武術と信仰(宗教)は表裏の関係にある…というのが私の考えです。
別に神道と武道の繋がりとか、歴史的背景云々という専門的な話ではありません。そちらは素晴らしい先生方の著作がたくさんありますので興味のある方は、一読されることをオススメします。
私のは単純です。
武術がなくならないのは何故かな~?
私は、中年といわれる、この歳で未だに惹かれるのは、どうしてかな~?
なんで稽古してるんだろ~?
…と、そんなことを考えてみたのです。
堅く言いかえれば…
現代において武術の存在意義とは何か
…となりますか(笑)
そのときに、武術にも、宗教にも、共に柱にあるのは死生観だなぁ、と気付いただけです。
ちなみに私に特別な信仰はありません。
いかに生きて、いかに死するか
この大命題に真っ正面から向かい合うことに両者の存在意義があり、存在価値があるように思います。
人には等しく死が訪れます。
そう考えれば、宮本武蔵ではありませんが、神仏は尊んでも、我欲だけを願う対象ではあってはならないような気がします。
武術も、強さだけを追求すれば形骸化していきます。競技は必要ですが、競技で勝つことが目的になると、目指す強さが変わります。目指す境地が違えば、変質します。
私は、武術で強くなることより、今は武術で“普通”を生きよう、と思うようになりました。
さて、私は、私の今日を生きて参りましょう