先日も大阪阿倍野のタワーマンションから6才のお子さんが転落死したそうである。


このニュースの中で「最近の高層マンションで生まれ育った子供は高いところを恐れない高所平気症の子供が増加している」と警鐘があった。


「なるほど」と思った方も大勢いらっしゃるだろう。


あくまで個人的な見解だと前置きした上で申し上げる「大きな勘違い」だと。


高いところが怖い・暗闇が怖い等々、怖いという概念は本能である。

そこに成長していく上で、知識や体感が積み重なって「ここまでは大丈夫」とか「これ以上は危ない」というリミットを身体が覚えていくのである。


子供の頃に転んで怪我をしたりして、「危ない」とか「痛い」とかの経験を積み上げて一人前になっていく・・・筈である。


ところが、今や「安全が第一」で僅かな危険を目の敵にして、大人が体験をさせないように仕向けてしまう。


私が子供の頃は公園にはジャングルジムがあったものである。

まぁ、落ちたり頭をぶつけたり痛い思いをした。


今思えば成長する上で必要な痛みだったと思える。


話が脱線したので元に戻そう。


先日転落したお子さんがどうだったのかは存じないが、高所平気症とは精神的に未発達な状況では無いかと私は思っている。親御さんもさぞ無念な事とお悔やみ申し上げる。


亡くなったお子さんにはご冥福をお祈りしたい。

「パトカーに追跡された暴走車がタクシーに衝突してタクシーの運転手が死亡」という記事が出ていた。


知人に警察官がいるが、最近は思いの外、停止命令を無視して逃げる輩が多いそうだ。

特に小型のバイクが顕著らしいが、これは逃げ得をしている運転手が多い事を意味しているのかも知れない。


それはさておき、現状では巻き添え事故や逃げる運転手の事故防止の為に、危険と判断すると追跡を断念する場合が多いという。


警察24時などの番組でも、指令本部から「事故防止の為に無理な追跡は中止せよ」と指令されて追跡中止で放尾、事後追跡に切り替えるというシーンがよく有る。


ああいう番組は警察の広報的な意味合いも有るので「警察は市民の皆さんに被害が及ばないように配慮していますよ」とのアピールがあるのだろう。


だが、実際は追跡されても逃げれば逃げれると「広報」しているようなものでもあろう。


日本の警察は他国と異なり、犯罪と交通事案には一線を引いている。

これは「日本人」という人種が、性善説に基づいている事も大きな理由の一つだと思う。


しかし、そろそろ判断基準を見直してもよいのではないだろうか?

威嚇発砲は行き過ぎとしても、ドライブレコーダー等の検証録画を必須として上でならサージアンカー打ち込みなどの強制停止を行うなど、多少強硬手段を用いないと減少は難しいのでは無かろうか。


まぁ、これも個人的な意見なのでW

国会騒ぎにもなった、あの騒動の事である。


ウチも遠い昔だが、兄弟の内一人しか通らなくて自由契約枠で通わせた事があるので、言いたい事や気持ちはよく判る。


だが、いくら匿名とは言え、言葉が汚な過ぎはしないか?

ましてや「死ね」など言う言葉は、本来なら子を持つ親が絶対に使ってはならない言葉である。


総理の答弁も褒められたものでは無いが、即座にそれに反応してプラカードまで作って国会前でデモる馬鹿さ加減。

その中に、○産党の党員が混じって居たりするので「○産党が煽動している」と反感を買うのである。


前述したが、気持ちは分かる。だからこそアプローチを大事にしないと感じる私がおかしいのだろうか?


書き込みの一件から国会で首相に詰問する姿やデモの姿。


申し訳ないが、どこかの国特有の病気である「火病」を思い出したのも私一人か?


ただ、何度も書くが気持ちは分かる。


都市圏での待機児童に比べ、地方都市では殆ど待機児童の問題は無い。

都市圏に施設を増やすのも大事だろうが、この辺にも地方創世のヒントが無いだろうか?