法隆寺~藤ノ木古墳~旅木 | 直心會 武勝館

 

お昼ご飯を食べに

 

藤ノ木古墳前の

 

お蕎麦屋さんに行きました。

 

 

 

星 旅木

 

店内は撮影禁止なので

 

外観だけ。

 

 

 

もり蕎麦と

 

バジルのぶっかけ蕎麦。

 

 

 

美味しい蕎麦屋さん。

 

 

 

器も素敵。

 

店内の壁と天井は和紙で

 

装飾されてて、

 

エアコンも和紙で包まれてます。

 

 

 

とにかく素敵。

 

 

 

 

そばを食べた後は

 

目の前の藤ノ木古墳に

 

行ったよ。

 

 

 

藤ノ木古墳の被葬者は

 

穴穂部皇子と宅部皇子や

 

崇峻天皇らと言われてるけど


発掘された出土品や、

 

当時の政治情勢を鑑みると


蘇我馬子(当時大王だったアメノタリシヒコ)

 

の実弟で蝦夷に殺された

 

蘇我摩理勢とその息子

 

が有力かと。



 

 

記紀は

 

このところらへんを完全に

 

書き換えています。

 

 


藤原不比等が

 

天皇の万世一系を確立するため、


馬子→蝦夷→入鹿と続いた

 

大王支配を

(当時は天皇という称号はなく大王)


敏達・崇峻・推古・舒明・皇極・孝徳・斉明

 

という架空の天皇がいたことにした。

 

 


そのあたりのことは

 

以前ブログでも書きました。

 

 


アメノタリシヒコが

 

隋の煬帝に

 

「日出処の天子」

 

として国書を送った記述が


隋書にあります。

 

 

 

その中には

 

国王は男であり

 

アメノタリシヒコが国王

 

だと書いてます。

 

 

 

記紀では推古天皇の時世

 

なのにね。

 

 


仮に教科書で習った通り

 

推古天皇の摂政として

 

聖徳太子が存在してたとしても

 

所詮、太子の分際ですから

 

四天王寺を建てたり、

 

隋に国書を送れる立場

 

であることなど

 

ありえません。



藤原不比等は

 

形式上、

 

鎌足の子供になってますけど、


天智天皇の子供です。



応神系と崇神系の戦いは

 

ドラマにすると
 

韓流の歴史もの以上に

 

面白いと思うけどな。



俺は韓流の歴史ものなんか

 

見ないけどね。

 

 

 

 

藤ノ木古墳を見た後は

法隆寺に行きました。

 


蘇我摩理勢の勢力地に


天武天皇が

 

祖父である蘇我馬子(アメノタリシヒコ)と


父である蝦夷(高向王)と

 

異母兄である入鹿のために


造った寺



古代の地図で

 

法隆寺の位置を見れば、


飛鳥を守る重要な位置

 

であるのが分かります。

 

 

大阪湾からの侵入路(大和川)の

 

入り口に位置します。

 

 

 

俺が気になんのは

 

法隆寺の配置図で

 

ちょうど南北ににならず、

 

西に何度か傾いてること。

 

 

きっと意味があるはずやと

 

思うけど、

 

今の俺の知識では

 

答えが導き出されへん。

 

 

 

誰か教えてください。

 

 

 

それにしても

 

法隆寺の拝観料は高すぎる

 

と思う。

 

 

 

あれだけのものなんやから、

 

10分の1でもいいくらい。

 

 

ぼったくりやわ。

 

 

 

明日も海に行くぞ!

 

波乗りと素潜りの

 

ダブルヘッダー!

 

 

 

カッコ お店の情報 カッコ


星 旅木

 

住所:生駒郡斑鳩町法隆寺西1-3-6


電話:0745-74-0438

営業時間:11:00〜14:00

       (なくなり次第終了)


定休日:火・水曜日