こころさんの事を信じていなかったことに気がついた | 巡礼者のブログ

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爆睡して、朝のひと通りの作業を終えて、ふと、思った。「そうか、オレはこころさんの事を信じてないんだ!」と、それだけの話である。


モーニングページも、きょう、どうするのか?とか、それが分からないとか、そんな事ばかり書いているのだが、「そうか、こころさんを信じてないからか」と、妙に腑に落ちたのであった。


で、こころさんと、いろいろ話してみて、きょう、どうする?とか、どこかに行く?とか、何もしない?とか、そんな話だったのだが、「お料理!」ということで、こころさんと接点があった。


そうか、と。


で、ここのところ、妙に「ニラ玉オムレツ」という言葉が、自分を支配?して?いたのであるが、ニラさんが高かった。


で、スーパーに電話してみると、六十円、というので、ニラ玉オムレツを、もちろん、ポリ袋調理と、はかせなべの保温調理でやる、ということにしたのであった。


残念ながら、そのスーパーのニラは少ししなびていたが、まあ、いいや、と、そこでニラさん、他、を買って、ひさびさに一年間食ってるものをやめたのであった。


ちょっと、保温調理話6分では足りなかったが、失敗した場合は、憶えるので、修正しないで、失敗したまま、食った。責任持って、成仏させればいいのである。


更に、お料理と呼べるかは別として、これもひさびさに炊飯器でご飯炊いて、やまといも、とニンニクをすって、いろいろぶち込んで、豪華版の納豆ご飯を食ったのは、多分、二年振り?くらいなのではないか?


ニラ、まだ半分残ってるし、あすもニラ玉オムレツは時間を変えてやるだろう。


お料理が、そのまま創造力になるのかは、これくらいでは分からないのだが、ネットで調べても、ニラ玉というのは、奥の深い献立だと分かったし、場合によっては、ポリ袋調理と保温調理の合わせ技にこだわらなくても、別のやり方も試してみたい、と思ったのである。


お料理が、子供的な創造力を喚起するかは、まだ分からないのであるが、お料理なぞ出来るのは、今のうちだな、と、ある種の諦めもある。お料理どころの世の中では、すでになくなっている。


というか、日本人というのは、震災があって、原発が爆発しても、コロナ禍があっても、なんにも変わらない、という恐ろしい民族である。


まあ、日本は、完全に落ちこぼれ。日本は終わるのであるから、お料理なぞ、やってられるのは、今のうち、なんである。


そういう日本から逃げるのか?あるいは、まだ日本の一部の地域では、生きていけるのか?という話で、都内で日本円とか、資産とか持ってることが無意味になる日は近いのであろう。


極貧の自分がどうなるか?というと、真っ先に死ぬ筈なのだが、特にこの世に未練がある訳でもないので、しばらくはお料理か、と思ったりするのである。


生き延びるにしても、死ぬにしても、まあ、気合いを入れていきましょう、としか言い様がない。お米さんなぞ食えるのは、今のうち。お米さんも食えないなら、やっぱりブレサリアンの準備とかしないといけないのか?と思ったらする。


呼吸法の訓練?とか、あんまり長続きしない。寝て、呼吸を観察するくらいしか出来ない。最近、また早朝に起きられないので、太陽凝視もしていない。からださんは、とにかく眠りたいと思っている様である。


とは言え、そうか、こころさんの事を信じていないのだ、と腑に落ちて、こころさんとの、日常生活の接点というのも見つかった。


今までは、ハートさんと、からださんの言い分は聴く、みたいな状態だったが、実情は、こころさんと、からださんを責めていたんだな。殆ど、橋本聖子さん状態というか。


橋本聖子さんの記事とか、言葉とかをみると、親からの虐待も酷いが、自分で自分を虐待してるんだな。本人は病識ないし。


自分と橋本聖子さんの違いがあるとすれば、病識あって治療を受けてるのと、こころさんとか、からださんとか、存在さんと話して、その言い分を聴いてる、という事くらいか。それだけでも、在り方としては、まるで違う訳だが。


こころさんを信頼していなかった、って、幼児の頃からの性欲とか、それがなかったら死んでるとか、そのあたりが相当にある筈なんだな。ふしだらな性欲あったら、生きてちゃいけない、とか。


こころさん、とか、からださん、とか、認めるなら、自分はあってはならない、とする思考をやめるしかないんだな。


からださんと、こころさんの分裂とか、その問題もあるけど、とりあえず、「こころさんのおもむくまま」という風にしないといけない。


しかし、性欲の問題は根が深い。単なる脚フェチの変態性欲という話ではない。幼児のときにそれが発動しなかったら、あるいは、発動したから、中学生で自殺していた訳だから。


性欲が発動しても、しなくても、どっちでも自殺の道しかなかったのに、生き延びてしまって、このザマである。