因果関係 | マレットの囁き

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科学は本来、すべての結果には必ず原因があり、

その原因から法則性を見つけ、

より良い生活環境の実現を目指すものです。

つまり、すべてに原因と結果を見出そうとするものです。

ところが現実には、明確な原因が見出せない事が多い。

これは、現在の科学水準が、まだ低いためです。

1万年後の科学水準から見れば、

今の科学は原始時代に近い状態とさえ言えます。

ちょうど我々が、1万年前の弥生時代の人々の

素朴な生活を見るようなものでしょう。


科学は生活に密着していて、使い方によっては

とても便利で快適な暮らしを手助けしてくれます。

逆に使い方を誤ると、命に危険を及ぼす事もあります。


このように科学は我々の日常生活には

深い関(かか)わりを持っています。


人々は昔から様々な科学的法則を

意味は分からないながらも知っていました。

そしてその種々の法則を『神』として

実生活に潤(うるお)いを与え、

災(わざわ)いを防いでくれるように

祈りを捧(ささ)げてきました。

これが宗教の始まりと言えます。

元々宗教の役割は、未発達な科学を補うものでした。

ところが次第に、人類は己の欲望のために、

宗教を自らの権威付けのために利用されるようになり、

神秘的な呪術等を取り入れる等、

科学とはかけ離れた存在になっていきました。


このような歴史から、宗教書として分類される『法華経』が

科学書だとは思えなくなっているのが現代です。

しかし詳細に『法華経』を分析してみると

そこには一貫した『因果律(いんがりつ)』が展開され

当時の人に解り易いように、具体的な表現で説かれています。


今回は、そのことをお話します。

『法華経』の『方便品第二』に『十如是(じゅうにょぜ)』と言って、

諸法(宇宙に存在するすべての法)の真実の相(そう=すがた)として

科学の根本法則が説かれています。


それは、すべての法(すべてのもの)は

相・・・表情、すがた、かたち

性・・・性格、性質

体・・・本体、物質

力・・・エネルギー

作・・・エネルギーの発動、動作

因・・・動作によって発生する原因

縁・・・動作する事で生じる周囲との関係性

果・・・原因とそこから派生した縁によって出た結果

報・・・結果に応じた報い

本末究境等・・・相から報までが、別々ではなく一体である事


相、性、体が運動の主体。

力、作は主体の運動、動作。

因縁果報は主体の動きによって生じる因果関係です。


仏法では、色法(形のあるもの)と心法(目に見えない働き)に

分ける考え方もありますが、余計に難しくなるので、

それはまた『十如是』の言葉の意味とともに、別の機会に。



物質も位置エネルギーを持っていることは、

物理学でも証明されています。

物質を動かすと、位置エネルギーは運動エネルギーへと変化します。

生物は、自ら運動エネルギーを作ることが出来ます。

つまり、物質と生物の違いは、物質は他からの影響で変化をし、

生物は自らの行動で変化をしている点です。



そして、宇宙に存在するすべてのものは

瞬時も止(とど)まることなく動いています。

何の変化も無いように見える物質も、

実は刻一刻と、その内在するエネルギーは変化しています。

あらゆるものが、瞬間瞬間変化をしているのです。


これを仏法では『諸行無常』と言います。

この言葉は聞いたことがあると思います。

この言葉は次の偈(げ)の中の最初の部分です。

『諸行無常 是生滅法(しょぎょうむじょう ぜしょうめっぽう)  

 生滅滅巳 寂滅為楽』(しょうめつめっち じゃくめついらく)

『すべての事は止まる事が無い。これが生じては滅する法則である。

「生滅」の己(おのれ)を滅し(離れ=とらわれることなく)

(生滅を)有るがままの自然の現象ととらえることを「楽」とする。



この一偈は法華経ではありませんが、

端的(たんてき)にすべての事象を科学的に表現しています。

それをより具体的に表現したものが、先にあげた

法華経の『十如是』になります。


このことだけでも、かなり分かり難いことですよね。

無理もありません。

仏教の専門家である高僧や、大学の教授クラスの先生方でも

理解が出来ていないのですから。


だからと言って、我々の生活に密着した科学であるとするならば、

他人事(ひとごと)として放っても置けません。


次回は、我々の生活にどのように深く密着した科学かということを

心(精神)を中心にお話しする予定です。