この記事で一番気になったのは「代替電源のあてもないまま、自治体として原発廃止を求めるのは無責任に過ぎる。撤回を求めたい」のくだり。
万が一に際し可及的速やかに求めているのは「安全の確保」であり、安全神話の崩れた今「原発は安全」なんて誰も思っていないのでは無いか?
そうならば「代替電源がないから原発を再稼働させる」って事を後押しする行為は「無責任」だろうと私は思う。

まずは既存エネルギーで節約しながらやってみる。風力や太陽光エネルギーの活用を後押しする。それでも間に合わなければその時初めて安全と天秤に掛けて必要最小限のレベルで稼働すべきなのでは?

形は違えど、まさに社会保障や税金の問題と根っこは同じ。不要な部分に切り込めないまま再稼働を促す記事は国民愚弄と思われるがいかがだろうか?

ちょっと戯れ言をひとつ。


今はさすがにありませんが、若い頃付き合っていた娘に「重い」と言われたことがあります。

当時は気にしたもので、出来るだけ束縛するような言動は控えたものです。

この子となら結婚してもいいなぁと感じていたのですが、おかしなもので、言動を押さえると気持ちも萎えて、結局1年ほどで別れてしまいました。


今になって思えば気持ちの大きさ「想い」は、彼女にとって「重い」として伝わったのでしょう。

決して嫉妬深い方では無いのですが、「想いが共用できない相手では難しかった」という戯れ言ですw

あんまり霊感は無いと思いながらも心霊ネタですが・・・。


昔、何かの番組だったか、書物だったか、聞いたのか、はたまた漫画だったかも知れないが、見える見えないの定義を聞いたこ覚えがあります。

それまで真偽は別にして、霊障に遇うのは知らずに「霊のテリトリー」に踏み込んだためと解釈していました。

その文献では「見える人には相手からも見える」とされていたのです。


ちょっと目からウロコでした。

少し乱暴な定義ですが、霊=次元もしくは位相と解釈すればどうでしょう。

見えると言うことは同じ次元に存在する事。同じ次元に存在するから見えるのであり、自分から見えるので相手からも見える・・・・至極当然の理屈です。


また別の考え方で例えれば、私たちが見える光の範囲は可視光線と言われる範囲ですが、ご存じのように可視光線の外に紫外線・赤外線といわれる部分があります。

この光しか通さない生物が存在するとしたら、人の目からは見えないわけです。でもすべての人の可視範囲は同じワケではなく、多少広い狭いがあるの当然ですから、可視範囲の広い人にはこの生物の可視範囲に近いヤツは見えて、狭い人からは見えないという理屈が成立します。

同様のことがその生物にも言えるとすれば、相手にもこちらを見えるヤツと見えないヤツがいるという理屈になります。

そしてこちらも波長に近い同士は見えるという事になるでしょう。


話が支離滅裂になりましたが、その位相空間が死後の世界で、霊が現世に未練があり、位相が重なって現世の人間が見えるとしたらどうでしょう?

助けを求めるのに寄ってくるかも知れません。


変な解釈になりましたが、書いてて自分で背筋がぞっとしてきましたので今日はこれくらいで