エジプト人の干渉と不干渉 | ぶらり旅S

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戦後すぐの生まれ。灌漑、水資源、農業、発展途上国への技術協力などを中心に、大学で研究、教育をしてきて、現役を退きました。研究の周辺で、これまで経験したこと、考えたことを、今考えていることも含めて書いてみたい。

  私たちの研究プロジェクトのメンバーであった農業経済学を専門とするM先生は、サバティカルといって、一定の期間、大学の勤務から離れて自由にリフレッシュする制度を使って、ある年の夏、数ヶ月間、カイロに滞在していた。そのM先生が、滞在を始めてしばらく経った時、地下鉄の車内で、履いていた短パンの姿をとがめられたという。話を聞くと、「イスラム教徒はそんな格好をしてはいけない」と言われたというのである。長期にカイロに滞在できるこんな機会だからと、少々ひげを生やしていた風貌がイスラム教徒のように見えたようで、忠告を受けたのだった。M先生はイスラム教徒でなかったから、その忠告は当たらないのであったが、イスラム教徒は、イスラム教徒として守るべきことについては、見知らぬ他人にも、忠告をするようなのだった。

  私自身も、モノフィーアの農村地域で用水調査をしていた時、水路の様子を写真に撮っていたら、突然後ろから「何をしているんだ!」と怒鳴られた事があった。その水路では女性たちが、汚れた鍋や洗濯物をもってきて水路の水で洗い物をしていたのだ。女性を写真に撮ってはいけない、とのおしかりであった。どちらも最近の日本ではあまり経験をしない、他人からの干渉である。

  エジプト人が弱い人、困っている人に対して差し出す救いの手は暖かい。以前に書いたのは、私のタクシー運転手とのトラブルに自分でおかねを出そうとしてくれたビジネスマン、お年寄りの道路横断にすかさず手を貸す人びと、物乞いへの施しなどである。その他、長距離バスの中で、私が大きなくしゃみをした後、紙を取り出そうかとリュックに手を伸ばそうとするや、サッとティッシュを差し出してくれた家族連れのお父さん、地方都市カフルシェイクのミニバスで、「良くエジプトに来てくれた。君の降りるところは次だよ」と教えてくれて、バス代を出してくれたおじさんなど、枚挙に暇がない。

  一方、それとは逆に、日常生活分野では、他人に対する干渉は極めて少ないと感じることがある。自分に直接災いや問題が起こらない限り他人に干渉しないのである。たとえば、道路の一方通行を短い区間逆走してくる車は時々見かけるが、それに出会った私の車の運転手はごく自然に、道をゆずってあげてやり過ごす。かなりきついすれ違いになっても怒るようなことはなく、右の手のひらを上にして、なんてこった、というような仕草をする程度である。その時、一方通行という規則を盾に、逆走がけしからぬとは決して言わないのだ。ちょっと譲ってあげればすむことだというわけである。その大らかさが何故か心地よい。

  しかし、問題もある。カイロ市内の路地は結構立派に広く造られているのだが、2重、3重に駐車する自動車で道がせまくなり、結局一方通行になっているところが多い。多分、自動車が普及し始めた当初、通れるから大丈夫と駐車を受入れて、次第にこのような状態になってしまったのではないかと想像する。

(住んでいたフラットの前も、結構な広さの路地であった。しかし、向かって右側2列、左側1列は駐車車両であって、残りの部分が一方通行に使われていた。通学用のバスなど大変苦労しながら通るのである。警官は、駐車を取り締まるのではなく、交通整理をするだけだ。)

 

  2010年だったか、到着したカイロ国際空港の入国審査ゲートの前には4本の長い人の列ができていた。当時は古い建物に旧式の審査システムが残っていて、長時間の牛歩を覚悟した。その時、メッカの巡礼から帰って来たとおぼしき白い服をした一団が、一列で進んできて、なんと私が並んでいる列の先頭に入ろうとするではないか。先頭にいた紳士は、さすがそれを許さなかった。が、しかし大声を発することもなく身体で侵入を防いでいるのである。それは奇妙な光景であった。日本でならさしずめ「なんて事をするんだ。ルールを守れ。おまえ達、何のために四国巡礼してきたんだ」とでも叫ぶところだろうに。そして、以前から並んでいる人達が皆で巡礼帰国者達を非難すること必死である。ところが、そこではそうならなかった。先頭の人が呼ばれると、次に先頭になった人と巡礼者の戦いになり、結果として時々、ぼちぼちと巡礼者が入っていくのである。さて自分の順番が来たとき、私が、横入りを許すものかと頑張ったのはもちろんである。

(その後、2019年に、エジプトに赴任したばかりの日本人から同様の話を聞いた。その時は、海外の列では良くあるように、一列の蛇行した長い列が入国審査ゲートの前に作られていたという。その列を裂くように、巡礼から帰国した人達の列が侵入したのだそうだ。驚くべき光景である。もしかすると、メッカで神との濃密な対話をして帰ってくると、集団として何か特別な気分になるのだろうか。)

 

(カイロ空港ターミナルは、今は近代的ビルに新築されている。2015年、それまでは思いもよらなかった斬新な女性の写真が飾られていてびっくりした。パスポート処理は格段に速くなったし、現在も次々と拡張工事が行われ、近代的空港の雰囲気が出て来ている。)

 

  上のような、相反する干渉と不干渉はどこから来るのか、おもしろい問題だ。私は、イスラム教のもつ「性弱説」という態度にそれらに共通する根があるのではないかという気がする。性善説、性悪説ではない「性弱説」という言葉に初めて出会ったのは、イスラムについて少しは知っておいたほうが良いと思って読んだ本の中である。イスラム教の経典コーランでは、酒をのむな、女性は夫以外の男に肌と髪を見せるな、あれをしろ、これをするなと、個人の生活行動に対する「干渉」「勧奨」は微に入り細に入る。元々人間(男)は弱い存在で、自分を自制できないからからなのだそうだ。その代わり神の教えに従って立派な生活をすれば、あの世で、いくら飲んでも悪酔いしないおいしいワインと、100人もの若妻を得ることができる、とご褒美を用意した(男に対してだけ!)。

  エジプトの友人は、人が他人と交わす将来の約束は、確実に果たすことなどできやしない弱い存在なので、エジプト人は約束する時、明日のことであっても、必ず「インシャラー」(神のご加護があれば)と付けなくては気が収まらない、と説明する。

  なるほど、人間は弱いのか。それで、しっかりしようよと干渉し、同時に私も同じく弱いのだと、相手に対する共感を持つ。コーランに書かれていること以外の事については、弱さを理解しているが故に、声高に、「これは規則だ、規則を守れ」とは言わないのかもしれない。

  以上は私の勝手な解釈だが、「お互い、人間は弱いものだ」と認め合っている社会は、気を張らなくていいので、少なくとも居心地は良いような気がする。ちなみに、World Health Statistics (世界保健統計)2017 によれば、2015年のエジプトの自殺率は調査対象183ヶ国中下から10番目の174位である(10万人当たり2.6人)。これに対して日本は上から18番目である(同19.7人)。日本は厳しい社会なのだ。

  最近の日本では、政府や大企業の不正、子供虐待など、信じられないことが起きている。このようなとき、社会はこぞって「けしからん」、「人間とは思えない」、「政府は何をやっていたのか」など、非難の大合唱である。そこではSNSが力を奮う。その火に油を注がないようにするためには、行政や会社のトップはマスコミの前で、「申し訳ありませんでした」と言い、判でおしたように一定の秒数頭を下げる方式が確立した。そして後日、再発防止対策として新しいルールを作った、あるいは運用を厳しくするようにしたと発表するのである。「正義の善人」が「悪人」を一時的につるし上げるだけで、人びとは溜飲をさげ、社会は、ルールとマニュアルでますます息苦しくなる。

  でも、「正義」の人は、皆そんなに立派なのか? そんなはずはない。そうならもう少し、その「悪事」をはたらくところまで追い込まれてしまった「悪人」の事をじっくり考えることはできるのではないか。そうすれば、より実質的に有効な解決策と、この日本を窮屈にしていく方程式から抜け出るヒントが見つかるもしれない。最近流行の「日本ほど素晴らしい国はない」情緒キャンペーンは少し抑え、国際的な視野で日本をきちんと見直してはどうか。エジプトは決して経済的に発展しているとは言えないが、性弱説のエジプト社会は日本を見つめ直すのに大いに参考になるに違いない。

 

(追伸)

浄土真宗を開いた親鸞は自分のことを、「しかるべき事情があったなら、自分は、どんな恐ろしいことでもしてしまう人間だ」と言っている。

「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(歎異抄)

 これは、まさに「性弱説」そのものではないか。比叡山で僧になるための厳しい修行をしたけれど、欲を棄てることができないことを悟り、山を下りた親鸞である。善人か悪人かの前に、人間はすべて弱いという認識が中心にある。