大水害を防ぐことは可能だ -流域治水を根本から考え直そう-  | ぶらり旅S

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戦後すぐの生まれ。灌漑、水資源、農業、発展途上国への技術協力などを中心に、大学で研究、教育をしてきて、現役を退きました。研究の周辺で、これまで経験したこと、考えたことを、今考えていることも含めて書いてみたい。

このところ、全国のどこかで、毎年のように大きな水害が発生しています。その状況は、極めて深刻なものと言わなくてはなりません。このような状況を受けて、一昨年(2020)、国土交通省は、これまでの明治期以来の治水の考え方を根本から変える、「流域治水」という方針を打ち出しました。

 

これまで、治水は国土交通省(県の河川部局などを含む)の専任事項であって、都市、農村、農地などは洪水を出すもの、河川は洪水を処理するものという二分法で行われてきました。ところが、「流域治水」は、流域に関わる全ての者が協働して治水に取り組むことが必要だという考え方に立ちます。流域は、様々な分野の様々な人々が活動する場なので、国土交通省が堤防やダムなどの建設というような技術的手段だけによって洪水を制御することは不可能です。そのことを考えれば、流域の関係者全てが協働する流域治水は大変望ましいことです。

 

流域治水の方針が出された後、多くの関係者が流域治水について発言し、関係省庁、機関、地方自治体等も、様々な活動方針を打ち出しています。しかし、治水という国の存続に関わる歴史的な方針転換を正面から見据え、100年の計を図ろうとする議論は、まだ緒に就いたばかりと言わざるを得ません。

 

私は、これまで、農地・灌漑排水を主な対象として研究活動を行ってきましたが、その傍ら、いくつかの一級河川、県河川の整備事業にも関わってきました。その中で、流域の中での農地の存在、治水事業について考えさせられたことがあったので、流域治水の新方針が打ち出されたこの機会に、流域をどのように捉えるか、そして関係者が一体となった「流域治水」はどのようにあるべきかについて書くことにしました。

 

それは、 水文・水資源学会誌の「論説・評論」として、下に発表しました。

 

佐藤政良:「流域治水における農地の位置と役割」

水文・水資源学会誌 35巻1号 pp. 41-57 (2022年1月)

 

この論説は、全体が、17ページという長いものになってしまいました。そこで、その内容の骨と筋だけを示すことにし、もしよろしければ本篇をお読みいただければ幸いと思います。

 

 ① 最近日本で起こっている水害は、そのほとんどが、想定していた計画より小さい洪水で起こっているのであり、温暖化が主な原因ではありません。

 ② これまで計画より小さい洪水に対応できなかったのですから、温暖化という、より厳しい条件下の洪水に対処するためにも、従来の洪水処理の枠組みを再検討し、根本的な変更が必要です。

 ③ 一級河川(直轄管理区間)は、独自の集水域をほとんど持っておらず、そこでの洪水は、支流である中小河川や排水路から集まる洪水の集合であることに注目する必要があります。明治期以来、日本の洪水が大きくなってきたのは、これらの末端地域の排水を改良し、洪水を集めて処理することにした結果です。

 ④ かといって、流域を昔の状態に戻すことが解決策ではありません。末端の排水を改良しながら、大水害を防ぐことが必要だし、それは可能です。流域全体で洪を抑制することが必要ですが、それに最も大きな能力を持つのは農地、特に水田です。田んぼダムをふくめ、本論でその考え方を示しました。

 ⑤ それでも河川が危険な状態になった時は、その洪水の一部を農地が分散的に受け入れることで、最小の被害で洪水を乗り切ることができます。

 ⑥ 日本の河川における洪水の増大には、流域の都市化も重要な原因の一つですから、主な水害対策を農地部門だけに要求することは不適切です。そこで、流域治水における農地の可能性を正面から認知した上で、社会が、感謝の念をもって農地部門へ協力を求めることが重要です。また、農地部門としてそれに対応することは合理的な政策選択肢たりうると考えます。

 

なお、この論説のPDFは、誰でも下のサイトから、自由にダウンロードできます。

https://www.jstage.jst.go.jp/.../35/1/35_41/_pdf/-char/ja

 

これが、流域治水についての議論の進展に結びつくことを願っています。