『ライフ・トランジッション・インタビュー』の第一回目は、
昨年10月からTBS Podcast 「聞けば見えてくるラジオ」の
パーソナリティーを担当されている石井健介さん(44歳)。
8年前のある日、朝起きたら目が見えなくなっていた、という
衝撃的な体験を経て、
現在はCalm セッションという独自のセラピスト活動をしつつ、
ラジオのお仕事等、幅広く活動されておられます。
今回インタビューでは、まずこのCalm セッションを
体験させてもらい、続けてお話を伺いました。
■Calmセッションはどんなきっかけで始めたのですか?
セッションの基盤となるのは
クラニアルセイクラルセラピー「頭蓋仙骨療法」ですが、
これとマインドフルネス瞑想、ロッキング・テクニックを
組み合わせて僕独自のメニューにしたのが
Calm セッションです。
30歳になる少し前頃に、
仕事繋がりでクラニオセイクラルセラピーと出会い、
体験したその日にプロのセラピストさんから、
あなたは出来るからやってごらん、と言われました。
えーっていう感じでしたが、やってみたらできた。
その後ちゃんと講座も受けて、知り合いにやってあげていたら、
じゃあ、ウチのお客さんにもやってあげてよ、
みたいな展開になって、
その後もずっと続けて今日に至っています。
■マインドフルネスも前から関心があったのですか?
元々ファッションの勉強をして
アパレルブランドの会社に就職し、
そこで自分が企画した服が
メチャメチャ売れたりしたこともありました。
ですがシーズンオフに大量の服が焼却されていく構造を見て、
自分の内側では徐々に???が拡大していきました。
“ここに居たら後々後悔するかも”と思い27歳くらいで退職。
丁度そのころ、日本でもエコブームが起きて、自分の中で
エコやエシカル、フェアネスといった発想が
クローズアップされ、
心と体を大事にする志向性を自覚するようになってきました。
スピリチュアルなものにも関心が向き、
瞑想、マインドフルネスにも
自然に興味が向くようになっていきました。
それらへの学びを深めていく中で、
精神的にも徐々に強くなってきたと感じています。
■その頃は、どんな仕事をしていたのですか?
そんな経緯もあったので、
主にエコロジーを指向する形でいくつかアパレル関連等の
仕事を経験していました。
オーガニックコットンを扱ったり、心と体のケアを
テーマとするメディアの発行を手伝ったり、
占い関連の会社の営業を手伝ったりしていました。
クラニオセイクラルセラピーとの出会いもその時期で、
本業を持ちつつも、場をもってセラピーを行いながら、
スピリチュアルやマインドフルネス、
NVC(Non Violence Communication)などに
興味を広げていました。
■そして2016年4月、“その日”がやってきた。
始めの3日3晩は我を見失って、死のうかとまで考えました。
見えないという事実がとにかく悲しい。
悲しみが怒りとなり、怒りが絶望となり、
苦しくてどうしょうも無くて泣いていました。
そんな中で、自分がやり始めていたのは、
机に両手を置いて、その感触を確かめること。
また、自分の太ももをつねって痛みを感じることで
“自分をその場に留める”ということを、
あまり明確な自覚はなくやっていました。
今思うと、当時学んでいたNVCとマインドフルネスを、
無意識に実践していたことになります。
そして自分がやったのは「とことん嘆き切ること」。
つまり、悲しみが怒りとなって、絶望となって泣きじゃくる、
この苦しい時間を逃げずに受け入れること。
無論苦しい時間だったけれども、これを繰り返した結果
出てきたものは ー これを言葉にするととても陳腐だけれど
ー 愛すること、そして愛されること。
その言葉が出てきた時に
「それって、見えないとできないこと?」という問いが現れ、
「それなら出来るじゃん」となって、ひとつ吹っ切れました。
■当時どんな出来事が力になりましたか?
視覚を失って直後の入院中、
色々な方が「大丈夫だよ」といった
メッセージを送ってくれました。
勿論嬉しかったけれど、言われてどこか腑に落ちない。
そんな中、先輩であり、鍼灸師でもある鈴木康弦さん(康さん)が
お見舞いに来てくれて開口一番
「石井君、いやー、可哀そうだね」と一言。
思わず「そうですよね、僕可哀そうですよね。」
そう答えて、初めて共感してもらえたと思いました。
「これから石井君がどうやって命を輝かせるか、それが大事」
康さんのその言葉にも、大いに勇気づけられました。
他にも何組か訪問してくれましたが、
「石井君、さなぎになったね」
「これでfacebookで誰かがUPしてる
“たこ焼き食べました”みたいな写真見なくてよくなったね」
の様な、現実を受容した本音トークが、
その時の自分には腹落ちできるものでした。
■改めて、見えなくなったことで何が変わったと思いますか?
元々あったスピリチュアルな要素が強まった気がします。
人前に出てもラジオでも緊張しない。
何かのサインや流れを敏感にキャッチでき、
その場が絶対的に安心できる場所になる。
自分の感覚を信じ、委ねればなるようになる、そういう感覚を
以前より強く持てるようになってきました。
目が見えなくなったことで、
ある意味自分の役割も見えてきています。
見える世界と見えない世界を繋ぐメッセンジャーとしての役割、
自分が発信するブラインドジョークもその一つで、
二つの世界の間にあるギャップを可視化していく、
これを発信してみて何が起きるのかを楽しむ、
その発信点という役割。
色々とやっていく中で、
そういう役割も段々見えてきていると感じます。
■どんなことを大事にしていますか?
見えなくなった直後、
これからの仕事や生活はどうなるのだろうと
絶望をしている時に、
看護師をしていた妻から
“(あなたが稼がなくっても)何とかなるよ”と言われ、
ある意味(稼がなきゃという縛りから)外されました。(笑)
だったら、とそこで自分が決めたのは、
「楽しい、嬉しい、大好き」をやっていく、ということ。
それから1年くらい経った頃に
今度は夢で ”Joy enlighten your body and mind”という
英語のメッセージを聞き、さらに意を強めました。
楽しいと思うことは無償でもやっていく。
Calmセッションはまさにそれ。
やっていくうちに、価値が生まれて、
そこにお金を払ってくださる方が現れてくる。
大事なことは自分の直観に疑いを持たないこと。
そして打算、計算を手放すこと。
そういうものを手放していても、前に道が出来てくるのが、
自分には感覚的に分かっている。
色々と展開するのは不思議だけれども、
だけども当たり前だよね、という、それが僕の感覚ですね。
<インタビューを終えての所感>
:
ある朝起きたら目が見えなくなっていた、その時の衝撃は想像を超えるものです。その苦しみを石井さんがどう乗り越えたのか、なぜ立て直すことができたのか、そこが聞き取りのポイントでした。実は以前に本人の講演会で失明後のストーリーを聞いていたのですが、その時に石井さんが語っていない何か、石井さんの強さの源泉みたいなものが他にあるような気がしていました。 今回Calmセッションを切り口に聞き進めてみたところ、そこのところに納得いく話を聞くことが出来ました。
本文中に書ききれなかったところですが、石井さんは5-6回の転職経験があり、色々な仕事を経験する中で心と体の健康という一貫したテーマ、そして嬉しい、楽しい、大好き、の自分流アプローチを自覚し始め、これがご自身の逞しさにつながっている様に感じられます。 行く先で得た繋がり、人間関係を資産としながら、直観や自身の価値観を大事にして、心の向く領域で自分づくりを進めてこられたことが、運命の転換点で発揮された強さの基盤を作っていたのだと感じました。(依田)