高校時代の世界史ノートを見返し共和制ローマ史を再勉強してみた | Grünberg

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こんばんは。

 

最近共和制ローマ騎兵を塗ってることもあって、改めて共和制ローマ史を勉強してみました。

 

ノートのレジュメをなるべくカッコよく文にしてみることにします。

 

 

いにしえより、ローマの地は先住のエトルリア人の王に支配されてきた。

 

ローマの源流ともなったラテン人の一派は、やがてエトルリア人の王を追放し、共和制国家を樹立するに至った。

 

この小さな国家は、貴族(パトリキ)と平民(プレブス)の根源的な対立を擁していた。

 

この国家の政治体制は、2人の執政官と、元老院で構成された。

 

それらは貴族で占められ、中小農民で重装歩兵を構成していた平民は常に政治への参画を求め闘争を続けた。

 

政治参画を求めた平民が山に立てこもった聖山事件を機に平民会と護民官が設立され、護民官は貴族側の議決に拒否権を行使できた。

 

リキニウス・セクスティウス法により執政官の1人を平民から出すことが定められ、ホルテンシウス法により平民会の議決がそのまま国法となった。

 

こうして法の下に平民と貴族は平等となり、のちの領域拡大へと繋がっていく。

 

※共和制ローマには非常時に独裁的な権力を行使できる独裁官(ディクタトル)という制度があったが、任期は半年であった。

 

 

●共和制ローマの拡大

 

紀元前272年、イタリア半島南部のスパルタ植民都市タレントゥムが陥落し、共和制ローマはイタリア半島を統一した。

 

軍の主力となったのは中小農民の平民から構成される重装歩兵であり、彼らは戦闘の主力であり続けた。

 

共和制ローマは以下のように権限を与えイタリア半島を分割統治した。

・植民市・・・ローマと同等の市民権

・自治市・・・自治権のみ。市民権は無し

・同盟市・・・軍役義務のみ。市民権は無し

 

この異なる義務・権利を与える分割統治により、反乱を未然に防ぐことが出来た。

 

イタリア半島を統一した共和制ローマは、地中海の大敵カルタゴとの三度に渡るポエニ戦争(B.C.246-B.C.146)を経験することになる。

 

カルタゴはフェニキアの植民都市で、本国が滅びた後も勢力を拡大し、北アフリカ一帯を支配下に置く強国だった。

 

第一次ポエニ戦争において、ローマは初の属州(イタリア半島以外の領土)となるシチリア島を獲得する。

 

第二次ポエニ戦争ではハンニバル率いるカルタゴの戦象部隊がアルプスを越えてイタリアに侵入、ローマを混乱に陥れたが、スキピオ率いるローマ軍がザマの戦いで打ち破り辛くもローマ軍が勝利した。

 

主力を失ったカルタゴは第三次ポエニ戦争で本国への侵攻を受けついに滅亡する。都市は徹底的に破壊され跡地には塩をまくなどローマ人の恨みがこもっているがごとくの有様だった。

 

こうして難敵カルタゴを滅ぼしたローマは紀元前2世紀半ばにはアンティゴノス朝マケドニア・ギリシャ諸ポリスを征服。地中海全土をほぼ手中にすることになる。

 

だが、100年にも及んだポエニ戦争の余波は、共和制ローマを混沌へと落としていくことになる。

 

 

●内乱の一世紀

 

度重なる征服戦争の結果、共和制ローマは広大な属州を獲得した。

 

属州からはより安価な穀物が流入し、それによって重装歩兵の主力であった中小農民は自らの穀物が売れず没落した。

 

一方で元老院や貴族階層は属州で大土地所有(ラティフンディア)の経営を行い、富を独占した。

 

没落した農民達は無産市民として都市に流入し、「パンとサーカス」を要求した。

 

ローマ市民の間で経済格差が広まり、紀元前2世紀後半には共和制の土台が揺らぎ始めた。

 

グラックス兄弟の改革もあったが元老院の反発に遭い結局失敗。紀元前1世紀には軍隊は有力者の私兵と化した。彼らは互いに抗争し、こうして共和制ローマは内乱の一世紀へと突入した。

 

平民派マリウスと閥族派スラが互いに抗争。同盟市が市民権を求めて反乱を起こし、スラが鎮圧。剣奴スパルタクスが反乱を起こし、共和制ローマの混乱は頂点に達した。

 

そんななか、元老院に対抗してポンペイウス・カエサル・クラッススによる第一回三頭政治が行われる。

 

クラッススは東方国境のパルティアとの戦闘で戦死、ポンペイウスは東地中海の海賊を鎮圧しセレウコス朝シリアを滅ぼした。

 

カエサルはガリア遠征でその頭角を現し、やがて元老院に接近したポンペイウスを倒して紀元前44年には終身独裁官となった。

 

だがこの動きに危機感を持ったブルートゥスをはじめとした共和派にカエサルは暗殺される。

 

こうして、第一回三頭政治は終わりを告げた。

 

第二回三頭政治はオクタヴィアヌス・レピドゥス・アントニウスによって行われた。

 

レピドゥスは早々に失脚し、アントニウスはプトレマイオス朝エジプトのクレオパトラ7世と結んだ。

 

オクタヴィアヌスはアクティウムの海戦でアントニウス連合軍を破りプトレマイオス朝を滅ぼし、エジプトをローマの属州とした。

 

オクタヴィアヌスはやがてアウグストゥス(尊厳者)の称号を得て、皇帝としてローマを統治することになる。

 

こうして共和制ローマは終わりを告げ、ローマ帝国へと繋がっていく。