前の記事で、海軍の「名士」と呼ばれる方のことを書きましたが、その続きです。
これは吉田俊雄中佐がお書きになった著作(忘れてしまいました)にも書いてあるもので、ご存じの方もいらっしゃるかと思います。
私が最初に読んだのは小学5年生のとき、「壮烈!水雷戦隊」という子供向け太平洋戦史に書いてあったのをいまだにおぼえているものです。
水雷屋で有地十五郎中将という「大名士」がいらっしゃいます。
海軍兵学校33期卒、家柄も男爵有地品之允海軍中将の三男、海軍大学校甲種学生も修了しておりエリートの方だったのですが、ほとんどが海上勤務という異色の方です。
吉田俊雄中佐が中尉で長門のガンルームから、有地司令官が指揮する第1水雷戦隊所属の駆逐艦の航海長に赴任したときのエピソードです。
内火艇チャージはこなしたことはあるが、航海学校もでていない、いきなりの航海長配置で戸惑いつつもフネの性能諸元等を勉強していたそうです。
ある低気圧が近づいてきて海も時化るという日に、吉田中尉は艦長から「出港の準備をしておけ、今日はオヤジ(有地司令官)にとって訓練日和なんだ」と言われた。
案の定、旗艦から「出港用意」の命令が信号され、各艦錨を上げて旗艦を先頭に出港序列に従い出港していきました。
出港は艦長が操艦、吉田中尉はただ見ていましたが、旗艦の後方、左右45度に2列の単縦陣を形成し、艦を定位置に持って行くと、「航海、あと、やれ」と言って艦長は吉田中尉に操艦を任せて艦長席に座ってしまいました。
時化の海で、かつ駆逐艦のような小さいフネでも大馬力、高速のフネ、実際に操艦するのは初めてと言っても良い状態で操艦を始めたのですが、まず、前のフネに着いていくのもやっとのありさま。
個艦には個艦の僅かな諸元の差があって、「第×戦速」と指示されても各艦によってばらつきがあります。その速度調整のためにプロペラの回転数の増減によって速度を調節します。
航海科の水兵が測距儀で前のフネとの距離を測っています。
「距離、遠ざかる」
吉田中尉は速力を増すために「黒5」(回転数を5回転増やすこと)と命じますが、すかさず艦長から
「波に叩かれとる、黒10」
と指示され、
「航海長、旗艦をよく見とけ、針路変更するぞ」
と言われてみれば、旗艦のマストに運動旗が掲揚され針路変更の命令が出るところ、慌てて変針するべくコンパスにとりついていると、
「前艦との距離、近づく」
と報告あり。
「赤5」(回転数を5回転減らすこと)を命じても、
「前艦との距離、なお近づく」
「赤10」
「前艦との距離、なお近づく」
減速がなかなか効かず、ようやく距離が離れ始める。
「おい、もうちょっと、なんとかならんか」
と艦長から言われる。
千鳥足のような操艦をしているうちに、海上勤務の長いベテランの有地司令官から信号あり、
「司令官カラ○○艦長へ、当直将校ダレナリヤ」
艦長 「初級士官、訓練中」
司令官 「フネトハノルモノナリ」
このユーモアある信号で艦長と先任将校はげらげら笑い出すし、艦橋にいる下士官水兵も笑いをこらえている。
「まあ、おいおい上手くなるがね…」と艦長から慰められましたが、吉田中尉は泣きたくなる心境だったそうです。
結局、この日の訓練は、襲撃訓練までは行われず陣形運動訓練だけで終わりました。
有地司令官としては、人事異動で人が変わった、そして、若い者がどれだけやるか、小手調べの意味もあったものと思われます。
しばらくして吉田中尉は一水戦の駆逐艦の航海長から一水戦旗艦の航海士に異動となり、有地司令官から直接薫陶を受けることになります。
また、有地中将は酒を飲むと、褌ひとつで踊りを踊るなど、名士中の名士だったとのことです。
決して海軍省、軍令部の官僚的海軍士官と違い海上武人として優秀な方でしたが、鎮海要港部司令官を最後に予備役となりました。
大昔の記憶って、つまらないものでも覚えているものです。
でも、なにか大切なことを忘れているかもしれませんが…。