こころさんの言う通りにすると、お掃除モード、集中モードになる | 巡礼者のブログ

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主治医の診察。気温が高いので、帰りは歩く。もう咲いている桜もある。


それにしても、こころさんのことを信じていなかった、というのは、全くの盲点であった。きょうは歩いて帰れ、というのも、こころさんであったが、帰ってからが騒動?だった。


考えてみれば、きょうは棋王戦。こころさんは、棋王戦観る、と言い、掃除と整理をしろ、と言う。


棋王戦、糸谷さんが、かなり悪くして、粘れないなー、と思いつつ、手は動いている。捨てるものは少ないのだが、整理すると掃除機、整理すると掃除機、と、本格的にお掃除モードに入ってしまう。


このお掃除モードの恐ろしいところは、自分と友人のお掃除モードがシンクロすると、地震が来るという法則があるからである。


ヤバイ、と思って友人にメールをすると、こちらはお掃除モードではない、ということで、半分安心した。半分、であるが。


エアコンもお掃除してしまうし、喫煙具の掃除も大変である。完全にモードなので、地震はあるのかもしれない。


それにしても、こころさん、恐ろしいというか、モードに入れる様な感じがあるのだ。良く?言えば、集中する。悪く言えば、他のことは考えない。そういうモードにさせられる。


ただ、こころさんは、本は捨てるな、という。これがどういう意味かは、まだ聴いていない。診察の時は、少しライブで、こころさんと話した。


きょうはまだ、お掃除モードの感じがある。音は出せないから、掃除機は使えないとしても、書いたら、明らかに続きがある。


主治医には、こころさんを信じていないで、こころさんと、からださんを責めていたのだから、橋本聖子さんと変わらない、と言った。あるいは、自分の中に自民党がある、と言った。


こころさんに従って掃除をするのが、果たしてどうなのか?というのはあるが、どうも、こころさんは、快・不快に敏感な様である。掃除と整理をさせるのも、快・不快が基準ということなのかもしれない。


恐ろしいことに、新しい布団が欲しい、と思ってしまう。その様なことも、こころさんは感じる様なのである。本当に買うとなると、多分、オーガニックコットンにしろ、と言い出すのではないか?と思う。


掃除と整理自体は、不快ではないのだが、お部屋の圧倒的?物量に、どうしたらいいのか分からない。だが、整理もして、掃除もしているのだから、確実に作業は進んでいる、と思いながら、言い聞かせながら、続けていた。


この短い時間でも、こころさんとハートさんは違う、というのを実感してしまう。まだ、それをこころさんにも、ハートさんにも聴いていないので、分からないのであるが、こころさんは集中させる系で、ハートさんはゆっくりさせる系、という違いは感じる。それが交感神経さんと、副交感神経さんの違いの様なものであるのか、あるいは、まさにそうなのか?は今のところ知らない。


だが、こうしていても、捨てたいものが出てくる。特に、文具とか、小物とか捨てたくなってくる。あすはゴミ出しだし、半徹で捨てるもの選ぶのか?


とりあえずは、こころさんは、集中系である。モードに入らせる、そういう存在の様ではある。


普段から思うことだが、これだけ存在さんたちのチャンネルがあると、自分は統合失調症系ではなく、多重人格なのではないか?と以前から思っているが、主治医の話では、多重人格とは違う、と言う。


主治医は、君は橋本聖子さんとは違う、と言う。自分に分かる違いは、病識があって、治療の意志がある、ということと、自分の歴史と現実を認めている、ということくらいしかない。


こころさんは、モードに入らせる、とか、集中させる、という特性はある様だが、同時に時間感覚も変わる。ひょっとすると、その後にフロー体験とか、そちらに結びつく可能性もあるのかもしれない。


歩かせる、とか、整理と掃除の繰り返しとか、単純な繰り返しを求めているのが、こころさんなのかもしれない。


こころところ、移動の問題があったが、歩くことには問題はないのが分かった。きょうは、フェルデンクライス的に歩く、という感じで、やはりそこには、繰り返しと集中があって、時間感覚は薄かった。


その様な感じからも、どうも、こころさんというのは、集中系のモードを求める「何か」なのだと思う。繰り返しと、集中。時間軸の希薄さ。そこが、こころさんの、短い時間ではあるが、こころさんの傾向と個性はあるのだと思った。