思考の基盤は「類推」に有り | チエでつながる, ワザでつながる、ココロでつながる、価値を生みだす           ~ 物語思考が世界をかえる

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この世に生まれて間もなく、人は「ものがたり」と出会い、そこで広い世界とのつながりを作ります。このblogでは、「ものがたり」と共にある人の可能性を探求していきます。

 

商社に勤務していた私が、

一番商社マンっぽく動きまわっていた

‘90年代半ば頃、

 

フィリピンで取り組んだ婦人職業訓練の

プロジェクトが方々で高く評価され、

利益も結構出せたこともあって、

珍しく

鼻高々の気分になったことがありました。

 

当時、そして今もですが、

同国のシングルマザーの就労環境は厳しく、

そんな社会問題の解決に一役買うプロジェクトに

自分が貢献できたことは、少なからず

“やりがい”も感じることが出来た案件でした。

 

その翌年、

アフリカ・ガーナへの駐在を命じられた私は、

そこでも同様にシングルマザーが

社会問題になっている事実を知って、

 

早速推進に動きました。

 

ですが残念ながら

“二匹目のドジョウ”とは行きませんでした。

 

フィリピンでは、社会福祉省の女性開発局という部署が

20年以上も女性の能力開発に取り組んでいて、

システマチックにカリキュラムを開発したり、

指導者を養成する仕組みが出来ていました。

 

訓練を受けた卒業生たちの就職を支援したり、

独立して“路上裁縫業”の様な事業を始める人に向けた

融資なども小規模ながら行っていました。

 

そんな“ソフト”面での体制が、訓練プロジェクトの

成功には、重要な要因となっていました。

 

ガーナでは労働省職業訓練局が

対応する事業を行っていると聞いたので、

省の担当副大臣にアイデアを話したところ、

大いに乗り気になってくれました。

 

これはいけるかな、

と一度は盛り上がったのですが、

結局実現は叶いませんでした。

 

ガーナにはフィリピンの様に

指導者を養成する制度も無ければ、

卒業生を支援できる仕組みもありませんでした。

 

現実のオペレーションを考えると、

こりゃあー厳しいなあ、となって

結局頓挫してしまったのでした。

 

さて、私の商社時代のエピソードを長々と

書いてきましたが、

ここでお伝えしたかったのは、

 

私たちが何か行動を起こそうとしたり、

直面した課題の解決策を探ったりする際に、

それまでに経験したり、見聞したりしてきた

既知の類似したストーリーを参照し、

これをフル活用している、という話です。

 

上のケースでは、自分自身のフィリピンでの

“成功体験”をモデルとして、

その「成功に寄与したファクター」を整理して、

新たな事態に向けた“行動リスト”を作って

実際に行動を起こしていたのでした。

 

ガーナという新しい土地に入って私がやっていたのは、

「社会福祉省女性開発局」に相当する部門を探し、

その組織を動かすキーパースンと繋がりを作り、

 

プロジェクトを成功させるキーファクター

たとえば、

指導者を養成する仕組みを調べたり

卒業生を社会へと送り出す仕組みを確認したりして、

 

いわゆる案件のフィージビリティーを

チェックする、ということをやっていたのでした。

 

実はガーナでは、

労働省が人材の育成を欧州(確かオランダだった?)の

NGOにかなり委ねていて、そこと連携することも

考えたのですが、結局そこまではやりきれない、

と判断して、

最終的にファイルを閉じることにしました。

 

さて、

おそらく色々と仕事をしてきた方々にとって、

上の様な経験はゴマンとあって、

特段新しい話ではないと思います。

 

どの様な世界でも自分の“成功体験”や、

“手痛い失敗体験“が

何かをしようとするときの参照先となって、

行動や判断の基盤になっていることは

日常的に起きていることだからです。

 

だからこうした

“参照できるストーリーの数”と

“そのそれぞれのストーリーの質”が、

“行動や判断の質”に影響することは、

極めて当然であるはずなのですが、

 

不思議なことに、人材開発領域で

このことは意外なほどに注目されていません。

 

何らかの課題に直面した際に、

現実のどの点を焦点化し、どこに注意を向けて

何から手を着ければいいのか、とか、

 

未経験の領域で何かを始める際に、

どこを起点に発想を始め、

どう全体像を描いていくか、などは、

既存知識からの類推がなければまず不可能なのに、

 

その“既存知識”に注意が向けられることは

殆どされてきていないのです。

 

これまでその“既存知識”部分は

“経験知”とか“暗黙知”という形で、

いわゆる“科学で取り扱うことが出来ない”、

“システマチックなアップグレードは困難な”

そんな領域として見られてきたと感じます。

 

しかし昨今の認知科学の発達によって、

この“既存知識”の質と量のアップグレードによって

個々の思考力や想像力が大いに開発可能であることが

徐々に分ってきています。

 

ここでのキーワードは「類推」です。

つまり、思考というものの中核に「類推」があり、

その類推に寄与できる形で過去の経験や

歴史のストーリーが頭の中にストックされていることが

重要であることが分かってきているのです。

 

ではその“類推に寄与できる形”とは

どんなモノなのか。

 

次回以降に続けます。