法華経妙荘厳王本事品より
「仏(ほとけ)には値(あ)いたてまつること得難(えがた)し、優曇波羅華(うどんばらけ)の如く、又一眼(いちげん)の亀(かめ)の浮木(うきぎ)の孔(あな)に値(あ)えるが如(ごと)し。」
【意訳】仏様に出会うことは、大変難(むずか)しいことです。優(う)曇波(どんば)羅(ら)の華(はな)というものは、数百年あるいは数千年に一度花が咲くということですが、そういうごくまれに開く華(はな)を見るのと同じように仏様に出会うことは難しい。また広い海の中で、眼の一つしかない亀が、たまたま浮いている浮き木の孔(あな)にめぐりあって、その孔の中に首を突っ込むことのたとえのように、仏様に出会うことは、きわめてまれなことです。
妙荘厳王のふたりの王子はバラモン教を信仰する王の子に生まれました。
ふたりの子は菩薩としての修行を完成させており、まだ、仏教に帰依していない父親である王を誘って仏教に帰依させていと思うようになりました。
仏様も王が立派な人でなければ国を統治するのは難しいと考えられました。国王は国民に対し、我が子のような慈しみが必要であり、国民は国王に対し、父母を思うような心が必要であると考えられました。ですから、国王を仏様の教えに導き入れたいと考えられたのです。
仏様が「法華経」を説かれることを知った王子は、母親に「最高の教えだから、聞いてください」と勧めました。自分たちも一緒に行きますと。
母親は「お前たちと教えを聞きにいくのは良いが、お父さんはどうするの?国王であるお父さんにこそ聞かせるのが大切ではないですか。」と言われました。
さらに「お父さんがバラモン教徒であることを嘆いても仕方ありません。三人で協力して国王を感化し仏様の教えにご縁があるようにしていくことが大切だ。」と言われました。
王は王子たちの信仰心に基づく実行を目前にし、バラモン教に拘っていた心が変化して王子たちの言葉に耳を傾けるようになった。
それは、特別なことでなく、普段のなんでもないことを不断に実行することだった。簡単なことを続けて実行していくことが神変なのです。
私たちも「これが教えですよ」って押し付けられるよりも、普段の様子で「この人と一緒に学びたい」と思っていただけるようになりたいものです。
この王子様たちのように、なんでもないことや小さなことの積み重ねで伝えていくことをこころに思っていきたいですね。