なぜいま「物語」が求められるのか(1) ~ 品質や価格でモノが選ばれなくなってきた~ | チエでつながる, ワザでつながる、ココロでつながる、価値を生みだす           ~ 物語思考が世界をかえる

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この世に生まれて間もなく、人は「ものがたり」と出会い、そこで広い世界とのつながりを作ります。このblogでは、「ものがたり」と共にある人の可能性を探求していきます。

 

いま座っているデスクの上にあるものを

挙げていくと、

 

コーヒーカップ

ペン

財布

ペン立て

眼鏡ケース

ペンケース

タブレット

ホッチキス

キーホルダー

・・・・・

 

書類を除いて、多分20品目くらいあります。

 

このうち、いつ、どこで買ったかを思い出せるのは

 

コーヒーカップと

ペンケース

のみ。

 

その他は、多分あそこで買ったんじゃないかとか、

アマゾンだったか、どこだったか忘れたけれど、

多分通信販売だった、

 

程度の淡い記憶になってきます。

 

思い出せる2つは、

 

それを選んだ理由や、

そのモノと出会った時の感覚とか、

その場の雰囲気も思い出せるもので、

その分、愛着も大きいと感じます。

 

この差は、どうして生まれるのか。

 

2つを除くと、殆んどのモノの買い方は、

 

とりあえず、買う

仕方なく、買う

買わないと困るから、買う

 

という買い方だった(らしい)ことが思い出されます。

買い方にイマイチ満足がない、納得が出来ていなかった気がします。

 

逆に2つは、買うまでのプロセスに満足がある。

モノと出会って、考えて、確かめて、決めて、買った。

 

自分とモノとの間で起きたストーリーが思い出され、

そこで演じた自分に対する満足感が、

モノに付与されているように思われます。

 

では、それ以外のモノとは、どうして何も起きなかったのか。

 

多分、購入したモノとそれ以外の(そこに並んでいた)モノとの

差別化が出来なかったからだと思われます。

他とは違う“それ”を選ぶ理由が、思いつかなかったのです。

 

必要があって買いに行く。

行くと、沢山の選択肢が現れる。

どれを買ってもニーズは満たされる。だから文句なし。

 

だが“これ”という一つを, 選ぶことができない。

基本性能はどれもが満たし、

プラスアルファ―の性能も決定的な違いは無い。

値段も決定的と言える差異は見つからない。

そこで, とりあえず“これにするか”となる。

 

その決め方にイマイチ納得がないので、満足がない。

 

昨今、製造業をはじめとして会社のHPに、

「製品開発者の想い」とか「〇〇研究秘話」とか

「△△開発ストーリー」の様な記事や映像が見られる様に

なってきました。

 

おそらく競合商品からの差別化を狙ったものでしょう。

 

似た製品がズラリと並んでいる中で、製品開発者(開発チーム)の

プロフィールだとか、開発に向けた想いとか、苦労談などが聞こえて来て、

そこに共感が湧いたりすれば、

 

購入者の意思決定が影響を受けることは、容易に想像できます。

 

伝えられたストーリーに共感できることは、購入者の納得を増します。

そんな決着の仕方ができれば、私たちは落ち着けるのだと思います。

 

私たちはニーズがあって商品を買いに行きます。

しかし、その商品を手に入れて満足しているかというと、

必ずしもそうではない。

 

ニーズは満たせても、満足は出来ていない。

 

私たちを満足させてくれるものは、購入した商品の先にある何か。

 

それは開発者の想いだったり、着想した人の苦悩だったり、

生みの苦しみへの共感だったり、実験で流した汗の匂いだったり。

 

おそらく、そういうものと共感的に繋がりあうことで、

ひとつの満足感や納得感を、得たいという欲求が、

私たちの底の方にはあるのだろうと思います。

 

ということが分かってきたとすれば、

私たちは、発想を転換していく必要があると、気づくべきでしょう。

 

製造業などの会社HPでの紹介の多くは、

見え見えのマーケティング目的で作られていて、

 

少し意地悪な言い方をすると、

広報担当が作ったシナリオを、開発者が暗唱して言っているだけ、

の様なものが多くあります。

 

そんな付け焼刃ではなく、

リアルな物語を、より高いリアリティーと説得力で発信していける

ようにしていくことが、いま大事になってきているのです。

 

つまり、

最初から「物語」を売り物と捉えて、製品開発をしていくこと。

 

この変化に気づくことが、いま求められているものなのだと思います。