazaarの雑誌で画報を撮影し、続けて2012年ビッグバン ワールドツアーではずっとジバンシィから協賛を受けた。 今はもうありふれているが、当時は限定発売であったDr.Dreのヘッドフォンを流行させた張本人でもある。

 

 

 

シャネルコレクションおよびショーにはほとんど毎年招待されて参加していて、Saint Laurent、トム・ブラウンなどのファッションブランドショーに招待されるなどファッションアイコンとしての地位を固めていっている。

 

 

 

 

9.評価

 

 

G-DRAGONは自らBIGBANGの曲を作詞作曲するだけでなく、小学生の頃からずっとアンダーグラウンドで音楽活動をしてきた人なので多くの人々に「天才(天災)」、「持って生まれた」、「実力派」と認識されているが、実際はたいへんな努力家で見えない所でも練習を怠らないということを徹底している。 このために同僚の間でも称賛が止まず、共に音楽活動をしたスタッフもG-DRAGONの性格や態度に対して称賛一色だ。

 

 

・アイドル著作権数1位。

 

 

 

さて、ホントにこれwiki???

 

ってぐらい非常~~~~に濃い内容でしたね!!

 

正直めっちゃ省略もしました。

そのぐらい日本では書かれることのない濃い内容でしたグラサンハート

 

 

これで韓国での彼のイメージや評価がなんとなく正確にわかることができました!!!!

 

 

彼が打ち立てた数々の伝説、やっぱり調べてて楽しい~~~

 

 

これからもカリスマ溢れる、でもバラエティに出ると笑顔がキュートなG-DRAGONとしてお茶の間で愛されてほしいです。

 

 

当初は攻撃的なイメージが先だって特に年配の方の間では受け入れづらかったようですが、デビュー10年も越え、彼がそれなりに年齢を重ね、様々な面を見せたことで世間の印象も大きく変わったようです。

 

 

 

これからも様々なシーンで「アイコン」としてトップに君臨し続けてくれますように…キラキラ

 

 

 

 

 

ナムウィキ、ほんとにこまかく書いてくれてるので今後いろんな人を調べたいと思います!

 

以上、りこぴんでした!!!!!

 

 

 

◆参考◆

 

ナムウィキ

https://namu.wiki/w/

 

 

Kstyle

http://news.kstyle.com/