みなとみらいに陸軍空母山汐丸の錨 | fc2 yokohama リターンズ    ★★★★★

 googlemapを見ていたら、みなとみらいに”旧陸軍護衛空母山汐丸の錨”というのがあるのを見つけた。

 

 

 旧陸軍護衛空母ってなんだ?

 

 旧陸軍は、これは間違いなく旧日本陸軍だろうし、空母は航空母艦、つまり航空機を搭載運用する艦船のことだろうが、なぜ海軍じゃないのか、なぜこんなところにその錨を展示しているのか?

 

 いきなり突っ込みどころは多いが、とにかく現場に行ってみよう。

 

 

 みなとみらいセンタービルに面した公開空地の一角に、それはあった。

 

 それなりではあるが、驚くほどでもないという中途半端な大きさ。

 

 

 

 傍らに説明版があった。

 

 

 山汐丸の錨は、みなとみらいセンタービル建設工事の際に発見されたものらしい。

 

 みなとみらいの開発前、ここは三菱の造船所であり、山汐丸は、その前身である横浜船渠で1945年(昭和20年)に建造されたものと記述されている。

 

 山汐丸は、油の輸送と船団護衛のため飛行機を搭載していたとある。

 

 

 これだけでは、ちょっと意味が解らん。

 

 

 案内板はもうひとつあり、イカリというざっくりしたタイトル。

 

 

 錨はここで発掘されたもので、海に船が停泊するように街と人を繋ぎとめるという想いを込めている、大地にしっかりとイカリを下ろし、世の波風に流されないしっかりとした街になる願いを込めたなど、なかなか前向きなことが書いてある。

 

 

 そこで、山汐丸について、調べてみた。

 

   参考文献 大内健二著”輸送艦 給糧艦 測量艦 標的艦 他”光人社NF文庫 他

 

 

 太平洋戦争中の昭和19年、物資を運ぶ輸送船に、敵潜水艦を警戒する航空機を運用するための飛行甲板を設置するという艦船が構想され、異例の陸海軍協力による事業で、2隻が建造されることになった。

 

 山汐丸は、そのうち陸軍が担当した1隻であり、元来油を輸送するタンカーとして建造中の船に、飛行甲板を設置することになったのである。

 

 陸軍空母というのは通称で、数十機の航空機を搭載し、敵を攻撃する海軍の大型空母とは、外見こそ類似しているが、まったく違う性格の船舶だ。(陸軍なので艦ではない)

 

 

 その山汐丸、イカリの説明文からすると、いかにも太平洋狭しと活躍したような印象を受けるが、昭和19年といえば戦争末期、すでにそのような運用は困難となり、山汐丸は完成直前で工事中止との判断が下され、横浜港内に放置された。

 

 そして、昭和20年2月の空襲で大破し、そのまま放棄、戦後になって解体されたという。

 

 船としては不幸な生涯だ。

 

 錨は、そのとき吹っ飛んで、海底に沈み、平成の世になって発見されたのだろうか?

 (山汐丸は、本牧沖で大破したとの証言も読んだことがあるので、その点不明)

 

 

 いずれにしても、つまりその、あまり縁起のいいものではないんだ。