自分は入学当初、いやそれ以前から
日本代表になって有名になる
という夢があった。
分野はなんでもよかった。
自分に合う競技で世界と戦って、皆から注目されたい。
そんな名声欲が自分の中にあった。
そんなある日、先輩の誘いでラクロス部の新歓に訪れた。
そこで初めて千葉大ラクロス部のPVを目にし、そのかっこよさに心打たれた。
「これがラクロスか...!!」
何とも言えない強い感情が心の中で芽生え、帰るやいなやラクロスの関連動画を片っ端から見続けた。
気づけば...
日付が変わっていた......。
こんな出会いは初めてだった。
でも出会いはそれだけで終わらなかった。
てるさん、筒井さんという
日の丸を背負う人が2人もいた。
自分が目指していた日本代表がすぐ目の前にいた。
自分ももしかしたらと思い、ラクロス部への入部を決めた。
しかし現実はそう甘くなかった。
初めこそどんどん上達して楽しくてしようがなかったものの、段々と上手くなっている実感がなくなってきた。
自分はラクロスには向いていないのではないか
種目を変えた方がいいのではないか。
そう考える様にさえなった。
その道の一流として結果を出さなければその競技スポーツをやる意味がない。
自分の考えはそうだった。
ただ執拗に「勝ち」「成果」「結果」を求めていた。
そしてある時ふと疑問に思った。
もしかしたら自分にとってラクロスは自分が有名になるための「ツール」でしかないのではないか?
ラクロスという「スポーツ」を自分の名声のために利用する「ツール」としてしか捉えていないのではないか?
そんな中、てるさんや筒井さんが練習中、終始笑顔なのが見えた。
練習中に何故そんなに笑っていられるのか?
一瞬そう思ったが、良く見るとそうではなかった。
てるさんや筒井さんは明らかにラクロスを「楽しんで」いた。
それは単なる娯楽、快楽としてではなく、単純にラクロスの本質的なものを楽しんでいるように見えた。
自分にはそれが無かった。
ラクロスの競技性そのものの魅力、楽しさを見い出せていなかった。
だから何においても面白くなくなり、ラクロスへの情熱が冷めてしまっているのではないかと思った。
入部初期の頃は「上達すること」が自分の中でのモチベーションとなり、毎日が楽しかっただけであった。
ラクロスそのものの楽しさ、
魅力から来るモチベーションはなかった。
今の自分は、「ラクロスのどこが魅力的か?」という問に正直な答えを出せない
当たり前だ。
今までラクロスを「ツール」としてしか捉えられていなかったのだから。
ラクロスの楽しさ、魅力を知らない奴がラクロスをやる意味がどこにある?
魅力を見出せずに、ただ名声のために勝負に勝っても、自分でも心の中で「なにか物足りない」と感じるし、負けた相手にも失礼である。
ただ苦しいだけなら別にラクロスでなくてもいい。
ただ有名になるだけなら別にラクロスでなくてもいい。
そこにラクロスならではの魅力があるから、ラクロスにしかない楽しみがあるから、今の先輩や同期はラクロスを続けているし、OBの中でもクラブチームで活動している方がいる。
新歓の時、こみ上げてきたあの感情は何だったのだろうか?
てるさんや筒井さんは何故あんなにも楽しそうにラクロスをしていたのか?
きっと答えがある。
絶対に見つけだす...
見つけ出して、FINAL4で最高の笑顔を見せてやる!
「これがラクロスの醍醐味だ!」
ということを。
新2年 AT 菊池開成