パンダノン島訪問、続きです。

写真左側、
白い屋根は軍団が「コテージ」と呼ぶ建物、
その右側、三ケ月型にゆるくカーブした砂浜です。
島民の子供たちは、コテージから先のリゾートエリアへは行けません。
ボクが初めて訪問した8年前は行けましたが。
12:45
コテージ反対側の島民ゾーンへと砂浜を歩きます。
足元にはマーケットで15ペソで買った麦わら帽子の影が、
半歩先を進みます。
両手を伸ばすと壁に触れるほどの路地を200m入ると

異様なまでに「浮いている」、
ラッシュガード姿(笑
ここが入り口ドア「おじゃまします」と、外は眩しく中は薄暗く、
サングラスを外しても目が慣れるのにしばらくかかります。
この島は電気がきてなく、島の発電機で午後6~10時まで、
電灯1箇所につき10ペソ/日(実質4時間)で受電。
多くの家は灯油ランプか、車のバッテリーで、
余裕がある家はエンジン発電機を回します。
義兄、キャプテンのお母さんは、2階から下へ降ろされたベッドで、
一番下の娘と話しをしていたようで、少し弱ってはいるものの、
3週間前セブ島の病院で会った時より元気そうです。
チャーミングな妻「調子どうですか?」
お母さん「まだ、ちょっとねぇ」
チャーミングな妻「早く元気になって島中歩き廻ってね」
と、にわかに部屋が暗くなり、
ドア枠が下から上まで、顔、顔、顔、で埋まってます(笑
隣近所の小さな子供たち、赤ちゃんを抱いたお母さん、
おじいさん、バスケットボールシャツの兄ちゃんが。
やっとオムツがとれたようなオカッパの女の子が、
すき間へ頭を食い込ませて、ジッと見つめてます。
変化の少ない島の暮らしで、変化が「やって来た」ようです。
ボク「 Maayong Udto /こんにちは」、
数少ないボキャブラリーから。
みんな、キョトンとして互いに見つめ合い、
妻「こんにちは、って言ったダヨ」
ドア枠の中の顔がニコニコし、クスクスと、ちょっぴり恥かしいダヨ。
奥のコンクリート土間、15、6畳ほどの部屋では、
上の娘が2人の子供とお昼ゴハン。
オカマのエンジェルはそこのプラスチックスツールへ腰掛け、
子供たちとオシャベリ、よく来るそうです。
一段高くなった、海側張り出しに開けられた窓、

セブ島がはっきりと見え、大きなビルはそれと判ります。
暗くて見えませんが、右側に油まみれのエンジン発電機とスパナ類。
ゴハンを食べている傍には、

「コンニチハ~」
ですが、
数ヶ月後には我々のゴハンになり、
目を見てはいけません、人間の目に似ていますから。
目は不思議な器官で見るためだけではなく、喜怒哀楽がはっきり現れ、
それを見たら、我々のココロがさらに大きく揺さぶられる時もあります。
この部屋には大きな壺があり、雨水を貯めるそうです(撮り忘れました)
錆びたブリキ板を雨どい代わりにへの字に折り曲げ、
直径1m はある大水瓶へと流れ落ちるように。
ふと、どのドア枠よりも太いので、
ボク「どうやって入れたの?」
上の娘「ここで作ったダヨ」と、部屋の床を指差し、
ボク「マヂカルぅ!」、口はポカンと開いたまま(笑)
この島は井戸水が使えず、水道もなく、雨水か、
ボホール島から20㍑入の黒いポリタンクで15㌷で買うかです。
洗濯、炊事もその水、水は貴重なんです。
10年前、援助団体の支援プロジェクトで、
各家庭にセメント製の水瓶がプレゼントされたそうです。
出張製作水瓶の雨水を飲むのは島民2/3程度、
1/3は浄水器を通した水を買って飲みます、島人口は6~7,000人。
つい「もし、自分が住んだら」などと、一つ一つの不便や、
安全かどうかを考えてしまいます。
隣近所の子供軍団が待ち受けるドアから出ると、
眩しさと、近寄って来る軍団と、赤ちゃんを抱いたお母さん。
お母さんに抱かれた赤ちゃんが、ボクの腕を掴みます。
その力、
なかなかのものです。
もう一回、お付き合いを。