なぜいま「物語」が求められるのか(2) ~ “脱場所化”を補うコミュニケーションが求められてきた | チエでつながる, ワザでつながる、ココロでつながる、価値を生みだす           ~ 物語思考が世界をかえる

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この世に生まれて間もなく、人は「ものがたり」と出会い、そこで広い世界とのつながりを作ります。このblogでは、「ものがたり」と共にある人の可能性を探求していきます。

 

 

私たちが休日に山登りをしたり、

雰囲気のよさそうなレストランを選んだりするのは、

 

開放的な気持ちを味わいたいとか、

普段とは異なる気分で時間を過ごしたい、と

思うからでしょう。

 

場に入って起きる心の躍動への期待であったり、

普段とは違う気分や想像の軌跡を味わいたい、という動機が

働いているのだと思います。

 

“場所”が自分の心の活動に影響していることを

私たちは当然のこととして、了解しているのです。

 

日常的なコミュニケーションの場では、

多くの場合、言葉を通じてイメージやアイデアが

交換されています。

 

言葉は個々の頭の中で、形象や場面に転換されているので、

 

話し手、聞き手のそれぞれの居る“場所”が、

コミュニケーションの「質」とつながることは

容易に想像できることでしょう。

 

昨年来、コロナの影響がモロ影響して、

テレワークが急速に普及してきました。

 

オフィスで机越しになされていた会話が、

それぞれの自宅の部屋を背景としたTeamsやZoomで

交わされるようになってきました。

 

実はこうしたテレワークの技術自体は、とっくに開発は

されていたし、随分前から「ホワイトカラーの間には在宅ワークが

一般化する」と、予測もされていました。

(アルビン・トフラー「第三の波」(1980))

 

普及が進まなかったのは、多くの人が“場所性”の重要度を自覚していて、

「そうは言っても、顔を合わせてじゃないと、ダメでしょ」と

消極的だったからです。 

 

しかし、コロナがこの歯止めを外しました。

 

テレワークについては、私自身も実際に使ってみて、

沢山のメリットを感じており、正直思っていた以上に“使える”という

感覚を持っています。

 

ですが一方で、やっぱり限界だなあ、という実感もあります。

 

企業研修でも大学の授業でも言えることですが、

やはりその場に立って話していれば、すぐにわかることがあります。

 

今話していることを、

みんなが“面白い”と思っているか“つまらない”と思っているか。

 

テレワークのしんどいのは、こういうところが見えにくい点です。

 

なので、時々個々の受講者に話しかけたり、

チャットに感想を入れてもらったり、

グループワークを挟んだり、と、

 

色々、ギャップを埋める工夫はしています。

 

しかし、“場所性の非共有”というデメリットが、解消される訳ではありません。

 

ここで「物語」の意義が高まってきます。

 

元々「物語」は、話の中に“場所性”の語り(世界観)を含んでいます。

桃太郎もシンデレラも、その世界観が共有される中で

成り立っています。

 

逆に言えば、「物語」を伝える為の世界観の解説は、

共有に不可欠な要素です。 

 

さらに「物語」が場所の隔たりを超えるもう一つの理由は、

行動や感情の動きが、展開の中に必ず語られる事です。 

 

場所性の共有は、実はこうした動きの中に起きてきます。

行動や感情には必ず、

そこで人間が捉えている“場所の意味”が反映されるからです。

 

イソップとかアンデルセンなどの異国のお話を3歳の子供が

理解できる秘密は、こうしたところにあります。

 

「語り」の技術を磨くことが、

場所を超えたコミュニケーションの質を高めうることが、

多少はイメージ出来たでしょうか?

 

今後世界中でテレワークが更に普及し、

ビジネスを中心に“脱場所化”が進むことは、まず間違いないでしょう。

 

 “脱場所化”によって

これまであたりまえ“だった沢山の情報が脱落することも確実で、

 

それによって沢山の損失やトラブルが起きたり、

仕事の質が低下していくことも、十分予測できることです。

 

“物語的“な説明力や、”物語的に“聞き出して事態を理解する力は、

テレワークの普及と合わせて、

今後、重要度が高まってくるだろうと思います。