暮れの寒さにやられたのか、同僚が風邪をひき寝込んでいるという知らせで、「あー、そういや彼の奥さん実家に帰省中だったな」と思い、お粥、ポカリなどを持参で見舞った。徒歩5分のご近所さんではあるが、お互いの会社でのポジションや、奥さんが私を嫌っていることもあってあまり訪ね合う間柄ではないのだが、会社を離れると割りと損得抜きで飲める間柄ではあったから。
慣れぬキッチンでお粥を作る私に、彼は「いやー嬉しいな。まさか、きてくれるなんてゴホッツ。」と具合は悪いだろうに、笑顔を見せていた。お粥を彼の枕元に置くと「今日は、出社すんなよな!」と少し怒ったように声をかけて、失礼した。何か恥ずかしかったのである。
帰り、道々そーいや、昔、同じように「ご近所さん」によく看病されていたことを思い出した。病弱だった私は、よく小学校を休んだ。なんと年間70日近く休むような少年だったのだ。そんな時、母の不在時によく「おばちゃん」がすりおろした林檎を食べさせてくれたっけ。「たべなぁ、あかんで」と京訛りのその人が、血のつながらない近所の「おばちゃん」と知ったのはホント、小学校高学年になってからであった。あのころは、そんなこと普通だったなぁ、などと思いながら「まあ、あたりまえのことしただけやし、恥ずかしがることもあるまい。」なんて、自分の珍しい善行を正当化しながら。
前フリが長くなりましたが、そんな感じの地域社会がまだまだ、健全だった頃のお話。TVで「巨人の星」がやっていた頃の仙台に引っ越してきた少年「和也」は近所に住む同級生二人と仲良くなるが、その二人には居住地区に関する暗い噂があって・・・
まあ、いわゆる被差別部落問題に関する一冊なのだが、人物設定が良い。ストリッパーの「安子ねえ」や、やくざの「沼倉のおんちゃん」など、まっとうな大人たちが真剣に子供と対峙するなかで、子供たちが成長してゆく。地域に支えられながら「正義」を学びとってゆく、その成長譚にすがすがしささえ感じます。『邂逅の森』で失われてゆくマタギの世界を鮮やかに描いた、著者ならではの手際の良さ。
そう、昔はこんなだったなぁと思える一篇です。

- 熊谷 達也
- 七夕しぐれ

- 熊谷 達也
- 邂逅の森