母の病気 | ママソムリエールのバンコク滞在記

ママソムリエールのバンコク滞在記

天職のソムリエールとして長年勤務、途中育休&復職を経てキャリアアップに邁進。そこで夫のバンコク赴任により退職し駐妻へ。駐妻のキャリアの模索や、母としてソムリエールとしてバンコク生活を意味のあるものにしたいと奮闘する日々を綴ります。

こんにちは!

バンコク在中のママソムリエールですウインク


風邪を引きましたゲホゲホ

娘→息子→私ときて、私は朝起きたら声を失いましたガーン

今まで、子供の風邪はあまり移らなかったのですが、1週間超の夫出張でのワンオペ生活で疲れていたので、あっさりやられてしまいましたショック

来週はいろいろと予定があるんです。

早く治ってくれおーっ!


さて、今日は母の病気について。


と言っても、今現在、母は寛解してから3年くらい経っています。


そう、『寛解』。


これは、ガンになって、その後ガンが身体から無くなった状態を言います。


母は、5年前に悪性リンパ腫になりました。


血液のガンです。


(私のブログは、闘病記録ではないので、今回もそんなに詳しくは書きません。


でも、チラリとでも私のブログを見てくださる方に、母が罹ったごく稀なガンについて、知らないより頭の片隅にでもある方が、何かのときに役に立つ可能性があるかな、と思って書きます。)


事の発端は、私が第一子を里帰り出産して、その後実家でお世話になっていたときのこと。


母が、「身体が痒くてどんどん痒みの範囲が広がっている」と言い出しました。


近所の皮膚科に行ってみても、
「高齢になると抵抗力が無くなって、いろいろでたりするからね」と医師に言われ、
「高齢による皮膚炎」という診断になっていました。


私の里帰りが終わり、生まれた娘と自宅に戻ってから少ししたころに、「母がガンかどうかの生体検査をして結果まち」と連絡がきました。


もう、それはそれは急な話でびっくりして。


母はなかなか良くならない身体の痒みを他の病院でも見てもらおうと、たまたま以前見てもらったことがあり、診察券をもっていた、東京都内の大きな病院を予約して行ってみたそうです🏥


すると、たまたま診て下さった医師が、ちょうど担当している患者さんの病状によく似ていると、ある悪性リンパ腫を疑って、生体検査をしてくれました。


※生体検査とは・・・ガンと思われる箇所を切り取って、ガンかどうか調べるもの。母は、脇の下のリンパを切りました。


当時の母の病状は、ほぼ全身のかぶれ&かゆみ、リンパの腫れでした。


そして、母の検査結果は、

悪性リンパ腫 ステージ1b

病名:『菌状息肉症』
   きんじょうそくにくしょう

10万人に1人ほどが罹る稀な病気。
遺伝性なし。家族親戚で罹った人なし。

悪性リンパ腫の一種の皮膚リンパ腫で、免疫細胞が通常ではない状態になってしまい、起こる病気だそうです。

症状は、皮膚のかゆみとリンパの腫れ。
病状が進むと、皮膚の腫瘤や体内で固形ガンへの転移の可能性が出てきます。

原因は不明だそうです。



検査結果が出てから、母の治療が始まりました。


と言っても、抗がん剤を使うことはなく、この病気特有の、皮膚への治療でした。


母の病気に関しては、血液内科と皮膚科の医師それぞれに診てもらう必要があり、治療はPUVAによる光化学療法とステロイドの軟膏(アンテベート)の処方。


このPUVAは、いわゆる日焼けサロンマシーンみたいなもので、治療用の紫外線を全身で浴びるものだそうです。


実際、この治療に通う間、母はまさに日焼けサロンへ行ったように全身が焼けていました💦


初めは週に1回だったか。。。
すみません、ちゃんと覚えていない。


それが、2週間に1回になり、1ヶ月に1回になり。


途中、病状が落ち着いてきたのと、片田舎から1時間以上もかけて都内の病院へ通うのを危惧してくれた担当医が、母の自宅近くでPUVAのマシーンがある病院を探して下さり、まさかの自宅から徒歩10分で治療に通えるようになったのです。

さらにマシーンがあるのがまさかの「高齢による皮膚炎」と診断した皮膚科だった滝汗


こうして、母はPUVAは近所の皮膚科へ、3ヶ月に1回は都内の病院へ血液内科と皮膚科の担当医に経過を診てもらうということを続け、発病から1年半くらいして、『寛解』となったのです。


発病からの母の様子ですが、一番辛かった皮膚のかゆみは少しずつひけ、もともといくつかの習い事やパートなどしていたのを少しはセーブしたようですが、それでも忙しそうに生活をしていました。


そして今は、再発に気をつけながらも、趣味にパートに忙しくしていますニコニコ
ちなみに、最近は都内の病院ももう通っていないそうです。


去年の今頃は、下の子をバンコクで生んだ私の産後のお手伝いで、1ヶ月ほどバンコクに来てくれました。


その時は、来なくていいよって言ったんですけどね。


だって、病気が発症したとき、上の子の出産の里帰り中で、母に無理をさせたのが病気の発端じゃないかと気になっていたのでショボーン


でも母は来てくれて、下の子の産後お世話になり、その後も今も元気に生活しています。


長くなりましたが、「こんな病気もあるんだな〜」と思って頂ければ幸いですほっこり


↓老化は否めないけど、母はマイペースでとても元気です。