仕事と呼ばれるものの多くは、
組織内部で分割されて担当レベルに”割り振ら”れ、
個別に役割や責任を分担される性格を持っています。
時々担当替えがあったりすると、
夫々の担当の間で”引き継いだり”、”引き受け”たり、
ということが為されます。
そして、割り振られた仕事を実践するに際しては、
それを行う上で必要な「知」を”教え”たり”覚え”させたり、
ということも起こります。
それらの仕事が、
スーパーのレジ打ちとか、宅急便の配達業務のごとく、
作業として”標準化”された内容であれば、
”引き受け”たり”覚え”たり、といった表現は十分適切です。
しかし例えば、
多発するトラブルに悩んでいる顧客に独自の解決案を提示する
とか、
ユーザーの声を分析して新規サービスを考案する、
といった仕事を想定してみると、
”教える”とか”引き継ぐ”と、一言で表現したとしても、
そう簡単に行きそうもないことは、大方想像がつくところです。
仕事で求められる知識やスキルを、
あたかもモノであるかの如く捉えて表現する仕方を、
ここでは”導管メタファー”と呼ぼうと思います。
導管(パイプ)は、
入口からビー玉を入れてころがせば、出口からビー玉が出てくるし、
一定量の水を入口に流せば同じ分量の水が出口から流れ出てきます。
この考え方を仕事の知に当てはめれば、
ある仕事をこなしている人の知を別の人に移転させれば、
その別の人も同じ知を使ってその仕事ができるようになる、
という理解が可能になるわけです。
この考え方は、
上記のような標準化された仕事の場合には、よく当てはまります。
ただ、現実には必ずしもそればかりでなく、
比較的長い時間をかけて先輩から徐々に学んでいくような「熟達の知」にも
かなりの程度で適用可能なものです。
なので導管メタファーは、
仕事の知について語られる場面では従来から普通に使われてきたし、
人々もそういう表現に違和感を感じることもありませんでした。
ところが21世紀に入り、
仕事をとりまく環境が大きく変化してくると、
この考え方の欠点が徐々に明らかになってきます。
既に述べたごとく、
ベテラン・先輩の知がそのまま活かされるケースは
どんどん縮小してきました。
そこを無理に導管メタファーを適用しようとすると、
次々に想定外の状況が発生し、
混乱に至ってしまう様な状況が多発してきたのです。
ですが、にも拘わらず”導管メタファー”はしぶとく生き残っています。
人々の間には、どんな仕事も
”ちゃんと教えればできるようになる”という、
必ずしも現実を反映していない考え方が共有され続けています。
自分たちが蓄積してきた知が”今も有効だ”と、
信じたがる勢力が、組織の中では依然優勢であることが
原因である様に、私は感じています。
ベテラン達の経験を”有益な知”とするには、
”細切れの知”へと加工が必要です。
ですが残念なことに”導管メタファー”肯定派が、
その加工を妨げています。
その結果”導管メタファー”が優勢な職場では、
僅かに残っている”そのまま使える知”のみが
「伝承価値のある有益な知」とみなされる一方、
”そのままで役に立たない知”が
「伝承価値のない無意味な知」として、
極めて乱暴に償却されてしまうという、
憂うべき状況が生まれてきているのです。
実績をあげ、様々な修羅場を経験してきたベテラン達が、
昨今現場で煙たがれ、
マネジメントからしばしば”教えるな”、”伝承は不要”などと
遠ざけられ始めている背景に
”導管メタファー”の弊害があります。
自らを守ろうと”導管メタファー”に固執してきた人たちが、
結果として”導管メタファー”によって排除されてしまうという、
笑えない皮肉な事態が起き始めています。
組織の宝である有益な知が失われていくのは、
残念でもったいない話です。
仕事の知の性格が大きく変わり、
導管メタファーが弊害をもたらしている現実を、
私たちは明確に認識すべき時に来ているのだと思います。