古い新車がやって来ました。
カツミのC51、1960年発売の初代製品。
カツミ模型店としても初のHO、16番製品です。



今のスーパーディテール製品とは比べようがないのですが当時は最高級品。



当時の製品としてはプロポーションも良好。



まだ埃を被ってますがあとで洗浄します。



実車は大正9年登場。300両近く作られ広く全国へ配置されました。秋田では1960年代半ばまで活躍。最後は羽越本線で使われていました。

模型は昭和ヒト桁時代、給水温め器やデフが付く前の姿。



C51225号機は長く関西に居て戦前から終戦直後にかけてお召し列車にも使われました。



到着後モーターや各部に給脂。



当初はぎこちない動きでしたが原因はテンダーと機関車を連結するドローバーの接触不良でした。



早速京都の老舗、マツモト模型のナハ2200系客車と繋げます。



実はコレがやりたかったのです。

古いTMS誌を読んでいると当時のオールドファンがC51にダブルルーフの客車を牽かせ楽しんでいる記事が出ていました。当時の自分はその良さが判りませんでしたが、まさか自分がその姿に憧れるとは。このC51やマツモト模型のナハ22000系も昭和ヒト桁世代、オールドファンの遺品でしょう。



広く駅構内に並ぶダブルルーフ客車と大きな美しいスポーク動輪を持つC51との並び。



昭和ヒト桁時代、東北は冷害による凶作が続き農村は飢饉に。加えて昭和初期の大恐慌から経済は破滅。政府は軍備に金をかけるも民は救わず、街道には行き倒れや餓死者が並びまさに地獄だったと貧しい農家出身の祖母は語っていました。祖母自身親に身売りされる前に秋田市に奉公へ。

祖母の弟二人は徴兵され南方で戦死。決してバラ色の時代ではありません。



昭和100年とは言いますがあれだけ大きな戦争で壊滅したのに再び兵器を買い漁り、国民の資産が円安で目減りし物価高で苦しんでいても史上最高の税収を誇り、演説で「楽しい日本を目指す」と言う石破や自民盗。気が狂っているとしか思えません。




NHK 「プロジェクトX」ナレーションでお馴染みの田口トモロヲ。1980年代半ばにはパンクバンドのボーカルをしていました。

私の中の田口トモロヲはこちらです。

ばちかぶり 「産業」。