マレットの囁き -32ページ目

マレットの囁き

ご訪問ありがとうございます。

NHKの朝ドラで、みんな無事に帰還できましたが…。

 

激戦を経験した人が経験した「地獄」は

 

この先も語られる事はないでしょう。

 

メディアでは表現できない程、すさまじい苛烈で過酷な現実は

 

実際にその現場を体験した人でなければ

 

決して分かるはずもない世界なのです。

 

実際に体験した人は、決して思い出したくもない

 

それほど辛辣で苦痛に満ちた事なのです。

 

今の軍事演習しか体験したことのない自衛隊員や

 

ましてや、戦争の悲惨さを全く知らない世代の人々が

 

想像だにもできない地獄絵があることなど、

 

分かれという方が無理なのです。

 

PKOに参加した自衛隊員が

 

無事に帰還できたことを喜ぶ様は

 

瞬間たりと言えども生死の境を体験した

 

まさに、象徴とも言えるでしょう。

 

戦争とは殺すのが当たり前、死んでも当然。

 

それが常識となる異常な世界なのです。

 

最近テレビ番組で、よく昆虫食を見ます。

 

薄気味悪くてとてもそんなもの食べられないという人が多いでしょうね。

 

テレビで紹介されるのは、調理されたものですが、

 

太平洋戦争中のニューギニアやフィリピンでは

 

生きた昆虫をそのまま食べるのは普通の事だったのです。

 

それでも食べるものが無くて、

 

死んだ戦友のわずかに残った肉さえも食べざるを得なかった。

 

自分が生き延びてこそ、先に死んでいった戦友も浮かばれるのだと。

 

このような体験をされた方は、決してこの時のことを語りません。

 

こんなことを思い出したくもないと思う事は当たり前でしょう。

 

悲惨な戦争体験を口に閉ざしてしまう人の多い中、

 

それを良い事にするかのように、再軍備を目指した憲法改正をしようとする。

 

戦争体験者がそうするのなら、まだ一考の余地はあります。

 

しかし、戦争体験もない者共が、

 

戦争が出来る国に憲法を改正しようとする等は、

 

到底容認できるものではありません。

 

自衛隊を正規軍とする必要性があるという方々は、

 

一度戦地に行って、戦争とはどういうものかを

 

実際にその身で体験されることをお勧めします。

 

自分たちは安全な場所に居て、

 

危険なことは他人任せというのは

 

無責任極まりないとは思いませんか。

 

 

 

 

 

 

先の沖縄県知事選挙で

 

普天間基地の辺野古への移転反対という

 

沖縄県民の意思が示されました。

 

ところが、政府に対して話し合いを求めた新沖縄県知事に対し、

 

話し合いの協議もしないうちに

 

辺野古への移設工事を再開させました。

 

その際の政府の説明は、

 

日本は法治国家だから法に基づいて執行すると。

 

つまり、主権者たる沖縄県民=日本国民より

 

政府独自の法律の方が優越するということ。

 

これでは明らかな主権侵害です。

 

主権者たる国民は選挙権によって、その権利を行使します。

 

選挙結果は主権者の意思の表明。

 

民主主義国家においては最も尊重すべき意思です。

 

この点が崩されてしまえば、もはや民主主義とは言えません。

 

政治権力が国民の権利を脅かす時には

 

憲法によって権力の暴走を止める必要があります。

 

憲法改正の必要があるとするならば、

 

現在の暴走する政府に歯止めをかける法案を

 

最優先として速やかに協議すべきでしょう。

 

本来政府が県と争うのは極めて異常なことです。

 

まして辺野古の基地移設で最高裁の判決を仰ぐなどとは

 

政府としては最も恥ずべきことのはずでした。

 

何故なら行政府で解決できない=無能だから

 

司法に判断を委ねるのですから。

 

正に厚顔無恥にもほどがあります。

 

法律を盾に主権を侵害するのであれば、

 

主権者たる国民に選出された政府閣僚たちも

 

その存在を否定することになるのだという事を

 

はっきりと肝に銘じるべきです。

 

沖縄の基地移設に関して政府が取るべき態度は、

 

まず協議の席に着くこと。

 

そして辺野古移設ありきという姿勢は一旦取り払って、

 

場合によっては米軍を交えた三者協議で

 

沖縄県外への移設を含めて協議すべきでしょう。

 

当初米軍はグァムへの移設も考慮していたはずですが、

 

恐らくは安倍政権下で日本側から辺野古への移設を

 

それこそ確定事項として伝えたのではないかとも疑われます。

 

そうでなければこれほど頑なに辺野古移設にこだわるのはおかしい。

 

もしそうだとしたら、自分たちの決定事項を押し付けるために

 

沖縄県民の意思を無視していることになります。

 

沖縄県民を主権者たる日本国民とみているならば、

 

今行っていることがどれほどの暴挙か分かりそうなものです。

 

自分たちの推薦した候補を破って当選した知事など、

 

所詮は単なる政敵に他ならないのでしょう。

 

その背景にある民意など見えていないのではないか。

 

そんな心配をしなければならない国家に

 

いつの間にかなってきてしまっている。

 

このような状況下で憲法に縛られるべき政府が主導しての憲法改正は

 

国民が厳しく目を光らせていく必要があると考える次第です。

 

憲法の目的の一つは国民の主権を守ること。

 

憲法でさえ主権者たる国民の権利に優越するものではありません。

 

法律とは主権者たる国民を守るものでなければならない。

 

この事は声を大にして訴えるものです。

 

 

 

 

消費増税が話題になってきていますが、

 

消費税は使用目的を福祉限定として

 

経済状況に合わせて、最終的には

 

20%まで引き上げる必要があります。

 

そうしなければ、将来の年金制度も破綻し、

 

日本経済も破綻をきたす可能性が大きいからです。

 

現在の70歳以上の高齢者は

 

年金で暮らせる人が多いのですが、

 

これから年金をもらう人の多くは

 

年金だけでは生活できません。

 

年功序列の賃金体制が崩れる中で、

 

年金の不足分を補うだけの貯蓄をするのは

 

至難となっています。

 

特に時代の変遷から40~50代のリストラは

 

将来の生活保護受給者の増加につながる

 

大きなデメリットになっています。

 

今の60代前半では、将来的に

 

既に年金だけでの生活は困難になっています。

 

定年まで勤められた人は、

 

それでも何とか年金で生活できるかもしれません。

 

それでも物価が上昇すれば、

 

年金支給額が増加しなければ

 

貯蓄を取り崩すことになります。

 

本来、安定成長=低成長期にある経済を

 

無理に成長率を高めようとすれば

 

当然、物価だけ上昇して、所得はそのままです。

 

生活が苦しくなるのは当然です。

 

経済は企業業績が好調で所得が伸び

 

その結果として成長するものです。

 

成熟した資本主義経済では、

 

技術革新による成長が、経済成長の鍵となります。

 

アベノミクスの3本の矢のうちの成長戦略は

 

本来なら一番最初にやるべき事なのです。

 

それを真逆に、物価の上昇から持っていってしまった。

 

その修正は並大抵のことではありません。

 

低所得者や生活保護受給者が増加したのは

 

政策のひずみによるものなのです。

 

資本主義では一度生じた格差は

 

簡単には修正できません。

 

社会保障や福祉に重点を置かないと

 

修正は困難なのです。

 

消費税増税は、一つのチャンスでもあります。

 

ただしそれは、あくまでも使用目的を

 

福祉に重点を置いたものでなければなりません。

 

格差社会が犯罪を助長することは

 

過去の歴史が証明しています。

 

高福祉国家では、精神的満足度も高いのです。

 

だから犯罪自体も少ない。

 

高額所得者の国外逃避を問題視する意見もありますが、

 

経済だけを見て精神文化を見ていないから

 

そんな意見となってしまうのでしょう。

 

日本も経済重視できてしまっているので、

 

精神的満足は経済的充足によるという

 

誤った考えに囚われてしまっているようです。

 

物欲に囚われて、心の交わりを忘れてしまっていないか。

 

昭和の戦後から昭和30年代の

 

隣近所で醤油や味噌を貸し借りしていた

 

貧しい家庭が多く物が不足していた頃と、

 

核家族化と言われ、近所との交流が激減し

 

孤独のうちに老後を迎える現代と、

 

一体どちらが人として善い状況なのか、

 

今一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。