桜庭一樹の『赤朽葉家の伝説』を読んだ。『少女七竃と七人の可愛そうな大人』も感心したが、著者に対しては何となく、ライトノベル、ジュブナイル、エンタメ系の作家とのイメージが濃く、いまいち乗り切れてない自分がいた。しかし、とあるインタビューで車谷長吉を愛読していることや、新潮の『波』1月号で西村賢太の『暗渠の宿』の書評を寄せていることもあり、早速、新刊購入し、読んでみた。タイトルも何か車谷の『赤目四十八瀧心中未遂』っぽいところも高感度高い。

 で、秀作である。赤朽葉家という山陰地方の旧家を舞台にした3代に及ぶ女の叙事詩だ。たたら場から高炉まで製鉄業を生業とする家の物語は、山陰地方の神話を織り交ぜて、斜陽化してゆく製鉄業と家を巡る女たちの物語が、やや古風に意図されたが、堅苦しくはなくリズミカルな文体で描かれる。「山の人」(作中ではサンカという設定)が町に置いていった「万葉」という少女が赤朽葉家の嫁となり、家を守ることに奮闘しながらも、思い出したかのように山を訪ねそこで見た、鉄砲薔薇の美しさを描く場面は秀逸である。ジャンルを超え活躍する著者の文芸作品としては転機になる予感のする一篇である。

桜庭 一樹
赤朽葉家の伝説

 すっかり更新がご無沙汰になっております。仕事が忙しいというのもあるのですが、そこは活字中毒。しっかり読書は続けているのではありますが、なんか表現することに踏み込めないというか、なかなかパワーが出てこないのであります。本業以外の「表現する」類の仕事の締め切りに追われることもありまして、ほんとブログ開かない日々でしたが、そんな、怠惰なブログでも励ましのコメントや、新しい読者さんが見ていてくれたりして、ホント嬉しいかぎりです。てなわけで少し叱咤激励。ぼちぼち再開でごわす。ここ数週間で読んだ中で秀作と呼べるのは、なんと言っても西村賢太の新作『暗渠の宿』である。書評に関しては後日改めて書きたいと思うが、驚いたのは「日経」の夕刊に「私小説と心中する」とのタイトルで著者の紹介がされていたこと。日本株式会社のPR誌の「日経」に「反時代的毒虫」(車谷氏談)のような私小説家が載るとは!「日経」なかなか侮りがたし。

西村 賢太
暗渠の宿

 好きな作家の作品はすべて読みたくなる性。車谷長吉もすべて(多分)読んでいる敬意する作家のひとりである。毒がある。命を賭している。西村賢太と並ぶ「私小説」の巨星である。そんな車谷長吉のエッセイである。昨年の初版を購入後、なんとなく読みあぐねていてこのたび、読了。うーん、これはイカン。毒がない。安穏としている。やはり作家は小説で勝負です。ピースボートで世界一周するのだが、その穏やかな車谷氏の姿は苦しみから解放されたかのように穏やかだ。(それはそれで、嬉しいことではあるのだが)まさかこのまま凡庸なエッセイを書き続けるような、そんな凡百な作家の外道に堕ちたか?との危惧を持ってしまうのである。たのんます。良い小説を書いてくんなまし。熱烈な読者としてはそう思わざるを得ない1篇でした。

車谷 長吉
世界一周恐怖航海記

 京都を舞台に2篇の連作中篇が、響き合います。セクトに入り地下にもぐり、非合法活動に明け暮れた「おれ」。「どっかで暴動でも起きないかなー」が口癖の「おれ」は、不在の革命から逃れるように、「あいつ」の影を求めるかのように、京に降立つ。そこで出会ったのは、日本語しかしゃべれないフランス人神父。しかも、なんとなく法衣をまとったら、神父らしかったからとの理由で長屋を教会にしている「コスプレ」神父。レコ屋で偶然同じLPに手を伸ばした2人。京大吉田寮にちらつく「あいつ」の影。失った時間とこれからの時間。それを整理するために京に来た「おれ」。なんにも起こらなかった過去。不在の時間。ちらつくのは妹の娘「有理」の姿。吉田寮を走り回る、そこで生まれた子供たちの姿と重なり合う。

 神護寺で瓦に「自由」と書き、それをポケットに「暴動なんて起ねーよな」と京を後にする「おれ」。

福岡で書店のバイトをする「あいつ」京大ノンセクトラディカルだった「あいつ」。その頃の友人の葬儀に京に降立った「あいつ」。そこはやはり、何も起こらなかった不在の町だった。福岡に残してきた恋人の姿が浮ぶ。

 不在を、失った時間をリセットするかのように京に降立った「おれ」と「あいつ」の再生の物語です。静かに、何も起こらない日常にいとおしさを感じる1篇です。「おれ」と「あいつ」の関係はネタバレになるので読んでからのお楽しみ。

絲山 秋子
エスケイプ/アブセント

 西村賢太の『どうで死ぬ身の一踊り』 を読んだ。芥川賞候補作品とのことだが、そんなものいらん!この命を削るかのような、壮絶なそして悲しい「私小説」は、昨今のふぬけた作品群に真の文学という名の鉄槌を喰らわせるにふさわしい名作だ。

 著者に限りなく近しい主人公は、まあ、いわゆるダメ人間だろうな。定職に付かず、本能の赴くままにソープランドで姦淫、挙句は桜木町でグデグデになるまで痛飲、全裸で植え込みに眠るわ、傷害事件をおこすわ、「三十面を下げながら、どうにかすると日に二度も三度も自分を汚すことに没頭したが、それなり恋人なりセフレなりがいる上での普通のセンズリならまだしも、私の場合、どこまでもそれが得られぬがゆえの、切実なセンズリであることが何とも無念であった。(中略)つくづく女が欲しかった。私のことを愛してくれる、優しい恋人が欲しかった。」と切望の上に同棲にこぎつけたが、女が後架の使用後に便座を上げとかなかったことに激高し、「便座上げとけって言ってんだろうが!」と叫び、「そのベランダの洗濯物、さっさと取り込め。いつまで乾かしていりゃ気が済みやがんだ。鴉除けのつもりか」と怒鳴りつけ、しまいには「弁解する女の顔に平手を放ち、回り込みざま、尻を思い切り蹴飛ばしてや(り)、そのまま、髪を摑み後ろにののけ反らせて倒し込ませると、腿の外側に爪先バージョンでのチャランポを食らわせ(る)。」めちゃくちゃである。非道である。鬼畜である。外道である。

 にもかかわらず、ただ一点において、その点において矜持を保ち、神聖なるものに近しく、犬畜生を免れ、外道の振る舞いが露悪的な怒りの発露であったと思わせる、それはただひたすらに「藤澤清造」という不遇な作家を世に知らしめるという点においてのみ彼が生をつないでいるからだ。この、芝公園で頓死した大正の小説家を忘却のかなたから掘り起こし、彼の朽ちた墓標を後生大事にアパートに飾り、直筆の文献を硝子ケースに入れてディスプレイし、女がそのケースの上に洗濯物を置かなければ、激高することもなかったろうに、月命日には、北陸の墓標に額づき掃苔し、祥月命日には「清造忌」をひらこうと奔走し、全集の出版を夢見て個人編纂に精を出し、挙句に北陸の清造の墓の隣に自分の墓を建ててしまう。この「藤澤清造」に執着することにおいてのみ清浄で静謐な生が訪れるのだ。

 「・・・・・・しかし何だよな。ぼくも毎日ひとりに戻った生活をしてみて、しみじみそっちの大切さがわかったよ。家事全般のことにしたってそうだよ。本当に良くやってくれてたことに、初めて気がついた。それにお礼ひとつ言うでもなく、全部をそっちにまかせっきりにした挙句、小言ばかり言ってて本当にごめんね。ぼくきっと、初めて女の人と生活したもんだから、いい気になっていたんだ。どうかしてました。」と女に戻ってきてもらうために謝る彼の心中には、清いがゆえに生命を育むことを拒んでいるかのような、崇高なゆえにすべてを猥雑、矮小なもに照らしてしまうかのような光が、滾々、燦然と流れ光輝いている。その、神聖はどのようにしても世俗の生活とはまみえることは能はないのだ。そしてその先は、「清造」のごとく頓死か殉教に向かっている。そのことを知りつつも惹かれ、突き進む、まさに命を削ったかのような死を賭した文学が此処にある。これを読まずして何が文学か?

西村 賢太
どうで死ぬ身の一踊り

 箱根駅伝が終わり、あの熱狂も寒風に吹かれやや冷めつつある今。「まだ終わってないぞい」とばかりに続く「箱根小説」。三浦しをんの『風が強く吹いている』が華の2区なら、ラストを飾る最終走者はこれっだっ!とばかりにまたまた、熱きアスリートものが出ました。と言っても、昨年11月刊行の本書。遅まきながら読みました。

 天才アスリート「優」を主人公に、天才ゆえの軋轢と孤独に悩むは、もはや定説のこの分野、ひとひねり効いているのはそこに、「遺伝子」を操作したのでは?といったSFぽい設定がなされていること。それにもかかわらずハードな方向に流れてゆかず、やはり王道の感動系を突き進む本書!まさにラストを飾るにふさわしいです。いやーそれにしても『一瞬の風になれ』、『風が強く吹いている』そして本書。熱き走りの一年でした。

桂 望実
RUN!RUN!RUN!

 「゛鬼゛の語源を知ってる?゛鬼゛は゛隠゛が訛ったもので、隠れて姿を現さないものだという意味から来てるんだって。」と京の大学生「高村」に言われた「俺」は「ホルモー」と言う謎の競技に疑心を抱きながらも惹かれてゆく。そんな彼らが「鬼」と対面することになったのは、3月の吉田神社でのことだった、「吉田代替りの儀」で神聖なる雰囲気を破るようにそれは、突然始まった。

 ドライブウェイに春が来りゃ

 イェ・ イェ・イェ・イェ・イエイイエイ

 ドライブウェイに春が来りゃ

 イェ・ イェ・イェ・イェ・イエイイエイ うっふーん

 レーナウーン、レナウン、レナウン

 おしゃれでシックなレナウン娘が

 わんさか わんさか わんさか わんさか

 イェイ イェイ イェイ イェーイ

おばかなビートにあわせ、全裸で悩ましげに腰をふりふり、16名の大学生の前に、そいつは現れた。「巾着絞り」のような顔を持つ四頭身の20センチ足らずの「鬼」が。

京大青竜会、京産大玄武組、立命館白虎隊、竜谷大フェニックス。それぞれの大学が、この奇妙きてれつな「鬼」を跋扈させ「ホルモー」と呼ばれる格闘技を京の町で繰り広げる。

 なんとおばかで、なんと珍妙な!だけど笑っちゃんだよなー、これが。痛快はちゃめちゃコメディです。京の市井の様子や、メンバーの恋愛なども書かれていて、肩肘張らずに楽しめます。で、「ホルモー」とは何ぞや?それは読んでみてのお楽しみです。

万城目 学
鴨川ホルモー

 梨木香歩の『家守綺譚』は美しい物語だ。四季の移ろいを薫り高い文体で表現し、日本人にうまれた事を感謝したくなるような、そんな気持ちにさせる。「季節の営みの、まことに律儀なことは、ときにこの世で唯一信頼に足るもののように思える。」という主人公が住むは、亡き友人の残していった一軒の旧家。庭には、サルスベリが繁茂し、邸内を囲むように疎水が流れ、池には時に河童が訪れ、屋内の掛け軸からは亡き友人が、主人公を訪ね、黄泉の国から来訪する。そんな不思議な物語を、サルスベリやダリア、白木蓮、萩にホトトギス。庭に生い茂る植物達の名をかぶせた小文で、時に、それらと対話しながら静かに、移ろい行く四季を描いている。


 中でも『カラスウリ』で屋内の土間にその旺盛な蔓を伸ばし繁茂するカラスウリはまるで家屋という人工物を覆いつくすかのように、人の心でさえ自然の中に優しく抱くかのようなイメージで、素敵です。


 主人公に懸想するサルスベリや居ついてしまったゴローという犬が池にまぎれた河童を帰しに滝にお使いしたりと、すべての生き物が、不思議な親和力でもって生き生きと生活する様は、私たちの深層に眠るアミニズムのDNAを喚起してやみません。そして必ず巡ってくる季節の移ろいのなんて新鮮で清冽なことなのだろう、その初々しいジャメヴに幻惑させられる秀作です。




梨木 香歩

家守綺譚

 暮れの寒さにやられたのか、同僚が風邪をひき寝込んでいるという知らせで、「あー、そういや彼の奥さん実家に帰省中だったな」と思い、お粥、ポカリなどを持参で見舞った。徒歩5分のご近所さんではあるが、お互いの会社でのポジションや、奥さんが私を嫌っていることもあってあまり訪ね合う間柄ではないのだが、会社を離れると割りと損得抜きで飲める間柄ではあったから。


 慣れぬキッチンでお粥を作る私に、彼は「いやー嬉しいな。まさか、きてくれるなんてゴホッツ。」と具合は悪いだろうに、笑顔を見せていた。お粥を彼の枕元に置くと「今日は、出社すんなよな!」と少し怒ったように声をかけて、失礼した。何か恥ずかしかったのである。


 帰り、道々そーいや、昔、同じように「ご近所さん」によく看病されていたことを思い出した。病弱だった私は、よく小学校を休んだ。なんと年間70日近く休むような少年だったのだ。そんな時、母の不在時によく「おばちゃん」がすりおろした林檎を食べさせてくれたっけ。「たべなぁ、あかんで」と京訛りのその人が、血のつながらない近所の「おばちゃん」と知ったのはホント、小学校高学年になってからであった。あのころは、そんなこと普通だったなぁ、などと思いながら「まあ、あたりまえのことしただけやし、恥ずかしがることもあるまい。」なんて、自分の珍しい善行を正当化しながら。


 前フリが長くなりましたが、そんな感じの地域社会がまだまだ、健全だった頃のお話。TVで「巨人の星」がやっていた頃の仙台に引っ越してきた少年「和也」は近所に住む同級生二人と仲良くなるが、その二人には居住地区に関する暗い噂があって・・・


まあ、いわゆる被差別部落問題に関する一冊なのだが、人物設定が良い。ストリッパーの「安子ねえ」や、やくざの「沼倉のおんちゃん」など、まっとうな大人たちが真剣に子供と対峙するなかで、子供たちが成長してゆく。地域に支えられながら「正義」を学びとってゆく、その成長譚にすがすがしささえ感じます。『邂逅の森』で失われてゆくマタギの世界を鮮やかに描いた、著者ならではの手際の良さ。


 そう、昔はこんなだったなぁと思える一篇です。




熊谷 達也

七夕しぐれ




熊谷 達也

邂逅の森

 ハヤカワポケミスの1篇。ミステリには疎いのだが、このシリーズ、ファンが多く待望の邦訳らしい。恥ずかしながらシリーズ初読です。

 ポケミスというと、どちらかとハードボイルドなイメージを持っていたのだけれど、これはなかなかハートウォーミングな作品です。インディアナポリスの私立探偵アルバート・サムスンは探偵免許を取り上げられ、探偵業は休業し、母のポジーの経営するレストランの2階に間借りしてレストランを手伝うなどしながら、くさくさとしていた。そんななか、かつての友人、サムスンから免許を取り上げたジェリー・ミラー警部が、町を震撼させた連続殺人事件を解決して一躍有名人に仲間入り。そんな、かつての友人の姿が嬉しくもあり、悔しくもあり、羨望と嫉妬に悩むサムスンに待望の免許が帰ってくる。が、最初の依頼は、当の友人の身辺調査だった。

 捜査をしながらサムスンは、友情や母ポジーの荒廃してゆく町を救うための活動、娘ヘレンの悩み、新しい恋人の優しさなどに「眼を開いて」ゆく。そして自らを省みてこう開眼するのだった「人間たちの物語。それがわたしの仕事だ。わたしという人間だ。わたしは、人々がかかえる問題について調査する。そして、それを解決することに手を貸す。わたしは、人々を助ける・・・・・・」と。

 心あったまる1篇です。

でも、僕、ポケミス読むと何故か、バーボン飲みたくなる癖は抜けないなー。グビッっと一杯。

マイクル・Z. リューイン, Michael Z. Lewin, 石田 善彦
眼を開く―私立探偵アルバート・サムスン