チエでつながる, ワザでつながる、ココロでつながる、価値を生みだす           ~ 物語思考が世界をかえる -22ページ目

チエでつながる, ワザでつながる、ココロでつながる、価値を生みだす           ~ 物語思考が世界をかえる

この世に生まれて間もなく、人は「ものがたり」と出会い、そこで広い世界とのつながりを作ります。このblogでは、「ものがたり」と共にある人の可能性を探求していきます。




今回のテーマ”暗黙知”について、ハンガリー人の哲学者である

マイケル・ポランニーは、こんな例で説明しています。



“ある人の顔を知っているとき、私たちは百万人の中からでも見分ける

ことが出来る。 しかし、通常私たちは、どのようにして自分が知っている

顔を見分けるのか分からない。だからこうした認知の多くは言葉に

置き換えられないのだ。“



この“言葉に置き換えられない”知を彼は“暗黙知”と呼びました。



今回は、私たちが日々使い慣れている箸を使って、

自分たちが持っている“暗黙知”をまず意識化するところから始めました。






そしてこのワークから、暗黙知が働く際の「構造」の説明へと

進み、「近位項」と「遠位項」、「内在化」など、ポランニーによって

提唱された概念を見ていきました。





この部分の説明を準備はしていたのですが、かなり分かりにくかった様です。 

実際“暗黙知”の「構造」を説明している間、

参加者の頭の中に沢山の???がたっているのが分かりました。



壇上に立っていて“こりゃ、やばい”っていう感じです。



そもそも「言葉に置き換えられない」と定義されている“暗黙知”を

言葉で説明しようとしたことが、間違っていました。



そこで説明の方向は見切って、参加者の皆様から

「後輩に伝えたいと思うけれど、それがうまくできない」

事例を出して頂き、そこに「構造」の話を載せてみたところ、

やっと参加者の顔に“なるほど”マークが出始めました。 


ほっと一息です。


やはり参加者の側にあることを引き出して、そこに乗っかっていくことが大切なのだと再認識しました。



“暗黙知”は「仕事知」の中核を占めているもので、

仕事の中味が違えば異なる“暗黙知”を発達させることになります。 



中身が異なる故に“暗黙知”と聞くと、どう扱っていいのか見当がつかない、

と思いがちですが、今回示した様な「構造」を理解することで、

方向は少し見えてきます。 


        




とはいえ、“理解できた”というレベルまでは未だ相当の距離を

感じました。 

色々と改善点が分かり、講師としての収穫は極めて大でした。



以下、参加されたみなさんの感想(抜粋)です。




とても面白い視点です。 が、よく分からない。

説明の内容はわかっていたけれどモヤモヤしていた。

みなさんの事例を聞くことで何となくイメージがわきました。

内在化のお話に共感しました。

内在化と包括的全体の違いが分かりにくかったですが、暗黙知を知るきっかけとして大事だと思いました。

奥が深いもの。今後が楽しみです。


第二回は4月16日(木)に開催します。内容も徐々に成長させていきたいと思います。 

詳細は、http://kokucheese.com/event/index/279272/

をご覧ください。



















ベテランの知が、組織内部で次の世代にうまく伝わらない。

その原因について、いくつか説明してきました。



ここまでは「イエモデル」の崩壊とか「仕事知」自体の変化など、

社会構造側の変化に焦点を当ててきましたが、



実はベテラン自身、その「個」に帰せられる部分にも

伝承を困難にしている大きな原因があります。



一言で云うなら自分の“知”に対する愛着が強すぎるのです。



「仕事知」は、自分の職業人生を写しているものであり、

自身の苦労と共に築いてきたものである以上、

これはある程度やむを得ないことではあります。



自らがその実践を通して獲得してきた知は“本質的”で、

“悩み苦しんで始めて手に入れられる貴重な知”です。



その貴重な“知”を、自ら苦労してきていない若手に

ただあげてしまうのは、

気持ちの上で簡単に納得できないものでもあります。



だからその重みを持って後輩・部下に伝えようとするのですが、

受け取る側にその重みは、ほとんど伝わりません。



ベテランが大事に大事に抱えてきた知識の多くが、

若手にとっては大して特別なものでないし、新しくもない。



一般論として既に知っているか、

知識は無くても自分で検索すれば、

いつでも取り出せる様なものであることが、少なくないのです。 



だから伝える側が期待するほどには喜ばれません。

むしろ時間対効果で言えば、

ロスとさえ感じられるリスクもあります。



伝える側から見れば、“知”への思いが詰まっているほどに

加えたい情報が膨らみ、

自分のストーリーや、自己の信条、考え方も伝えたくなります。

そしてしばしば、精神論にまで進みがちです。



大事なものが沢山詰まっているので、無理もないのですが、

残念ながら受け取る側からみて大部分が、

必ずしも魅力を感じるものではないのです。



では、ベテランから伝承すべきことが無いかというと、

勿論そうではありません。



ITリテラシーは低く、ネットワークへのアクセス力、情報検索能力

などで劣っていたとしても、課題(問題)の解決力、

特に複雑に絡んだケースの解決力、事態を動かす力となれば、



今の40代、50代と下の世代では、まだ相当の開きが

(平均して)あると私は思います。 



伝承が必要とされているのは、まさにそこの部分です。



なので、40代、50代以上のベテランに求められるのは、

下の世代がよりハイレベルの課題を自ら解決出来るように

サポートしてあげること。 



教える、というより、自ら考え自ら動いて、

解を導ける様にしてあげることです。

そして、そのプロセスに関わる中に“伝承”が起きることを

意識しておくことが大切なのです。




次回に続けます。






【「仕事知」探求セミナーのご案内】




「仕事知」について探求するミニセミナーです。 来週に迫ってまいりました。

今回は“暗黙知”について体感ワークとレクチャー、ディスカッションを通じて

探求していきます。 「仕事知」の獲得、伝承、創発等に関心のある方は、是非

ご一緒に探求しましょう。



日時: 3月26日(木)19:15 ~

場所: 東京ハートカフェ(JR高田馬場より約10分、メトロ西早稲田より約3分)

参加費: 1,000円(当日会場にて集めます)

詳細及びお申し込みはこくちーずよりお願いします。

http://kokucheese.com/event/index/268706/



お待ちしております。

かつて機能していたOJTが、昨今うまくいかなくなった。

そういう話を時々聞きます。



うまくいかないのは、世代間のコミュニケーションが悪いからで、

そこのところを何とかしたいのだが、と



そういう相談を何度か受けたことがありました。



確かにOJTというのは昔からあって、それは世代を超えて

仕事の知を伝える主要な手段でしたが、



自分がやっていけそうだと、自信が持てるようになったのは、

OJTよりむしろ、実践をする中で色々困難を克服したり、

苦しんで大きな課題をやりきった時だったと思います。



自分が成長する過程では、先輩にアドバイスを受けたり、

逆に先輩の失敗例を目の当たりにして教訓とさせてもらったり、

背伸びして苦しくなった時に、上司にうまく助けてもらったりと、



改めて思い出せば、そういうことが結構ありました。



しかしあれはOJTではなくて、自分を取り囲む人間関係。



仕事が終わると、

ほとんど毎日先輩や上司と飲みながらその日を振り返る様な、

ONOFFの中間部分で広大に広がっていた

かなり密(でちょっと窮屈)な人間関係のあり方の影響が

大きかったのだと思います。



OJTの定義は様々ですが、ひとつ確実なところは、

教える内容についてリーダーが“答えを持っている”ことです。



つまり後輩から“どうしたらいいですか?”と聞かれたら、

“それはね・・・だよ”と先輩が答えたり、

やってみせられる内容であること。 



つまり、そのレベルの仕事知であれば、OJTは有効です。



しかし会社に入って2-3年もすると、そういう仕事は僅かになり、

不確実で一品料理的なものが大幅に増えてきます。



ああしたらどうか、いやこうじゃないか。こういうやり方もある、と

色々探りながら、目的達成に向けて試行錯誤を重ねていく

時間比率が大きくなってきます。



不確実性の高い状況から様々な情報を集め、データを揃えて仮説をたて、

その精度を高めていきながら、課題解決に迫るという、

そんな動き方になってきます。



残念ながらこのレベルになると、OJTはほとんど機能しません。 



“かつて機能していたOJT”というのは幻想であって、

実は職場コミュニティーの知を集める形で、

その仮説づくりや情報収集が機能し、

その産物として人も育っていたのだと、私は解釈しています。



‘90年代前半までは健在だった“イエモデル”の職場は

そんな機能をかなり強く持っていました。 



だから入社2-3年目の新人でも、割とこまめに挑戦の機会があったし、

非公式だが多様なサポートを受けることが出来ました。



先輩が困った困ったと悩む姿を見ながら妙に安心したり、

そこに一つのモデルを見ながら、自分のケースを考える機会も

ありました。



“イエモデルの崩壊”は、こうした共同体型の学習機会を減少させ、

先輩がもつ大量の“暗黙知”を後輩に流し込む

殆ど唯一の“装置”を大幅に機能低下させてしまったのだと感じています。





次回に続けます。

【セミナー開催のお知らせ】




真門こと依田真門主宰のミニセミナー

仕事知の継承、獲得、共創を考えるミニセミナー を開催します。



来月3月26日(木) 午後7時15分~

場所は高田馬場明治通り近くの“東京ハートカフェ”です。

組織内の“知”の継承問題に関心をお持ちの方は、是非いらしてください。 



詳細&お申し込みは下記よりお願いします。

http://kokucheese.com/event/index/268706/


この機会にお会いできれば嬉しいです。 お待ちしております。


‘90年代のバブル崩壊以前に

社会人としての教育を受けたタテ社会世代と

世紀の変わり目以降に生まれてきたヨコ社会世代。



両者に間には仕事観の差異、そこからくる仕事の進め方の差異があって、

コミュニケーションが表面的になる傾向がある、という話を

前の回では書きました。



“失われた10年”が生んだ世代間ギャップの問題も相まって、

様々な“知”の移転がいま非常に困難な状況になっています。



困難になってきた原因は大きく4つに集約されると、私は考えています。



第一は、共同体意識の衰退と個人主義の進展です。


タテ社会のひとつの特徴は、仕事の単位である“課”や“係”

といった“職場”が「イエ」の如く機能していたことでした。



そこに配属されると、ボンヤリながらそのイエを守る一員という

役割を担うことになり、周囲も皆で新人を“一人前に”育てる

“家族的な”関わり方をしていました。 



今も職場によってはこうした雰囲気が残っていますが、

全般的に言えばイエ意識は弱まり、

知を繋いでいく潜在的な動機づけが

与える側も受ける側も希薄になっています。



そんなことから今の時代を私は、“ポストイエモデル”と呼んでいます。



“ポストイエモデル”時代とは、

モノゴトを考える視点が職場という「集団」主体から「個」主体に

移行する時代です。



こうなってきた背景は数多くありますが、直接的には雇用制度の変化、

年功制の廃止と成果主義の導入が大きく効いています。



二点目は、職場メンバー間、特に先輩・後輩間の接点の減少。

かつては2人、3人で営業周りをしたり、打ち合わせに出かけていたものが、

競争の激化とコスト主義の強化、仕事場の遠隔化などで、

個別業務化がどんどん進みました。 



仕事の知の重要な部分は、実務に密着した“文脈知”であるにも拘らず、

日常的に“知”をつなげる機会が、大幅に減ってしまったのです。



そして第三は、伝承するべき知識内容の変化です。 

グローバル化とIT化の影響がモロに出ているところです。 



例えば多くの製造業では、生産工場が海外に出てしまったことで、

国内で働く社員の多くが“生産現場を見ないまま”モノを売ったり、

製品開発の打ち合わせをすることになりました。



かつて上司から“現場を見ろ”と言われてきた人たちが、

後輩に向けて同じことを言えなくなってしまったのです。



またIT化の影響は、仕事の“知”の中味を根本から変えてきており、

ベテランの“知”が、元のままでは“殆ど役に立たない”ものとなる

可能性を大幅に高めました。



ベテランが長年培ってきた貴重な“知”が、そのままでは“伝承価値”

が殆どないものになってきたのです。



四番目は、こうした大きな変化の中にあって、“知”を伝えていく

方法論が殆ど未開拓なことです。



昨今よくOJT(=On the Job Training)が機能しなくなった、

もっとOJTリーダーのスキルを高めなければいけない、

という声を聞きますが、



OJTが機能するのは、入社1-2年目の新人レベルまでで、

企業の中核にある複雑な業務レベルを伝承するには、

ベテランの持つ“暗黙知”を伝える方法論が必要です。



現状大部分の職場で、そこのところは“個人の資質に委ねられており、

その分、当たり外れ的な部分がどうしても強く残ってしまうのです。




次回以降、更に続けます。




バブル崩壊後に日本がとってきた労務政策と’90年代後半の失われた10年。 

その時期に並行して進んだIT化、グローバル化。



この流れの中でかつてのタテ社会、その基盤にあった先輩・後輩、親分・子分的

関係がルーズなものになり、



逆に高いITリテラシーや素早い検索力、ネットワーキング力、情報の編集力

をもつ、“ヨコ社会”型のスーパービジネスマン(ウーマン)が、

世紀の変わり目あたりから急速に台頭してきました。


タテ社会世代(40代半ば以上)とヨコ社会世代(30代半ば以下)の間は

多くの組織が採用を抑えた“失われた10年”に当たっており、両者をつなぐ

人材が少ないことも、世代間ギャップを広げるひとつの要因になっています。



タテ社会型とヨコ社会型の違いを単純化して言えば、

アナログとデジタルの違い。 

人を介した非データ型情報依存と人を介さないデータ型情報依存。 

暗黙知志向と形式知志向。 



両者には、信頼を寄せる情報の志向性に大きな違いがあります。



そしてその違いが「仕事の仕方」にも反映されてきます。



タテ社会世代は、人を介して情報を得たり仕事を覚えたりするのが

“あたりまえ”なので、行動も“やってみる”、“聞きに行く”、“会いにいく”

が重視されます。



一方ヨコ社会世代にとっては、ネットから情報を得たりネットワークを

通じて信頼できる情報ソースにアクセスしたり、ライトパースンを突き止める事が、

正しい仕事のやり方、となります。



個別に見れば、タテ社会世代にも変化への適応度が高い人がかなりいるし、

若くてもタテ社会の規範の強い人もいるわけですが、



社会全体でみると世代間ギャップは無視し得ない大きなインパクトを

それぞれの組織に与えていると思えます。



両者の間にある“仕事観”の差異は、トラブルが起きたり

やりとりの抜け漏れが発覚したりした場合に、問題を難しくする要因です。



双方とも、ある意味それが直感的に分かる為、

コミュニケーションは“浅い”レベルに留められる傾向が現れます。

“本質に迫る”会話にはならない訳です。



関係は悪くないのに「仕事知」が伝わらない、という状況は、

結局コミュニケーションが希薄だからなのだと、私は解釈しています。




次回に続きます。