戦国最強軍師といわれた男《黒田官兵衛》 | TETSUROの武士道ブログ

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新倉流武士道は先人から学ぶ知恵や言葉を今に活かします。偉人たちが残した言葉や思い、行動など、日本の文化を後世に伝えていきます。

戦国武将伝シリーズ

 

戦国最強知者として知られる黒田官兵衛さん。

彼の決断力と行動力は戦国随一でした。

黒田官兵衛が最初に仕えていた主君は

織田家と毛利家の間に位置する領地でした。

 

黒田官兵衛の主君は毛利方に身を寄せて

領地を守ろうとします。

 

 

しかし、官兵衛は言う。

「天下は織田家にあり」

 

 

官兵衛はその情報量を活かして

織田家の勢力を分析していたと言われています。

 

 

その後の歴史は皆さんご存知のように

織田信長が時代を引っ張ります。

 

 

黒田官兵衛の考えは的中していたのです。

 

 

超絶ざっくりで話を進めます(^^;;

黒田官兵衛は当時の主君に裏切られてしまう訳です。

そこから、織田信長、羽柴秀吉と出会い、

秀吉の家臣として「軍師官兵衛」が誕生します。

 

 

主君、秀吉のために大いに腕を振るった官兵衛。

豊臣政権の天下統一の下地を作り上げた人物です。

 

 

豊臣秀吉は近親の家臣たちにこんな話をします。

「わしが亡くなったあとの天下は誰が治めるか?」

徳川・前田・毛利・名だたる武将があがりますが秀吉さんはNOと言う。

 

 

秀吉さんが答えます。

「黒田官兵衛じゃ。やつがその気になれば

今すぐにでもこの秀吉から天下を奪える人物である」

 

 

このように言います。

豊臣秀吉は、天下を統一した後は、

黒田官兵衛の切れすぎる才能を遠ざけます。

 

 

大いに活躍した武将でありながら、

他の武将たちと比べると報酬となる領地も小さい。

 

 

そこで黒田官兵衛は思います。

「秀吉様が無事に天下を治めることができた。

もう、自分には用がないのだろう。

それならそれで良い。

この官兵衛、主君に対して二心なし」

 

 

黒田官兵衛は、その後すぐに出家します。

「心清きこと水の如し」

如水円清(じょすいえんせい)と名乗りました。

 

 

家督を息子の長政に譲り、

あっさりと隠居します。

 

 

その後は書をしたり、詩を読んだり、

農作業したりと、夫婦円満に暮らしました。

 

 

そして、時の天下は徳川へ。

 

 

実は・・・

家康と三成がにらみ合う関ヶ原の合戦の時、

黒田官兵衛は九州から天下を狙うのです。

それはまたの機会に!!

 

 

戦国時代という荒波を強く生き抜いてきた軍師官兵衛。

彼は戦での武功やその報酬についても、

主君が定めることに身を任せ、

自分から武功や所領を語ることはしませんでした。

(自分から領地をください、

戦ではこのくらいの活躍をしたなどいわなかった)

 

 

そして、権力にしがみつくことなく引退。

普通ならこれもなかなかできません。

 

 

利権や権力が絡むと

いつまで経っても引退しない人が世の中に多い。

 

 

そんな中、黒田官兵衛のような、

一本筋を通す生き方、

美学というものが格好良くみえます。

 

 

主君は一人、妻も一人。

我が道をただ進んだ官兵衛。

 

今の時代もこのように

一本筋を通して生きる男はカッコイイ!!

 

自分もそんな男を目指そう!!

 

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