日本にやってきた人々 2 | 直心會 武勝館


前回、

地球には氷河期と間氷期があり、

氷河期は今より6~8度低くかった。

と説明しました。

 

今は北極付近や南極付近だけが

凍ってるだけやけど、

氷河期では

アメリカ大陸であれば

ニューヨークの緯度まで

ヨーロッパであれば

パリの緯度までが氷に

覆われてた。

 

イギリスなんかは

完全に氷の下やからね。

 

日本列島でいうと

九州以北は寒すぎて

場所によっては冬の大雪や

北海道ぐらいになると極寒で

氷に覆われた世界やったんで

生活するには相当厳しかった。

 

氷河期では地球上の水や海水が

今よりもはるか多く

凍っているので

海に水はなく、海面が下がり、

今より200mも水位が低かった。

 

逆に間氷期は

今より3~5度高く、

日本列島でいうと

北海道以南は暑すぎて

生活するには厳しい環境

やった。

 

もちろん

氷は溶け出してるので、

今よりマックスで海水面が

80mぐらい高かった。

 

だから人類は

生活しやすい温暖で

海運の便利な

海に近いところを求めて

北に移動したり、

南に移動したり

今より標高の高いとこに

行ったり低い所に

行ったりしてた。

 

もちろん

日本列島においても

そういった移動が

行われていた。

 

そんなことを

人類は20万年前から

繰り返している。

 

今から説明するのは

最後の氷河期

ヴュルム氷河期後半の

約2万年前からの

ことを説明してみよう

と思う。

 

実際にわかってることも

大体それくらいの時期

からしかないしね。

 

日本列島にはもともと

スンダランドから

渡ってきたネグリト族

という縄文人が定住

していた。

 

ネグリト族は

太陽信仰の海洋民族。

 

BC2万年頃

シベリア大陸北部で

アスカ文明を築いて

生活していたアスカ人たちが

南下し始める。

 

アスカ人とは

原モンゴロイドで

部族ごとに

特定動物の精霊を

信仰するトーテム信仰

の人々。



が、しかし、

ネグリト族と混ざり、

彼らの影響を受けて

特にネグリトが

持っていた銅鏡に影響され

太陽信仰に変わった。

 

話を戻すと、

氷河期の寒さが

ひどくなるにつれ

食料とする獲物の移動や

植物の自生区域も移動すると

それに合わせて人間も

移動したわけです。



まぁ、生きていくためには

しゃあないね。

 

BC1万8000年頃

シベリア大陸にいた

アスカ人は

陸続きの樺太から

日本列島に南下

してきたり、

福建省あたりまで

南下してきて対岸の

現沖縄諸島や奄美大島

現宮古島付近のニライ島

現宮古島諸島のカナイ島に

渡ったきた。

 

当時、日本列島は

スイジン島

と呼ばれていたので

日本列島に定住した人を

スイジン族という。

 

同じ頃

中国大陸の

福建省あたりの

東海岸にいたアスカ人も

対岸の沖縄や宮古島に

渡って来た。

この人たちをムイ族という。

 

ムイ族たちは沖縄を中心に

ムイ文明を築いた。

 

勘のいい人なら

ピンと来たかもやけど

そう、

ムイ文明はムー文明。

 

後々、説明していくと

つながってくると思うけど、

ムイ文明は水没して

無くなりました。

 

スイジン族のことは

未だ判明していないので

次回からはムイ族のことを

書いていきます。

 

彼らこそが

日本を離れ、

アップグレードして

日本に戻ってきた弥生人

とされる人たちなのです。