東京大学の社会科学研究所というところが、
2007年から実施している
「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査」には、
人々の抱く“希望”の度合いを調べる項目があります。
“自分の生活や仕事に希望があるか”という問いに対して
「ある」、「ある程度ある」、と答えた人の割合は、
2007年に55%だったものが、
2014年には37%まで下がってしまい、その後も低レベル
で推移しています。(公表されたグラフからはそう見えます)
半世紀前、つまり高度成長期の日本人にとって、
「希望」は当然に与えられたものでした。
当時の生活水準は、現在の日本人よりかなり低かったと
思われますが、
明日は今日よりよくなる、未来は今より豊かになる、
自分達はよりよい世界に向かって、一歩一歩前進している、
と、そう信じることができた時代でした。
おそらく当時抱かれていた「希望」のイメージは、
単純に生活の豊かさとか、
結婚・出産・マイホームの獲得、家族での海外旅行、
といった人生イベントに
強く結びついていたのではないかと思われます。
そして、数値では残されていないものの、
当時の人々に“希望があるか”と問えば、
8-9割がYESと答えていただろうと推測できます。
(2007年の調査は、人々から希望が失われているのでは、
といった危機意識から行われたものでした)
人々の心から徐々に“希望”が失われてしまった現象が、
過去30年間の日本の衰退と結びついていることは、
まず、間違いないことでしょう。
加えて地球温暖化と異常気象、地震や原発と放射能の不安、
新型コロナの先行きなども、
私たちが“希望”を抱きにくい要因になっていると思われます。
21世紀に生きる日本人は、
希望が当然の様に与えられたかつての時代とは
全く違う環境の中にいることを、自覚する必要があるでしょう。
つまり希望は、待っていれば届けてもらえたもの、から
自覚的に創造し作っていかなければ手に入れられないもの、
になったのです。
その自覚がないままに、希望、希望と求めることは、
きわめて僅かな可能性に、自らの運命を委ねる様な話です。
“希望”は「まだない」ものでありながら「きっとある」
と信じられる何かです。
そんな風に、“希望”は姿かたちが無いものだけれど、
私たちの行動を支える力を持っています。
“希望”はお金で買うことは出来ないけれど、
人とつながったり、
何かをやりとげたり、
誰かに認めてもらったり、
自ら能力を高めたりすることで、
獲得したり、強化したりすることが可能なものです。
21世紀の日本人に、
そして、もしかしたらいま人類に求められているものは、
自らの手で自分の”希望“を創造していく力、
自らと対話しながら、未来に向けての展望を描いていく力、
そんな力なのではないかと、私は考えています。
“希望”は待っていてもやってこない。
そのことを、
特に日本人は、忘れてはいけないのだと思います。
※ワークショップの参加者募集中です。詳しくは↓
「未来への道を灯すワークショップ」 8月-9月対面開催 | Peatix