私は1993年に車中泊旅を始めた。
どうしても信州に行きたくて、友人とスキーや日帰り旅は行っていたものの、何か違う。
自由に、行きたいところに、行きたい時に、銭を必要最低限に抑えて、何度も行く。
こういうスタイルにとてつもなく憧れていたのである。
小学校の同級生で、ハイエースで一家5人車中泊旅を毎年、中央アルプス方面に行っているのがいた。
今思うと、如何に子供3人が小学生だったとはいえ、よくぞハイエースで5人寝られたものである。
それを聞いて、信州に車中泊への憧れは、その当時(1982年)から抱いていたといってもいい。
そもそも、何故信州に憧憬を抱いていたかというと、私の母の実家が小諸にあり、1975年より毎年行っていたからである。
浅間山を望む標高約800mに位置していた柏木地区。
そこには、私が住む三重県四日市市には全く見られない風景と、空気があった。
素晴らしい素朴な、懐かしい情景。
そして、道中に目に入る茅葺の屋根。
散歩する犬じゃなく、牛。
真夏でも乾いて、夜は肌寒ささえ感じる気候。
子供心にも、信州にベタ惚れするのも無理はなかろう。
そして免許を取り、ミラージュを買って後悔するも、仕方ない。
そのミラージュで、無理矢理念願の車中泊を実現する時が来たのだ!
こうして私は、幸せな?車中泊旅人生を93年3月、スタートするのであった。
衝動的なスタートであった。
その前年、ミラージュで自分で運転して小諸の祖父母の家まで行き、神津牧場などをフラフラして感激していた私であったが、ついに、突然思い立ち、国道19号線を突っ走って、岐阜県中津川市の「旅の駅・元越」に辿り着いた。
ここは昭和40年代という雰囲気の、現在では希少なオンボロドライブインである。
私は兼ねてからこういうドライブインが旅情を感じさせてくれることもあり大好きであったので、その晩の“宿”はここにすることにした。
そして私は決意した。
「信州一周ドライブイン巡りの旅をしよう!」
スキーバスが何台も停まり、留まりなく店内の大衆食堂に大衆が雪崩れ込む。
その中で私はドテ飯を喰らい、しみじみと車中泊旅デビューの感激をドテ飯の味とともに噛み締めていた。
そして公衆電話から母に電話した。
怒られながらも、母は「じゃあ、日本酒でも飲んでゆっくりすれば」と言ってくれた。
大関ワンカップを嗜みながら、夜は更けていった。
そしてラジオのスイッチを入れると、暗闇のラジオは様々な地方の電波を拾っていた。
興奮してなかなか眠れず、夜中に何度も目が覚めた。
それはそうだろう。
ただ単に運転席を倒して、仮眠状態。更に寒さに耐え切れず、アイドリングで暖房を付けながら寝ていたのだから。
無知とはいえ、やってはいけない行為。
今思うと恥ずかしさでいっぱいである。
夜中に目が覚めた私は、TBS系列の「歌うヘッドライト」を聴いた。
ドライブイン情報というコーナーがあり、自分の今の状況がオーバーラップして余韻に浸った。
まだまだ、昭和の匂いがプンプンしていた、平成初期の、思い出であった。
翌日、私は更なる巨大な24時間ドライブインを目指して、R19号を北上し、木曽谷を突っ走った。
だが、悲しいことに元越より巨大なドライブインは現れなかった。
肩を落とした私は、奈良井宿より北のトラックドライバー用の大衆食堂に入り、何を注文したかよく覚えていない。
こうして私の車中泊デビューは、ドライブイン巡りという形で終了したのであった。
どうしても信州に行きたくて、友人とスキーや日帰り旅は行っていたものの、何か違う。
自由に、行きたいところに、行きたい時に、銭を必要最低限に抑えて、何度も行く。
こういうスタイルにとてつもなく憧れていたのである。
小学校の同級生で、ハイエースで一家5人車中泊旅を毎年、中央アルプス方面に行っているのがいた。
今思うと、如何に子供3人が小学生だったとはいえ、よくぞハイエースで5人寝られたものである。
それを聞いて、信州に車中泊への憧れは、その当時(1982年)から抱いていたといってもいい。
そもそも、何故信州に憧憬を抱いていたかというと、私の母の実家が小諸にあり、1975年より毎年行っていたからである。
浅間山を望む標高約800mに位置していた柏木地区。
そこには、私が住む三重県四日市市には全く見られない風景と、空気があった。
素晴らしい素朴な、懐かしい情景。
そして、道中に目に入る茅葺の屋根。
散歩する犬じゃなく、牛。
真夏でも乾いて、夜は肌寒ささえ感じる気候。
子供心にも、信州にベタ惚れするのも無理はなかろう。
そして免許を取り、ミラージュを買って後悔するも、仕方ない。
そのミラージュで、無理矢理念願の車中泊を実現する時が来たのだ!
こうして私は、幸せな?車中泊旅人生を93年3月、スタートするのであった。
衝動的なスタートであった。
その前年、ミラージュで自分で運転して小諸の祖父母の家まで行き、神津牧場などをフラフラして感激していた私であったが、ついに、突然思い立ち、国道19号線を突っ走って、岐阜県中津川市の「旅の駅・元越」に辿り着いた。
ここは昭和40年代という雰囲気の、現在では希少なオンボロドライブインである。
私は兼ねてからこういうドライブインが旅情を感じさせてくれることもあり大好きであったので、その晩の“宿”はここにすることにした。
そして私は決意した。
「信州一周ドライブイン巡りの旅をしよう!」
スキーバスが何台も停まり、留まりなく店内の大衆食堂に大衆が雪崩れ込む。
その中で私はドテ飯を喰らい、しみじみと車中泊旅デビューの感激をドテ飯の味とともに噛み締めていた。
そして公衆電話から母に電話した。
怒られながらも、母は「じゃあ、日本酒でも飲んでゆっくりすれば」と言ってくれた。
大関ワンカップを嗜みながら、夜は更けていった。
そしてラジオのスイッチを入れると、暗闇のラジオは様々な地方の電波を拾っていた。
興奮してなかなか眠れず、夜中に何度も目が覚めた。
それはそうだろう。
ただ単に運転席を倒して、仮眠状態。更に寒さに耐え切れず、アイドリングで暖房を付けながら寝ていたのだから。
無知とはいえ、やってはいけない行為。
今思うと恥ずかしさでいっぱいである。
夜中に目が覚めた私は、TBS系列の「歌うヘッドライト」を聴いた。
ドライブイン情報というコーナーがあり、自分の今の状況がオーバーラップして余韻に浸った。
まだまだ、昭和の匂いがプンプンしていた、平成初期の、思い出であった。
翌日、私は更なる巨大な24時間ドライブインを目指して、R19号を北上し、木曽谷を突っ走った。
だが、悲しいことに元越より巨大なドライブインは現れなかった。
肩を落とした私は、奈良井宿より北のトラックドライバー用の大衆食堂に入り、何を注文したかよく覚えていない。
こうして私の車中泊デビューは、ドライブイン巡りという形で終了したのであった。