経験の知は力にも足枷にもなる | チエでつながる, ワザでつながる、ココロでつながる、価値を生みだす           ~ 物語思考が世界をかえる

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この世に生まれて間もなく、人は「ものがたり」と出会い、そこで広い世界とのつながりを作ります。このblogでは、「ものがたり」と共にある人の可能性を探求していきます。

実践を繰り返し、試行錯誤を重ね、失敗を反省し、
更に挑戦していく中で、仕事の力は磨かれていきます。

 

いくつもの場を経験し、数多くの問題を乗り越えてくると、
新たな状況に出会っても、自分なりに解決の糸口を見つけ、
何とかこなしていける術が身についてくるものです。

 

仕事には本来そういう側面があるし、
今もその本質に変化はありません。

 

だから様々な経験を積んできたベテランの知が、組織の重要な
資産であることは、いうまでもないことです。

 

とはいえ昨今の問題は、先輩方が長年蓄積してきた実践の知が
そのままの形では使い物にならなくなってきたこと。

 

世の中の変化のスピードがあまりに早く、組織が学習して得た
仕事の知の賞味期限が、どんどん短くなってきている現実です。

 

つまり様々な仕事は一見前例もお手本もない、全く新しいものに
見えるものばかりとなり、

 

そこに先輩の培ったノウハウや知恵を持ち込んでも、
殆ど的外れにしか見えなくなってきているのです。

 

だから過去の仕事ですばらしい実績を上げてきたベテランのお歴々も、
自分の知識がそのまま後輩たちの役にたつと考えているとしたら、
それは一刻も早く、修正しなければなりません。

 

ベテランがしたり顔で提示する知の大部分は、今や“検索”で
立ちどころに調べられるもので、情報価値は殆どないと知るべきです。

 

さらに、じゃあ、といって過去の成功物語を語られても、
これも聞く側からすれば、

単なる自慢話に付き合わされている感覚にしかならないでしょう。
(このあたりは今のベテランも経験済で、十分共感できるでしょう)

 

つまり、
ベテランを始め豊富な経験を持つ者が心得ておくべきは、
自分が「有益な知」と思っている知の大部分が、後輩・若手たちに
とっては大した意味を持っておらず、

 

逆に、
普段は自分の意識から殆ど外れている様な、
一見些末で何でもないと思える知識が、
若手・次世代にとっては、この上ない宝の山となりうる現実です。

 

学習というのは面白いもので、
相手が一生懸命“語ろうとしている”ことは、大して重要に思われない
一方で、

 

相手が何気なく、極くごく当たり前に語っている一言に、
心の底から“なるほど”と唸ってしまう瞬間を
私たちはしばしば経験しています。

 

こうした状態は、
日常しょっちゅう顔を合わせているやりとりしている同士では起こりにくく

むしろ、育った環境や住んでる世界に距離がある同士の会話から
生まれる傾向があります。

 

若手とベテラン、異なる世代間での仕事のコミュニケーションは
まさにそういう側面が強いと考えるべきでしょう。

 

ベテランに求められるのは、彼(女)らが持っている豊富な「知」を、
その「知」を活用する側のニーズに適う形で発信することです。

 

つまり「知」を活用する側、
すなわちリアルタイムで実践の場に立つその本人が、
ベテランの「知」を消化し、自らの血肉に出来るか否かが
問われているのです。

 

ベテランの豊富な経験の「知」が、若手・後輩等実践者のニーズに
応える形で供給されるなら、言うまでもなくその知は個人や
組織にとっての力となるはずです。

 

逆にそれらの「知」が、実践者のニーズとズレた形で与えられたり、
実践者が消化出来ない形で届けられるなら、時間は浪費され、


無駄にエネルギーも奪われ、
挙句は人間関係まで、おかしくなってしまうかもしれません。

 

それこそが最悪なのですが、
その最悪が今、いたるところで発生しています。

 

経験の「知」は力にも足枷にもなる。 
このことを私たちは、重々理解しておく必要があります。