今、国会では働き方改革法案が議論されていますが、
法案提出の根拠とされる資料に多くの誤りがみつかっています。
そもそもこのような誤りは、法案提出が妥当かを審査する
審議会で当然見つかるべきものですが、
そこで見つかっていないという事だと、
誤った資料で審査をしたことになり、
法案審査そのものの信憑性が問われる事態となります。
審議員の中には、初めから法案提出ありきの審議だったとの証言もあり、
それ故に細かい誤りは問題にもされなかったと。
これでは政府から依頼された法案は
ほぼ無条件で国会に提出されることになり、
その法案の妥当性など、どうでも良いことになってしまう。
こんなことが現実に起こっているのに、
野党は問題の本質の追及が甚だお粗末で、
真剣に追及する気があるのかどうかも疑わしい。
法案自体の議論の前に、
その前提たる審議会が機能を果たしたのかどうか。
その点を明確にしてからでなければ
その法案は議論すべきではないのは、
むしろ当然と言うべきでしょう。
森友、加計問題で文書管理が問題となりましたが、
法案提出の根拠となる資料に多数の誤りがあり、
それが審議会でも見過ごされていたという事は
官僚の文書管理の問題とは比較にならないほど
深刻かつ重要な問題です。
政府が勝手に法案を作って、
国会提出の段取りだけの審議会を通し、
多数決で法案を成立させる。
これは議会制民主主義の根幹を揺るがす
重大な事態なのです。
全ての国民にとって良い法案なら許されるでしょうが、
過去には治安維持法や不敬罪といった悪法が
多くの無実の思想犯を生み出してしまった実例があります。
国会に出される法案の審査は
国民の生命にも関わる重大な関門なのです。
国民は賢くなければなりません。
国民が愚かになれば政治権力は暴走します。
自らの生命が危機に陥れられた時に初めて気付いても、
その時にはすでに手遅れなのですから。