徳川家、剣術師範柳生新陰流、柳生宗矩。
3代将軍家光公との稽古中のエピソード。
果敢に攻め入る家光公を
柳生宗矩はいともたやすくさばいて一本。
家光公は言う
「宗矩、柳生新陰流の奥義を教えろ」
宗矩は答える
「あとは禅に学ばれてはいかがでしょう」
将軍様、その態度こそ改めなさい、
そう諭したのかもしれません。
剣術は心の目で見ると教える宗矩。
生死をかけた死闘は一瞬が命取り。
この言葉はもう一つの意図が隠されているようです。
自分の奥義、最後の手の内を簡単に見せないこと。
そう、どんな場合も手の内をすべて見せてしまえば
自分の切り札が無くなってしまいます。
柳生宗矩はそのように秘奥義を懐刀として
心に置いていたのではないかというのです。
もうひとつ、禅に学ぶ。
その奥義は伝授してもらうのではなく、
究極の理想と果てしない努力の先に見出すものと
心得なさいという意味が伝わります。
現代でも、成果を急ぐあまりに
近道を探す人がいます。
急がばまわれ。
というように、近道はじつはコツコツした努力の先にある。
~柳生宗矩~
一介の剣士の身から大名にまで立身したのは
剣豪に分類される人物の中では
日本の歴史上、彼ただ一人であるとされる。
「あとは禅に学ばれはいかがでしょう」
この言葉が深く伝わります。
心穏やかに、
自分を見つめる時間。
そんな時間を現代人は必要としています。
新倉流武士道
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