アブシンベル神殿を訪ねた Visiting the Abu Simbel Temple | ぶらり旅S

ぶらり旅S

戦後すぐの生まれ。灌漑、水資源、農業、発展途上国への技術協力などを中心に、大学で研究、教育をしてきて、現役を退きました。研究の周辺で、これまで経験したこと、考えたことを、今考えていることも含めて書いてみたい。

 アブシンベル神殿に行って来た。エジプトに行き始めてから30年経つが、初めての訪問である。長く行きたいと思っていた場所だった。今回、3回目のアスワン訪問の機会があり、やっと実現した。エジプトの最南部、スーダン国境に近いところである。アスワン空港からはアッという間のフライトでアブシンベル空港着。無料バスが、神殿まで運んでくれた。

 アブシンベル神殿は、アスワンハイダムの建設によって水没するところだったが、ユネスコが、元々あった場所から、すぐ上の高い位置に移動させ、救われたので有名である。その他、アスワンのイシス神殿なども同様に水没を免れた。現在では世界中に広まっている世界遺産の制度は、このユネスコの活動を契機にして作られた。

 

(アブシンベル神殿。ラムセス2世は、太陽が出る東を向いており、目の前にはナセル湖が広がっている。)

 

(切り分けられて運ばれるラムセス2世像)

 

(移転される前の元のアブシンベル神殿。何となく落ち着いた感じがする。アブシンベルの記念館にあった写真。)

 

 この神殿は、写真では何回も見ていた場所である。9月上旬、まだ暑い時期のせいか観光客はあまりいない。圧倒するような大きさの4つのラムセス2世像が並んでいる。首都ルクソール(テーベ)の南方、370 kmも離れたヌビアの地にこれだけ大きい自分の像を造ったのは、自分の力を誇示するためであったに違いない。4体もの同じ人物の像が並んでいるというのは何とも不思議だが、いろいろな地方を治めるラムセス2世が、4体別々に並んでいるということのようだ。この像の後ろ側、岩の中にある部屋へ入っていく通路の左右の低い壁に、ヌビア人とシリア人の捕虜が首を縄で繋がれているレリーフが置かれている。周辺地域を統治している力を見せつけている。

(ヌビアとは、エジプト南部の、このアブシンベルがある地域一帯をいい、そこに古くから住んでいる人達がヌビア人である。現在、カイロなどにもエジプト人としてたくさんのヌビアの人が住んでいる。)

 

(首を縄で繋がれているヌビア人の捕虜。向かい側にシリア人の同様なレリーフがある。)

 

 巨大な像は実に圧倒的な存在感をもっているが、私には、その後ろの部屋の中に今も鮮やかに残されているレリーフや像が非常に印象的だった。

 

 

(壁のレリーフ。アッシリアとの間のガデシュの戦いで、弓を射るラムセス二世。)

 

 私は、このような巨大な自分の像を造らせたラムセス2世は、さぞかし権力を行使し、圧政を敷いた王であったろう、と想像していた。ところが、それは大きな間違いだったようだ。

 この巨大像建設とラムセス2世の歴史的意味づけについては、吉村作治・梅原猛の対談本、『「太陽の哲学」を求めて』(PHP研究所,2008年)の中に、吉村の説明があり、大変明快でなるほどと思った。エジプトの歴史が好きな人には常識なのかも知れないが、簡単に紹介したい。

 ラムセス2世は、王就任の2年目に、ヒッタイトとのカデシュの戦に臨み、エジプトの記録では勝利したと書かれているが、実際のところは負け戦の中で和平条約をむすんでいるという。これが精神的に大きな痛手となり、その後、ラムセス2世は、それまで軍事国家であったエジプトを大転換し、平和国家にしたという。そこで、周辺諸国に攻める気を起こさせないよう、巨大な建築物を作ったのだということである。しかしそれによって、諸外国から攻撃を受けるようになり、エジプト王朝は衰退の道を歩む。

 彼の時代は、紀元前14世紀(今から約3300年前)の新王朝時代であったが、紀元前1080年頃には末期王朝になり、紀元前332年にはアレキサンダー-大王に征服されてしまう。この時から、近代のオスマントルコ、フランス、イギリスなど、1952年のナセル革命まで、何と約2300年もの長い間、外国の支配が続き、エジプトはエジプト人の国家ではなかったのである。

 こう見ると、ラムセス2世とアブシンベル神殿は、歴史的に大変重要な意味を持ってくる。

 

 上記の本は、吉村が梅原を案内してエジプトの遺跡を見せて回った後の対談でできており、中では、吉村がエジプトの神話、哲学がどのようなものであるかを分かり易く説明している。内容は、上のラムセス2世に止まらず、エジプト神話が旧約聖書やキリスト教、特にマリアの処女懐胎というような不思議な話にどのようにつながっているのか、キリストの復活ということまで及ぶ。梅原は、現代文明の行き詰まりの原因を一神教にあるとし、太陽を神とする多神教に期待する立場から、いろいろな刺激を受けて、話は進む。