所  謂、  東  京  散  歩。 -25ページ目

所  謂、  東  京  散  歩。



世 間 に 遍 く 知 れ 渡 っ た 名 所 や、

少 し 胡 散 臭 い 好 事 家 向 き の 数 多 の 珍 ス ポ ッ ト。

倦 む こ と の な い 東 京 散 歩 の 備 忘 録 で す。

kuzira


 実際よりも大きく立派に撮れましたが
 高さはせいぜい70cm。
「シーシェパード」に目くじら立てられる
 “捕鯨賛成の街”が東京にも???
 コレが案外【的ハズレ】の冗談ではなく、
 とここ「人形町」は繋がりがあるようで・・・。
 
「文楽(人形浄瑠璃)のあやつり人形」などを繰る人形師や
 それを作る人・修理する人・商う人が
 この街に集まったことから江戸時代には「人形丁」と呼ばれ、
 昭和8年に「人形町」という正式な地名に。
 その人形の必要な部品として
 今でも【鯨の】が使われているそうで、
 特に精密な首の動きはこのバネの弾性でなければ
 出すことが出来ないとか・・・。
 
「捕鯨禁止は日本の伝統文化の衰退に繋がるの?」と思いましたが、
 大量に必要なモノではなく在庫もあり
 調査捕鯨対象の「ミンククジラ(ヒゲクジラ亜目)」からも入手可能みたいです。
 「文楽」といえば大阪の橋下さんに「努力が足りない!」と噛みつかれてましたが、【鯨の髭】も新素材などを試して、努力の範疇でどうにかできない?( ̄_ ̄ i)


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KISIDA


 “切通しの坂”とは
 急斜面の難所に道を造る時、
 角度をなるべくなだらかにする目的で
 斜面を削って道を通したため
 左右に土などの高い壁ができた場所のこと。
 
 写真の坂も今は何の変哲もない坂ですが、
 昔は立派な壁がそそり立つ“切通しの坂”だったとか。
 それを証明してくれるのが
 画家「岸田劉生(1891~1929年)」が残した
『切通之写生図』のシリーズの一つ『道路と土手と塀』(下の絵)
 作品で見られる道に面した左右の“壁”は
 今は全て取り払われてしまってはいますが、
 全体の風情や特に道の左側の膨らみの形には
 98年前の面影がまだしっかりと残っています。
 ※「岸田劉生」といえば娘を描いた「麗子像」のシリーズが真っ先に浮かびますが、写実を窮めた「風景画」や「静物画」にも名作を残しています(^_^)v
 
KISIDAP

 ↑岸田劉生『道路と土手と塀(切通之写生図)』(1915年・56×53cm・近代美術館)


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oppai


「世田谷公園」にある【平和の祈り】の像。
 他にも園内には【平和の灯】という
 火(広島・長崎の火などで点火)が灯り続けるモニュメントや
【被爆二世の木】などもあり、
 昭和60年に“平和都市宣言”を行った「世田谷区」を象徴する公園です。
 “平和”は人類の「永遠のテーマ」ですネ~。

 この像を制作した彫刻家・佐藤助雄氏は
 一貫して少女や若い女性をモチーフに制作を行っていたみたい。
 女性の若々しい生命力・気品に満ちたフォルムに惹かれ
 その研究を一生のテーマと決めたのでしょうか?
  
 具象彫刻家の一生をかけた制作活動のみならず
 
“理想の女性像”は男性の「永遠のテーマ」ですネ~。
 だから像が手に持つ“平和の灯火”よりも
 ついつい“おっぱいポロリ”の方に
 私の目が行ってしまうのも仕方がないことかと・・・。
 

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katate


「人間」を上手く描くコツの一つが“重心”。
 コレがおかしいと全体のバランスが崩れ、
 不自然な印象になります。
 ※片足の場合、どんなポーズをとっても“重心”の場所は立っている足の裏の中央が基本(^_^)v
 
「渋谷インフォスタワー」の広場に立つ
【片手で逆立ち】の彫刻。
 右に“重心”が寄り過ぎで倒れてしまいそう。
 作者は「粟津潔(1929~2009年)」、
 1950年代から世界のグラフィックデザインを牽引し
 建築・舞台美術・映画美術などにも幅広く活躍した巨匠デザイナー。
 台座に掘られた作品タイトルは「天女」でした。
 
 グルリと一周して見ても「天女」に見えず、
 “骨格”や“筋肉”の表現も曖昧で違和感だらけ・・・。
 タイトルも含めた全体から感じる【アンバランス】が
 隠された本当の作品テーマでは? とさえ思える
 多き彫刻でした。(下に謎解き↓)
 

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 ※実は作品の正式タイトルは「晴彗星-天女」らしく、夜空で輝く「ハレー彗星」を「天女」に見立てた作品みたい! 無重力の宇宙なら“重心”なんて無視ですね~(^_^
;)v

tenshin


 谷中にある「岡倉天心記念公園」。
 敷地の奥に建てられた“六角形”の小さなお堂の中に
 仏像のように金色に光り輝く「岡倉天心像」があります。
 金無垢では無いでしょうに、お堂の窓は鉄格子が入ってとても厳重(T▽T;)
「岡倉天心」は東京藝術大学(当時は東京美術学校)の設立に貢献し
 校長にもなった人だということだけは何となく知っていたので、
 てっきり高名な画家(または彫刻家)の先生かと・・・。
 ※手の部分が不自然に切れているのは、作者:平櫛田中が原型を壊すのをためらい腹の上だけ保管していたものから、後に鋳造されたというのが理由みたい(・・)
 
 明治維新の最中、
 仏教を悪しき伝統だと捉えた“仏教排斥運動”でおきた“廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)”で
 全国の仏像が次々と寺から引きずり出され破壊されていきました。
 ※「廃仏毀釈」はまるで“タリバン”がバーミヤンで行った「石仏爆破」のようですネ(iДi)
 その時文部省の官僚だった「岡倉天心」は
 文化財保護の法律の礎をつくり、
 美術的価値の高い仏像の保護に力を注いだとか。
 ※天心は英語が堪能だったため、フェノロサ(日本の古美術に強い関心を持ったアメリカ人)の通訳を東京大学在学中に務めたことが大きく影響しているようです。
 天平時代の屈指の名作といわれる
 有名な「東大寺」の“不空羂索観音立像”や「興福寺」の“阿修羅像”も
 この時「天心」らにより修復されたものの一つ。
 
 その修復活動の中心にもなった
「天心」創設の「日本美術院」があった場所が
 現在この公園になっているのです。
 ※「日本美術院」は、西洋化の波に乗る“西洋美術派”との対立から起きた“排斥運動”で校長を辞職した「天心」が、「横山大観」らと共につくった“美術団体”。
 

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 金無垢では無いでしょうに、お堂の窓は鉄格子でとっても厳重(T▽T;)

inko


 昨年のブログで紹介した、
 下北沢の「森巖寺」境内にある幼稚園の庭に立つ
 大きな【イチョウ】の木。
(こちらが「黄色い葉っぱの絨毯」が敷かれた“秋の園庭”です→●
 
 前回は立派なイチョウの幹が写っていなかったので
 改めてご紹介を・・・っていう趣旨ではなく、
 お見せしたいのは木の上。
 すっかり葉っぱが落ちた枝(左上)に留まっている
 鮮やかな黄緑色をした2匹のなのですが・・・。
 
小さすぎ~? 2匹は少し離れて留まっています。見えるのかな~? 携帯じゃー無理だろうナ~(T_T)
 
 名前を「ワカケホンセイインコ」といい
 見慣れた「セキセイインコ」より断然大きな全長40cmくらい。
 元々の生息地はインドやスリランカあたりのトロピカルな鳥。
 ペットとして飼われていたものが
 関東地区では野生化しているようです。
 
※“ワカケダンス”と呼ばれる特有の踊りをしたり、人間を真似てしゃべるようにもなることから「ペット」として人気が高いみたい(°∀°)b
 
 名前の「ワカケ:輪掛」は“首に黒い輪を掛けたような模様”があるから。
 そして「ホンセイ:本青」とは“ホントに青い”という意味ですが、
 古い日本語には赤・黒・白・青の4色しか無く
 灰色や緑色も「青」と呼ばれたみたい。
 “青リンゴ”や”青唐辛子”が
「青」で無く「緑色」なのと同じ理由です。
 ※姿をハッキリお見せしようと、普段使わない望遠でも撮ったのですが、全て前の枝にキレイにピントが合っていました。アップの画像はネットで探して~(;´Д`)


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hato


 茂みに半分隠れてしゃがみ込む
 目黒区「駒場野公園」の中にある像。
 緑を手で掻き分けないと見えない台座に
 掘られた“タイトル”は、
 見たままの「少年」の二文字。
 
 茂みにしゃがんでするものといったら・・・・・・、
 雑念だらけの私には
 お下劣な“別タイトル”が
 頭に浮かんでしまって離れません。
 
 
 でもどうやらコレは
 彫刻家・瀬戸剛氏の「少年シリーズ」で
 “正式タイトル”は「少年・・・4(鳩)」というみたい。
 言われてみれば左手を前に伸ばし
 足元にを呼んでいるようにも・・・。
  
 勘違いしちゃうから、 
 “タイトル”は見やすい場所に正確に表記して~
 お願~い!
 

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yonkai


 “迷路”というには
 ちょっと単純すぎるかも知れませんが、
 中に入ると自分が今どの場所にいるのか
 分からなくなってしまう点では
 確かに“迷路”なのかも知れません。
 裏面もパターンは違いますが同じような構造で、
 表裏を行き来してゴール(?)の
 最上階を目指します。
 
 この公園があるのは
 広大な団地群「都営下馬アパート」の敷地内。
 周りの団地の殆どは
 “迷路”よりも1階高い5階建でした。


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inuinu


 五代将軍・綱吉によって
 “生類憐れみの令”が出された江戸の時代、
「中野」は現在の区役所あたりを中心に
 約30万坪(東京ドーム約20個分)もの
 “犬囲い”と呼ばれた大きな犬の住居でした。
 そこには幕府によって集められた
 約8万頭もの犬が暮らしていたとか。
 
 その頃の「江戸」の人口は
 85万人で世界最大規模の街。
 それに比べても8万頭の犬は多過ぎない?
 とも思いましたが、
 現在日本での犬の飼育頭数は
 約1,200万頭で人口の約1/10の数。
 江戸時代も今も
 犬と人間の数の比率は
 そんなに変わっていないようです。

 “生類憐れみの令”は一般的に
「天下の悪法」などと言われますが、
 実際の対象は犬だけでなく
 猫・鳥・魚などの生き物から
 人間の幼児や老人にまで及んだものだとか。
 現在「動物愛護」は当たり前で、
「児童虐待防止」「高齢者福祉」などにも繋がる
 時代を先取りした一面もある
 “おふれ”だったのかも。
 まとまりが無いポーズを各自で取る「犬の像」。「犬囲い」を記念して“中野区役所前”に立てられていますU^ェ^U 


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tama


 素晴らしく大きな自慢の“玉”を
 両手で抱えた「狸」の石像、
 下には“抜群”の文字。
 
 徳川3代将軍「家光」に見初められ
 側室となった「桂昌院(けいしょういん)」は
 元は「お玉」という名の八百屋の娘だったそうで、
 徳川5代将軍「綱吉」(“生類憐れみの令”で有名)を産んで
 将軍の母にまで成った大出世から
【玉の輿】という言葉が生まれたのだとか(一説)
 
 オタクの聖地・秋葉原にある「柳森稲荷神社」には
 その「桂昌院」が崇拝したという
 “福寿神”=“狸”が祀られているのです。
 “玉”の他にも“狸→他抜き→他を抜く”という語呂合わせもあり、
「玉の輿」にあやかりたい女性に人気がある場所だとか。
 ※稲荷の定番“狐”の像もあり、まるでドロドロとした女性同士の関係にありがちな【狸と狐の化かし合い】的な風景のようにも・・・(・_・;)
 

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