私にとって、最強の車中泊旅の目的地である、草津温泉。
西日本の入り口でもある四日市市から、320kmはあまりにもキツイ。
私の憧れである首都圏・・・埼玉からであれば楽に福島を越していける距離だ。

よく言われる。
「もっと近くていいところあるだろ?」

答えは、「ない」。

草津温泉が最強なのは、ただ単に温泉がいいだけではない。
まず18もの無料共同湯。
これだけでも日本最強であるのに加え、あの強酸性の素晴らしい泉質。
湯川から漂う硫黄臭を嗅ぐだけでうっとりきてしまうのである。

41歳の毒男がうっとりしている姿は想像したくないだろうが・・・。

その温泉力に加えて、何より素晴らしいのは草津志賀高原道路である。
これは日本でもトップクラスの素晴らしい絶景の山岳スカイラインであると思う。
ここへ気軽に日帰りで行ける関東人が本当に羨ましく、激しく嫉妬してしまうのである。

この草津志賀ルートは、群馬県側の景観が特に私にはお気に入りだ。
殺生河原から白根山山頂まで、いくつもの山のピークを越えていき、ずっと山頂を走っている気分になる。
そして一面に広がる緑。
その緑に混じって姿を見せる荒々しい火山の岩肌。
青空でこのコントラストを見せられると、完全にノックアウトである。
美人にアタックされるのと同じくらいのドキドキ感だ。
最も、その経験はないのだが。。。

そして万座温泉への交差点を過ぎると現れる北アルプスの山並み。
午前中に快晴に恵まれると、本当に息を呑む北アルプスのくっきりした姿を眺めることができる。
ここで万座温泉で日本一濃厚な硫黄泉浴を楽しむもよし、志賀高原まで下って池めぐりのハイキングを楽しむもよし、また南志賀温泉郷(現・信州高山温泉郷)方面にハンドルを切り、北アルプスを前面に見ながらドライブを楽しみ、山田牧場でまったりした後、七味温泉で乳白色湯を堪能するのも格別である。

私はこの地域を「草津・万座連合」と名づけている。
八幡平と並び、日本最強の温泉群だと思っている。
18もの無料共同湯がある分、草津万座連合がやや分がいいか。
絶景の景観も、北アルプスが見られることが大きい。
万座温泉付近の空吹(からぶき)地獄も素晴らしい絶景だ。
ただ、八幡平のような凄まじい火山温泉が噴出しまくっている光景は見られない。
この部分では完全に八幡平軍団の圧勝だ。
これだけの活火山でありながら、白根山に地獄の温泉噴出し光景が見られないのは不思議でならない。

これだけのスカイラインが無料(かつては有料だった)で走れることの素晴らしさ。
もっと近ければ・・・。
関東に移住するのが夢だという、なんとも変わった毒野郎である私。
どうせ毒男なのだから、とっとと身軽に移住したいのである。
私は1993年に車中泊旅を始めた。
どうしても信州に行きたくて、友人とスキーや日帰り旅は行っていたものの、何か違う。
自由に、行きたいところに、行きたい時に、銭を必要最低限に抑えて、何度も行く。
こういうスタイルにとてつもなく憧れていたのである。

小学校の同級生で、ハイエースで一家5人車中泊旅を毎年、中央アルプス方面に行っているのがいた。
今思うと、如何に子供3人が小学生だったとはいえ、よくぞハイエースで5人寝られたものである。
それを聞いて、信州に車中泊への憧れは、その当時(1982年)から抱いていたといってもいい。

そもそも、何故信州に憧憬を抱いていたかというと、私の母の実家が小諸にあり、1975年より毎年行っていたからである。
浅間山を望む標高約800mに位置していた柏木地区。
そこには、私が住む三重県四日市市には全く見られない風景と、空気があった。
素晴らしい素朴な、懐かしい情景。
そして、道中に目に入る茅葺の屋根。
散歩する犬じゃなく、牛。
真夏でも乾いて、夜は肌寒ささえ感じる気候。

子供心にも、信州にベタ惚れするのも無理はなかろう。

そして免許を取り、ミラージュを買って後悔するも、仕方ない。
そのミラージュで、無理矢理念願の車中泊を実現する時が来たのだ!

こうして私は、幸せな?車中泊旅人生を93年3月、スタートするのであった。

衝動的なスタートであった。
その前年、ミラージュで自分で運転して小諸の祖父母の家まで行き、神津牧場などをフラフラして感激していた私であったが、ついに、突然思い立ち、国道19号線を突っ走って、岐阜県中津川市の「旅の駅・元越」に辿り着いた。
ここは昭和40年代という雰囲気の、現在では希少なオンボロドライブインである。
私は兼ねてからこういうドライブインが旅情を感じさせてくれることもあり大好きであったので、その晩の“宿”はここにすることにした。

そして私は決意した。
「信州一周ドライブイン巡りの旅をしよう!」

スキーバスが何台も停まり、留まりなく店内の大衆食堂に大衆が雪崩れ込む。
その中で私はドテ飯を喰らい、しみじみと車中泊旅デビューの感激をドテ飯の味とともに噛み締めていた。

そして公衆電話から母に電話した。
怒られながらも、母は「じゃあ、日本酒でも飲んでゆっくりすれば」と言ってくれた。
大関ワンカップを嗜みながら、夜は更けていった。
そしてラジオのスイッチを入れると、暗闇のラジオは様々な地方の電波を拾っていた。

興奮してなかなか眠れず、夜中に何度も目が覚めた。
それはそうだろう。
ただ単に運転席を倒して、仮眠状態。更に寒さに耐え切れず、アイドリングで暖房を付けながら寝ていたのだから。
無知とはいえ、やってはいけない行為。
今思うと恥ずかしさでいっぱいである。

夜中に目が覚めた私は、TBS系列の「歌うヘッドライト」を聴いた。
ドライブイン情報というコーナーがあり、自分の今の状況がオーバーラップして余韻に浸った。
まだまだ、昭和の匂いがプンプンしていた、平成初期の、思い出であった。

翌日、私は更なる巨大な24時間ドライブインを目指して、R19号を北上し、木曽谷を突っ走った。
だが、悲しいことに元越より巨大なドライブインは現れなかった。
肩を落とした私は、奈良井宿より北のトラックドライバー用の大衆食堂に入り、何を注文したかよく覚えていない。

こうして私の車中泊デビューは、ドライブイン巡りという形で終了したのであった。