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アクエリアス

命短し、恋せよ、君よ。

母が亡くなった。

 

父は2023.4.24に亡くなったので、1年とちょっとだった。

父がいなくなってからは、母の面倒をずっとみてきたが、2024年の6月には、

歩行も困難だし認知も出てきて、家では介護が難しくなった。

だから、6月13日に施設に入所することになった。

これから整備や介護の充実した施設で、母も穏やかに過ごせるだろうと思っていたのに…。

入所してから1ヶ月も経たずにあの世へ逝ってしまった。

亡くなった日の経緯をここに残しておこうと思う。

 

*2024.7.9
次の日に面会に行く予定だったので、午前中に電話で予約を入れる

その際、なくなりそうなので梅干しを持ってきてくださいと施設に言われる。

(以前低ナトリウム血症になったことがあり、持ってきた梅干を1日1個、

提供してくれるよう頼んでいたので)

16:59に施設から電話が入る。心肺停止をしているとの事。救急車を要請してもらう。

病院に行く。
気道を確保して酸素を入れようとした時、痰が多量に出てきたとの事。

強心剤を打ち、心臓は動いたけど長時間、心肺停止していたため、もう自発呼吸もできないし

脳にも酸素がいっていなかった。

だから、これ以上の延命はできないとの事で延命措置を中止する。

母は亡くなった後、病院で心肺停止したわけではなく、施設でその状態になったため

警察が来て、検死を行うことになる。

*2024.7.10
検死の結果。外傷は何もないので、怪我が原因ではない。

心臓や肺を調べると、うっ血性心不全の所見が見られたので、

死因はうっ血性心不全(心臓発作)と言われる。

*2024.7.16
母のお葬式。

亡くなる2日ほど前に、私に母の携帯から電話が来た。施設にいる母本人からだった。

言動がおかしくなってから、まともに携帯を使えなかった母からの電話に私は驚いた。

母はいろんなことを言ったが、「もう時間がない。迎えに来てる。」などと、言ったので

「大丈夫だよ。明後日には面会にいくからね。その時ゆっくり話そう。またね。」と

返した。すると母は切羽詰まったように「もう、またねはないのよ。」と言った。

その通りになってしまった…。


今から考えると、母は自分の死を予見していたから、電話であんな事を言ったのだろうと

思えた。もう1日早く、面会に行っておけばよかったと悔やまれる。

亡くなった後、母に「天使さんが迎えに来てくれるからね。」と、声を掛けた。

そして、私もいずれ、あの世に行くので「お母さん、またね。」と言った。

またあの世で逢おうねという意味で。

「最後の方はあまり、優しく接する事ができなくてごめんね。今までありがとう。」と、

冷たくなった手を握り呟いた。

晩年、変わっていった父や母に厳しく接するようなってしまった私

穏やかな日々を一緒に過ごしたかっただけなのに…。

母はずっと優しく私を育ててくれた。

そんな優しかった母を叱ったりする事が何度もあり、自分自身が凄く嫌な人間に思えた。

このままでは、ダメだと思い、入所という事になった。

それにより私にも心の余裕ができ、以前のように母に優しく接する事ができてよかったと

思っていた。母にとっても、環境の整った安全な所で過ごせる方がいいと思っていたのに…。

天寿を全うしたとも言えるけど、あまりにも突然だった。

ただ苦しくて痛かった時間が短かっただろうと思うので、それだけが救いだ。

お母さん、今まで本当にありがとう。

いたらぬ娘で、ごめんなさい。

天国では、自由に幸せになってください。

 

後から気付いたのだが、母の亡くなった7月9日は、私がくも膜下出血になって倒れた日

2001年7月9日と、同月日だった。これは偶然なのだろうか?

私も母も決めてきた、天命なのかもしれない。

残りの人生を、精一杯楽しく生きていこうと思う。

 

今日は母を連れての、家族旅行に行った。

いつも母の介護をしていて、私も母もストレスがたまっていた。

だから、たまにはストレス発散ということで、高級ホテルに泊まる旅に出た。

行き先は修善寺で、もう何回も行ったところではあるが、車椅子&部屋風呂でリサーチしたら、ここのホテルが出てきたので、修善寺に決めた。

バリアフリーなうえに、部屋風呂だったので、ものすごく高い値段。多分私たちは、一生に一度の経験だろうと思えるほどの高級さ。私たちだけなら、絶対泊まらない所だが、親孝行という意味で母に経験して欲しかったのだ。

母はとても優しく、穏やかな人なので幼少の頃から怒られた記憶はない。だから私も大好きだったが、介護をしながら一緒に住むようになって、その関係が変わりつつあった。認知症も少しずつ進んでいるようで、夜中に物音で起きると真っ裸で座っていたり、入れ歯を外した後、自分の歯を外そうとしたり、歯磨きしたことを忘れ何回も洗面所に行こうとしたりなど、以前の母とは全く違う感じになってきている。その中でも大変なのは、夜中に何回も起きる夜間頻尿だ。ひどい時は、一晩に8回トイレに行ったこともある。本人も大変だろうが、こんな回数が続けば私も死ぬレベルだ。実際、母を介護し始めてから、6キロぐらい半年のうちに痩せてしまった。睡眠は大切なのだと実感した次第だ。あと、おむつの中に便を漏らしてしまう事。いやぁー、辛いです。介護者の方たちは本当に凄いし、頭が下がります。こんなことは一人ではもちろん無理なので、週5でデイケアに通ってもらい、一カ月に1回はショートステイも利用している。だから、何とかなっているという状態。関係が変わりつつあるというのは、母がいろんなことを私のせいにするから、私がキレてしまうこと。私だって怒りたくない。でも、こんなに尽くしても、悪い出来事があると、なぜか「〇〇がそうしたから、こんなことになった」みたいに言われ、私が悪いと思っているのだ。なるべく冷静になれるように心を鎮めようとするのだけれど、私も普通の人間です。むかつく時はむかつくと言ってしまう。

こんな日常から、逃れたいという気持ちもあった。旅行は非日常だからね。楽しい気持ちで行けるよう、私も夫も気持ちを盛り上げようとしていた。

 

行きの昼は、めんたいこパークに行った。

 

 

母と夫はジャンボめんたいおにぎり。私はたらこスパゲティにした。これは、めちゃくちゃおいしかったです。

 

 

ただ、日曜だったため激混み状態。買ってから車の中で食べた。満腹になった私たちは、修善寺に向かった。

修善寺は何回も行ってはいるが、詳しくは全く覚えていない。だから予習として、今、大好きなユーチューバーの動画を見て学習した。

 

 

これを参考にしながら、母と3人で修善寺観光した。

 

まずは、修禅寺。

 

 

 

 

 

 

街中を観光。

 

 

 

竹林の小径。

 

 

 

 

 

映えスポットのところで、寝転んで撮った。みーんな、やってたよ。

 

 

源の頼家の墓がある、指月殿。

 

 

中には右手に蓮のお花を持った、釈迦如来坐像がありました。

奥に進むと、風呂で暗殺された源頼家の墓が。

 

 

裸の時に襲うなんて、ひどいよね。温泉場なのに、その歴史は悲しすぎる。

次は独鈷と仏像。

 

 

独鈷の湯。

 

 

 

 

ホテルの近くにある赤蛙公園。

 

 

 

修善寺観光した後は、いよいよ高級ホテルだ。

 

 

 

いやぁー、凄い。あり得ない広さに、感嘆するばかり。

 

 

 

 

 

早速、母を部屋風呂に入れた。私自身は、後でひとりゆったり入ろうと思ったので、介護に徹していた。湯船に入る時は、やはり苦労した。母はパーキンソン病なので、なかなか足が上がらないのだ。なんとか入って、母も温泉を楽しめたのではないかと思う。母の着替え、髪をドライヤーにかける、薬を塗る、目薬をさすなど一連の作業が終わったら、もう夕食の時間だった。私に休む暇はない。

 

 

 

夕食も豪華だし、食べきれないほどの量。本当にみんな、これらをペロッと食べているのかな?私も母もいつも少食なので、苦しいほどだった。いくら高級でも、胃の大きさは変わらないからね。そして、母が食べやすいように夫は出てきた料理を、持ってきたキッチンバサミで一口サイズに全部切り、私は出てきた焼き魚の身だけ取ろうと、骨から外すなど、介護はずっと続いた。食べるのが母は時間がかかるため、夕食時間の終了時間を過ぎってしまった。親切なスタッフさんは、「最後のデザートはお部屋にお運びします。」と言ってくれた。有難いです。

部屋に戻ってから、デザートをゆっくり食べる事ができた。

その後、私もムーディーな部屋風呂を楽しんだ。

今日はいろいろ回ったから、母もぐっすり寝てくれるだろうと思っていたが甘かった。11時半に寝て、6時半に起きるまで4回起こされた。全く、休めない感じ。

いつも旅行に行った時は、次の日、朝風呂に入るものなのだが、母は朝いつも血圧がひどく高いので、入ったら命とりだろう。なので私も入らなかった。

朝食も高級な感じ。

 

 

でも、いつも私は朝食はパン食。だから私にとって朝からご飯は重たかった。どこまでも私って、貧乏にできているのね。だって、ビジネスホテルのバイキング方式のモーニングが恋しかったもの。

あっという間に、チェックアウトの時間がせまり、ギリギリでホテルを出た。もう11時。

ここから行きたかった虹の郷へ向かった。

入っていきなり、おもしろい館が。

 

 

 

写真を撮りまくった。

まずはイギリス村で楽しみ、中で動いているディーゼル機関車に乗って、カナダ村も楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

車椅子でも乗れる列車があるのは、本当に有難い。

 

 

 

 

 

 

 

車椅子ではそれ以上、アップダウンが激しくて行かなかった。富士山を見たかったのに、雲が多めで全く見えなかった。

 

 

夫は、「西伊豆に出て、海と富士山を見るぞ」と意気込んで山越えをしながら、西伊豆に出た。

その決断は大成功!本当に綺麗な富士山と海を見る事が出来た。

 

 

 

 

母は富士山を見るのが好きなので、とても喜んでいた。

 

 

 

 

 

さぁ、帰ろうということになり、高速に乗るといろんなところで事故渋滞。あまりにもひどいので高速を途中で降りる事になった。下の道も渋滞が続き、3時間ぐらいで帰れるところ、6時間ぐらいかかったかもしれない。せっかく平日に帰れるようスケジュールを組んだのに、事故が起きると、日曜の帰宅渋滞と変わらなくなる。一番大変なのは、運転手の夫。旅行で英気を養うというよりも、疲れて帰ってくるという旅行だった。ただ、母と行ける旅行はそんなに頻繁に行けないから、母が楽しかったんならいいんだけど…。楽しかったかな?

また日常が始まる…がんばろ。

 

 

 

夫とふたり、久しぶりの旅行に出かけた。

 

 

江戸時代に流行した、大山参りだ。

江戸時代にとても興味があり、江戸系YouTubeを見ていたら、私も霊山に行きたくなったのだ。

近くの駐車場に着いたら、係りのおじさんが

「今日、マラソン大会があるから、これから道路が通行止めになるんだよ。だから、今(9時頃)駐車場に入れたら、午後1時ぐらいまで出せなくなるけど、大丈夫?」

と、聞かれた。もともと、そこでゆっくり観光して、お昼もそこで食べるつもりでいたので、

「大丈夫です。」

と言って、車を駐車場に停めた。

でも、マラソン大会があるとは、全く知らなかったので

「ゆっくり神社を見たかったのに、すんごい人が来るね。」

と、夫と話をした。

私たちが登る時はまだ、マラソンが始まっていなかったので、よかったのだが、神社に着くぐらいの時には、もうすんごい人。

 

 

あとから、あとから、マラソンの方たちが到着してくる。

 

 

脳の病気をしてからというもの、上りの階段を急いで上がることはできなくなってしまった。たぶん、他の人に説明してもわからないとは思うが、無理をすると頭がいっぱいいっぱいになってしまい、心臓がドキドキするのだ。

だから、今回も階段を登る時は信じられないぐらいの、のろさでゆっくり上がっていた。

その横を、駆け足で登っていくマラソン選手たち…。

たぶん私たちより、高齢な方もたくさんいた。

「みんな、凄いね~。」

若い頃から鍛えている方たちの、体力はすさまじいですね。

 

 

 

念願の大山阿夫利神社下社を参拝した。

 

 

ケーブルでここまで来れるのは、本当にありがたい。

この上の頂上に本社があるが、この体では無理と判断し断念したというか、はじめから登る気はない。その登り口の所で記念撮影をして、急な階段を見上げるだけで終わりにした。

 

 

 

この下社の所が、マラソン大会のゴールだったので、人がごったがえしていた。大山寺に行こうと思い、ケーブルに乗ると、満員どころか廊下に人が立つ状態。夫とふたり、

「普段だったら、がらがらで座れたんだろうね。」

と、少し残念に思ったが、若く鍛え上げている大勢の男の人たちを見ていたら、

『江戸時代も、こんな男の人たちが大勢、登ったんだろうな…。』

と、タイムスリップしたような感覚に陥った。

もしかしたら、この人たちは前世で大山参りをして、今生もしているのかなというスピリチュアルな考えまで出てきてしまう。

いやぁ、おもしろいですなぁ。

大山寺は、大会の方たちもいなかったので、静かにお参りができた。階段の両側に何体もお地蔵さんがたくさんいて圧巻だった。

 

 

 

 

下に降りたら、こま参道のところで豆腐懐石をいただいた。

まぁまぁのお値段だから、とてもおいしかったんだけど、夫とふたり、呟いた。

「ゆうても、豆腐は豆腐だね。」

そう、豆腐自身の原材料は安いものだろう。このお値段は、場所やおかみさん、従業員の値段だろうなぁと思えた。

その後、駐車場に帰って行く間に、大山参りの際に体を清めたという、禊ぎの滝があった。

 

 

 

夏場の登山だったから、汗を洗い流すという感じで、気持ちよかっただろうなぁと思えた。

 

大山参りに満足した私たちは、伊勢原市に行き、ビジネスホテルに泊った。昼間に贅沢をしたので、夜はスーパーで買い出しをし、部屋の中で夕食をすませた。

そのホテルは大浴場があったので、寝る前に入りに行った。ビジネスホテルと言えば、圧倒的に男の人が多いので、さぞかし、女風呂は空いているだろうと思って行ったら、4人となってしまい、早々に引き上げた。あーあ、ゆっくり入りたかったなぁ。

 

ふたりとも、爆睡し、翌朝はモーニングを食べた後、比々多神社に行った。

 

 

 

 

 

今度の3月17日に人形感謝祭があるようで、人形たちが飾られていた。人形は念が入りやすいもんね。それらを供養するんだろうな。

 

 

 

いっぱい飾られた人形たちは、とても綺麗だったけど。夜見たら、不気味だろうなと思えた。そこには、神輿もあったし、十二支の石像もあって、見どころ満載だった。

 

 

 

 

縄文時代の跡も近くにあって、縄文時代から大山を信仰の対象として拝みながら、生活をしていたのがうかがえる。

 

 

 

 

古い歴史を持った、場所だった。こんなところが大好きで、この頃、旅行の行き先を決める時のキーワードに「縄文時代」が入っている。だって3万年も前から、ここにいたなんてすごくロマンがあるし、それだけのパワーが土地にあるともいえるよね。これからも、その土地の歴史を探りながら旅をしていきたいな。

 

YouTubeで事前に調べておいたので、その神社の上にある、元宮にも行った。

 

 

 

 

高台で眺めもいいし、とても気持ちがいい。この祠をせにしてコンパスを起動すると、方向的には南東を見ていた。

 

 

 

 

 

祠の後ろには、大山があるのだろうけど、木がうっそうとしていて見えなかった。昔は見えていたんだろうな。

また、比々多神社に戻って来た時、木の上に丸い巣のようなものがいっぱいあった。「ヤドリギ」というらしい。おもしろい植物があるね。

 

 

 

久しぶりの旅行、本当に楽しかったなぁ。また、行くどー!

 

 

今日は、楽しみにしていた大道芸。ウシシ

日頃、母の介護で心の癒しもなく、心の余裕もない私。

これでは、いけない。うーん

人間、楽しみがないと、何のために生きているのか、

わからなくなりますよね。ショック

大道芸好きな私は、久しぶりにウキウキした気分で

夫とふたり、大道芸を楽しんだ。ほっこり

 

最初は、シルヴプレさん。

 

 

相変わらず、のぞみちゃんは可愛いねぇ。ぶちゅー

おふたりのパントマイムが大好き!

今日も笑わせていただきました。ゲラゲラ

 

次は、真実ちゃん。ラブ

 

 

同い年ぐらいだから、ちゃんづけで許してください。ねー

もちろん、友だちでも何でもないのですが…。ぶー

私にとって、スターであり、雲の上の存在でございます。

仮面舞踏会では、一緒に踊れて、年の初めに幸せな気分になり

幸先の良いスタートをきれました。ウシシ

「ありがとう!」ゲラゲラ

 

次は、フレディーノさん。

 

 

彼の表情は、本当に豊かで私の前にいた小学生くらいの

男の子が大爆笑していた。私も大爆笑。ゲラゲラ

おもしろかったなぁ。ウシシ

 

 

舞台裏を見られないようにしようと誘導するも、一歩も

動かないお客さんたち。そのやりとりも笑えた。ゲラゲラ

 

お昼を食べたのち…。

次は、バーバラ村田さん。

 

 

いつ見ても、ふたりに見えるパントマイム。すごいよね~。

おしゃれできれいで、色気のあるバーバラさん。ぶちゅー

 

 

見習いたいです。ウインク

 

最後は、フィナーレを見るより、真実ちゃんのところへ。ラブ

 

 

信者としては、何度でも見たいんだよね。

そんな信者が何人も見受けられる。

恐るべし、真実ちゃんのカリスマ。ガーン

 

 

仮面舞踏会では、その唄できたかー!という感じ。ウシシ

 

 

最後のフレーズがピッタリで爆笑。ゲラゲラ

 

いやぁー、今日はおおいに笑ったし、楽しかった。ほっこり

みんなに幸せを与えてくれる大道芸は、やっぱり素晴らしいね。

また、観に行きまーす!笑い泣き

 

 

 

 

父が亡くなった。

4月の12日ごろから、咳は出ていた。

だから14日の日に母の病院の付き添いに、私と父が行ったので

「お父さんもついでに診てもらった方がいいよ。」

と、提案したが医者嫌いの父は

「俺はいい!」

と言って、受診を拒否した。

最近、前以上に頑固だし、あまり言うと怒りだすので

それ以上はこちらも、どうしようもなかった。

母は介護が必要だったため、咳が出てつらそうな父に

少しでもやすんでもらおうと思い、母を17日~18日の

一晩預かった。

ところが、母がうちに泊まった翌日には、

「お母さんを戻せ!」

と、強い口調で電話口で怒鳴られたのだ。

兄も昨晩、父が一人になった時、病院に連れて行くから

一緒に行こうと誘ったが、それも拒否していた。

とても辛そうなのに、いろんなことを拒否する父。

認知症かもしれないと思った。ところが本人は全てを

拒否するため、認知症かどうかもわからない。

困り果てていたが、母を戻すしかないと19日に父の家に

母を返した。

21日の日、母の病院の付き添いがあったので、また実家に

行くと、父がぐったりしていて、

「病院に行く…。」

と、言ったのだ。まだ自分の足で歩ける状態だったので

救急車は呼ばず、タクシーで病院に向かった。

幸い、コロナではなかったが、レントゲンを受けたら

肺炎だという事が判明した。

「即、入院です。」

と、いうことで入院手続きをすることになった。

その頃には父も観念したようで、入院も拒否する様子は

なかった。先生には

「もう少し来るのが遅かったら、危なかったですね。今は

いい治療薬があるから、80パーセントは治ります。

大丈夫、安心してください。」

と、力強い言葉がきけたので、

「お願いします。」

と、安堵した。

母が一人になってしまうので、私の家に連れていき、父が

治ることをみんなで願っていた。

ところが、父は入院したことにより、せん妄になったらしく

病院から連絡がきた。

「○○さんが、家に帰ろうとしたり、点滴を外そうとしたりして

治療ができません。治療ができないと命にかかわります。なので

拘束してもいいでしょうか?」

という、家族の同意の確認だった。

治療をしなくては命にかかわる…選択はひとつだ。

「お願いします。」

でも、この選択が、あっていたのだろうか?

父はその後、拘束され治療を受けたようだが、体が丈夫だった

父は、拘束されることに、もの凄い抵抗をしたらしい。

24日の昼に病院から危篤の知らせがきた。

『え?肺炎は治療すれば治ると言っていたのに…』

慌てて、母と一緒に病院に向かった。

事情を聞くと、力いっぱいの抵抗をしていく中で心筋梗塞に

なってしまったらしい。

心筋梗塞を起こしていて、肺炎もあり、高齢というと

もう無理な治療はしない方がいいでしょうとのことだった。

せん妄状態の父は、拘束具をつけてベッドにいた。

「外せ!外せ!なにしてるんだ、早く外せ!」

と、大声で叫んでいた。

私たちが来ても、よくわからないようだった。

「お父さん、大丈夫だよ。お母さんもここにいるよ。」

と大きな声で言っても、

「いいから、外せよ!」

と、激しく動いていた。

私たちは、そんな父を押さえるしかなかった。

お医者さんや看護師さんたちも大変だったろう。

その後、拘束具は外され、兄夫婦も駆けつけて、

みんなが父の体をさすってあげながら、みんなで父を看取った。

息を引き取る前に、それまでせん妄で朦朧としていた父が

突然、優しい顔になり、宙を見ていた目が母の方に向いたのだ。

そして、とても優しい目で母のことを見ていた。

一瞬、我にかえったように見えた。

そして、静かに息をしなくなった…。

2023年4月24日。

入院してから、わずか3日後の事だった。

 

お医者さんは、

「ご臨終です。」

と言った後、

「治療をすれば、肺炎も治ったのに…。こんなことになったのも

彼の業(ごう)なんですかねぇ…。」

 

何を言いたいんだろう?と一瞬、思ったが、よくよく考えてみると

お医者さんは、『彼が選んだ道』と言いたかったのでは

ないだろうか。

人は自分の最期の時を決めて、生まれてきていると

私も思っている。

そして、自分のしたことは、いい事も悪い事も全て自分に

返ってくるとも思っている。

 

父がまだ元気な時に、言っていたことが気になった。

母が難病を抱え、日々大変そうだが、そんな時、母が

「私の方がお父さんより早く、天に召されるわね。」

と言ったら、父が

「俺の方が先に決まってるじゃないか。」

みたいなことを、言っていたのだ。

 

認知症の疑いのあった父の言う事は、妄想ともとれるが

死期を感じていたのだろうか?

 

晩年は母のことで、父と喧嘩をすることが多かった。

私も父も喧嘩なんてしたくなかったのに…。

 

父が高き高き神霊の世界で、幸せになっていますように…。

今まで、ありがとうございます。