物乞いと水のペットボトル | ぶらり旅S

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戦後すぐの生まれ。灌漑、水資源、農業、発展途上国への技術協力などを中心に、大学で研究、教育をしてきて、現役を退きました。研究の周辺で、これまで経験したこと、考えたことを、今考えていることも含めて書いてみたい。

 エジプトの人は、弱者に対する優しさを持っているように見受けられる。老人、特に足のおぼつかない人が、車の行き交う道路を渡れなくて困っていれば、必ずすぐに屈強な男が手助けする。近くに警官がいれば、警官が車を止め、安全にわたらせてあげる。そんな時、通常我先にと先を争っている車の運転手も、表情が違うように見える。ちなみに、エジプトでは交通信号というものはほとんどなく、横断歩道もところどころにあるがほとんどは線が消えており、有名無実である。子供を含め、道路そのものは弱者にとって大変厳しいものだ。子供達は、そんな道路の渡り方を身につけていく。

 こんなエジプト人の思いやりは、生活困窮者にも向かう。カイロの街中には、結構物乞いがいて、彼らにお金を恵む人の数は日本よりずっと多いような気がする。貧しい者に対して喜捨を行う態度にはイスラムの考え方が関係しているのかもしれない。

 カイロで見る物乞いの多くは中年以上の女性で、真っ黒な伝統的な服を着て道ばたに座っている。やせ細ってぐったりした小さな子供を抱いたお母さんとおぼしき人もいる。ポケットティッシュを売っている人たちもいるが、お金だけ払ってティッシュを受け取らない通行人もいるから、ティッシュ売りは形だけの場合もあるのであろう。あるとき、カイロ市内の雑踏をあるいていると、黒い服をまとった女性に声を掛けられた。「エンタ クワイエス(あんたいい男ね)、お金頂戴よ。」という。黒い服を着て、物乞いに便乗する怪しげなおばさんもいるのだ。

 ある日の日没後、若い女の子やカップルが良く利用するタハリール大通り(ドッキ地区)に面した近代的喫茶店Hで、店の前に椅子とテーブルを出してもらって、同僚のYさんと、芳醇な地元フルーツのジュースを楽しんでいた。日中の暑さは残っているものの、次第に夕方らしいたたずまいになっていく。

 すると、目の前の歩道に黒い服をまとった中年の女性が物乞いをしているのが目に入った。彼女は、歩道の一番狭くなったところに、道をさらに狭くするように座って。お金を恵んでくれと通行人に手を差し出している。なかなか良いところに陣取っているのだ。見ていると、結構、多くの人がお金を上げていく。30分で5、6人くらいだろうか。そのおばちゃんが喫茶店の前でおしゃべりをしている若い店員の男の子に何か声を掛け、男の子はおばちゃんの方に歩き、その空になったペットボトルを手に取った。そして、そのボトルを持って店の中に入ると、水道水で満たして持って行ってあげたのである。おばちゃんはそれを飲んで、横に置き、手を差し出し続けた。

 人通りが多くなって、歩道は渋滞状態になった。日本だったら、こんな狭いところに座るなと文句の一つも出るところだが、エジプト人はそんな事にクレームを付けることは滅多にない。エジプト人にとっては自分の通行に支障が出るかどうかだけが問題のようなのだ。歩道が渋滞してもその理由を考えることはなく、そこまで到達した時に,そのおばちゃんが邪魔でなければ非難することはないのである。道路の一方通行も同じで、逆送する車に対してルール違反だと非難することはない。自分がちょっと待てば済むのであれば、許してあげるゆとりがある。

 そうこうするうち、向こうから歩いて来たがっしりした体格の紳士が、おばちゃんの前で立止まると、やにわにそのペットボトルを手にとってそのまま飲み、ボトルを元のところに戻すと何事もなかったように立ち去って行った。その間、一言もおばちゃんと言葉を交わすことがなかったのである。他人の水を自分の水のように飲む。エジプト人は水に関して特別な共有感覚を持っているのではないか。そんなことを思わせる出来事であった。さらに、日本なら、路上で物乞いをする人物であれば生活に困っているだろうし、衛生状態は悪いであろうから、何か悪い病気の一つも持っている可能性が高いと考えるのが普通だと思うが、そんな事は一切気にならない様子だったのも驚きであった。

 そのうち、おばちゃんは、近くのテーブルで休んでいる我々に気付いたようだった。そして目が合うと、ニコニコし、愛想良く我々に手を振った。深刻な物乞いの風はない。そのうち、予定の時間が来たのか、おばちゃんは、尻の下に敷いていた仕事道具(?)の段ボールを手慣れた風で向かいの地下鉄通気口の壁裏におくと、荷物を頭に載せ、暮れ始めた街に悠々と消えて行った。

 

(カイロの日没)

 

 

(ドッキのタハリール大通りからミダン広場へ通じる道。いつも混み合っていて、ティッシュペーパーを売る人も多い。)