理想のお母さん像 | ママソムリエールのバンコク滞在記

ママソムリエールのバンコク滞在記

天職のソムリエールとして長年勤務、途中育休&復職を経てキャリアアップに邁進。そこで夫のバンコク赴任により退職し駐妻へ。駐妻のキャリアの模索や、母としてソムリエールとしてバンコク生活を意味のあるものにしたいと奮闘する日々を綴ります。

こんにちは!

バンコク在住のママソムリエールですウインク

唐突ですが、理想のお母さん像ってありますか?

専業主婦だった母は、小さな頃から私が家に帰るとほぼ必ずいて、「おかえり〜」と迎えてくれました。

私も母になったら、こうなるんだと思っていた。

そう、

「理想のお母さん像」
     ↓
家事をしっかりやる
育児をしっかりやる

そして、お母さん像はほぼほぼ私の母だったんです。

けっこうな方が、無意識に自分の母親をお母さん像にしてるんじゃないかな??


日本でのやりがいある仕事をやめ、いよいよ駐妻として専業主婦になった私は、母のようにやらないと、と理想のお母さん像に自分を当てはめるように頑張りました。

そしてしばらくして、駐妻モヤモヤ発症ガーン

働きたいのに働けない、家事苦手、育児苦手。。。

そして、自分が理想のお母さん像にとらわれていたことを自覚し、その発端であると私は違うんだ、私は私!!と強く思うようになりました。

でも私、最近思い出したんです。

母はいわゆる「理想のお母さん」じゃなかった!!

これ、良い意味で(たぶん)。

私が小さい時(3歳くらい?)、好奇心のかたまりで、見るもの聞くものなんでももっと知りたくて、遊び回っていました。

人は誰でもお友達お願い←知らない人でも。

仕事に行く父親を母と見送った後、目を離すと私は消えていたそうな。

初めは探し回っていた母ですが、ある日あきらめたそうです。

たいがい近所の誰かの家で遊んでいたりしていたから、と。

母が放置してくれたおかげで、私はのびのびと育つことができましたウインク

「今は誘拐されそうで怖くてそんなことできないわね〜!」と言っていたけど、当時だって毎日3歳児を自由に出歩かせていたら危ないような?

何もなく結果オーライということにしたいのですが、とにかく母は頑張って母でいることを、当時からあきらめたわけです。


その後、私が中学生になり、テストや受験勉強前にはがむしゃらに勉強をしていました。

ほんと、目から火が出そうなくらいムキー

実際、テスト勉強中に集中しすぎて歯ぎしりしたことあります真顔

こんな感じで、勉強に全身全霊でイライラしながら取り組む私の部屋に、ある日母は涼しい顔で入ってきて

「ねぇ、彼氏できた?」

ポーンポーンポーンポーンポーン


「私は電車で隣になった人から声かけられて、とりあえずデートしてみたわよ〜。中学の頃には彼氏いたし」

チーンチーンチーンチーンチーン


ほんっっと、びっくりしましたね。

「勉強しなさい!」って全く言わない母なのはありがたかったのですが、勉強頑張ってる娘に「彼氏くらい作りなさいよ〜」みたいな話しをひょうひょうとするのはびっくりでした。

ちなみに、中学時代なんて全く彼はいなかったです。部活と勉強のみ。け、健全じゃん。。にやり

こんな母、私が彼ができると喜び、彼だろうと友達だろうと、ちゃんと予定を伝えれば遊びも外泊も問題なし!でした。

これもまた、世間一般のお母さん像とは違うんじゃないかな?


いつの間にか、母を「古風なお母さん像」に当てはめていましたが、母は母なりに自分らしいお母さんをやっていたんです。

だから、私も私らしいお母さんでいい!

今回は、よくよく考えたら自分で自分を苦しめていたという話しでした笑い泣き



けっこう変わった母よね↑