プレゼンであれ新しい企画案であれ、ドイツ人は何かと異を唱えてくる、
という話を、
先日、大学の「異文化コミュニケーション論」の授業でしたら、
「そういうの、僕は好きです」
と言ってきた学生がいました。
対立構造の中で議論をして、プレゼンも企画も磨かれていくのだから、
結構なことではないか。
対立を避けようとする日本人は、だから弱体化しちゃうんでしょ、と。
確かに。
弁証法の歴史を持つヨーロッパには、そういう文化が確かにあるけれど、
日本ではちょっと・・・、
という話を授業ではしていたのですが、
最近の学生の中には、
そんな対立に違和感を感じない人が増えてきたのかなあ、
などと、考えてしまいました。
問題を曖昧にして対立を回避するか、
あえて対立構造を明確化して議論を深めるか。
異文化コミュニケーションの領域で問題とされる
大きなテーマの一つです。
いくつかの研究で日本は“対立回避型”の最右翼とされており、
インドネシア、タイなどが大体同じような評価を受けています。
これに対してドイツ、フランス、オランダなどは、対立明確化の
急先鋒。
アメリカ、イギリス、インド、中国などは、その中間くらい、
というデータがあります。
ともあれ日本は最右翼なので、これらどの国の人とのやり取りでも、
日本人から見れば、大部分が“対立明確化型”に見えてくるはずです。
ただ、
こうした国(地域)別データは、参考にはなりますが、
2つの点は押さえておかないといけません。
ひとつは、同じ国(地域)の中にも個人差があり、単純に日本人は・・・、
ドイツ人は・・・と、捉えてしまうと、しばしば間違えること。
もうひとつは、現代の様に時代が大きく動いていると、世代の間でも
相当の差異が生まれていて、“古い”(上記は20世紀終盤ころの調査らしい)
データが、若い世代には必ずしも適用できないこと。
冒頭の学生などは、その典型的な例かもしれません。
つまり、今日のようにグローバル化が進み、色々な情報、特に日本を
相対化して見る様な情報がメディアから普通に流れてくる時代には、
感受性の高い(特に若い人ですね)人たちが日本の“あたりまえ”を
批判的に見て、異なる行動を選択していく可能性は十分に出てきます。
それが会社の様な組織に持ち込まれれば、世代間対立の種になりかねません。
議論を煽るようなことを言う奴は、
以前であれば、“理屈っぽくて生意気な奴”、だったのでしょうが
段々と勢力を増してくれば、
組織内でコミュニケーションが断絶していく可能性も
十分ありうるでしょう。
断絶したり、接触を回避していくことで、確かに対立は回避できます。
しかしそれだと、上の学生が指摘するとおり、対立を回避し問題を“見えない化”
していくことで、企業の競争力を落としてしまう可能性は膨らみます。
これは、日本の組織が今直面している課題と捉えるべきでしょう。
あまり気づかれてはいないけれど、かなり深刻な気がします。
これを克服するには、
対立を明確化しよう、という意見を潰さない、
少なくても
“問題の見えない化”に進む空気を、遮断できる組織の理性を
育てていかなければいけません。
組織の中に“対立”が生まれそうな時に、
関係を壊さないようにすることは大事ですが、
一方でその時に“見えない化されている問題は何か?”を問うことは、
大きな価値があるものです。
“対立”という構図を人と人の対立に結び付けず、
事柄と事柄の対立に持っていく。
“関係”を守りながら、共に“問題”を探り議論を深める技術を、
もっともっと、開拓しなければいけないのだと思います。
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