助監督という仕事を振り返って。

 

 




「助監督やってね」と
軽く言われたあの日、
その仕事がどういうもので
なにをどうしたらいいのか
全く分かっていませんでした。

助監督とは、とググってみて
よく理解できなかったのを覚えています。
わからないけど
小枝がそう言うなら
出来るんかもな。
あの人はそんな風に思わせる人です。


ただ、振り返ってみると、
私には決定的に
わかっていたことがありました。


小枝純子という人が
この世界に何をしに来ているのかってこと。

 

 




本人に聞き取りをした訳では
無いです。でも真実だと
私が思っています。

あの日。
彼女が踊っている姿を
初めて見たときに
私はこの世界の「本当」に
気がついてしまったんです。

彼女の踊りは
彼女に言わせたら
何年もブランクがあって
現役とは比べ物にならないもの
だったと思います。

でも私がその時見たものは
ただのダンスではなく
ひとつの魂が
焦がれてやまないものと
ひとつになれる喜びでした。

踊れること、表現できることが
彼女にとって
その魂と同じくらい
尊く、同じ重さに見えました。

ダンスに出会い、
表現というものを愛し慈しみ、
切ないほどに焦がれるそれを
両手で掲げて、全てを注ぐ。

現実の世界を生きていた私にとって
それは、
人間が生きていることの「本当の意味」、
巧妙に隠されていた「真実」を
垣間見た瞬間でした。

私が日常見せられている
現実というスクリーンの裏の
真実を知ってしまった。
これまでの全部が虚像だったんだと
理解した瞬間でした。





ダンス経験もほぼなく
舞台に立ったこともない私にとって、
ダンスの映像作品での
【助監督】という仕事は
途方もないものなのは
理解していましたが。

小枝という人の魂が
この世界で全うしたいことを
誰よりも
「知っている」という
自負はあったのだと思います。




 

魂と同じ重さのものは
その人にとって
かけがえのない大事なもので
好きで好きでやまないもの。
生きる喜びや
苦しさとも直結していると
私は思っていて。
誰もが持っているものだと
私は信じています。
それに自分で気がつく人は少ないのかも
しれませんが。






「狂疑乱舞」での10ヶ月の間。

小枝は監督として
作品を作り、フリを与え、
指導し、引っ張っていく。
衣装や大道具なども自身で
やっていました。

表向きは、作品をみんなでつくろう
なんですが。
小枝監督はその姿を通して
懸命にひとつのものに向かって生きる様
を周りに見せていました。
やること全てが、そこにつながっていたんです。

私は
助監督として
皆が小枝のように
全部で「本当に生きること」に向かえるように
ひとりひとりに伝え、
サポートしたかったんだなと
振り返ってみて感じます。

現実に惑わされていることに気がつき
そのままの自分自身を受け入れ
自らが何を求めてやまないのかを知り
それに向かえる自分と
たった今に感謝する。

とても
大変な作業ですが
小枝の作る世界では
それがとてもやりやすい。
これは助監督をやっていく途中で
みんなを見ていて
気がついたことです。

 

 

 




2024年。
私は踊ることにしました。
この年になって、全く未経験で
表現の世界に入りたいと思うなんて 
自分でも驚きですが。

昨年、自分を信じて頑張って
生きることが変わった人たちを
この目で見てきました。

私もかけがえない日々を
好きなこと、
やりたいたいと感じたことに
費やしてみたいのです。