まったく考え方の違う二人の女性の本を読んで、
女性にとってのセクシュアリティとは何かを考えさせられた。
ひとりは、優生保護法、刑法堕胎罪の問題点を指摘し、
性と生殖に関する政策と女性の人権問題を著した
「性の美学」の松本侑子。
もうひとりは、銀座ふたご屋のママとして、
一万人の政財界人と接してきた体験をもとに、
本物の男のなり方、見抜き方を綴った
「いい男の条件」のますい志保だ。
松本はフェミニストらしく、男は性、食、睡眠の三大欲望を
女性に依存していて、その快楽を調達できない苛立ちが
女性への憎悪、暴力、支配へと通じ、
それを支えてきたのは、家父長制度だとして糾弾している。
ふたご屋のママのように、女の華の命は、
どれだけいい男に出会えるかで決まると言う女性に対しては、
父権社会が女に課している抑圧的な決まりごとを、
何の疑いもなく受け入れて、他の女に強要する
女性学の言葉を借りて、「父の娘」と言って批判する事だろう。
松本が指摘する男性社会の問題点は、
しごくごもっともな事ばかりなのだが、
彼女は、理想論が通じない世界があることを理解しようとしない。
一方ますいは、そんな世界で若い頃を過ごし、
人間の修羅場を見てきた苦い経験から、
生き方に不器用な女性に対するアドバイスは現実的で的確だ。
私は、松本のように女性軽視の間違った社会を
根本的に変革して行く活動には賛同するが、
現状を否定するようなセクショナリズムな考えでは、
男性からの理解は得られないだろうし、
女性のためにもならないと思う。
ますいは「いい男の条件」で、
「最後に選ばれない女性の共通点」
「遊びの女性と本命の女性の違い」など
女性は男性に愛される存在であるべきと言った視点で捉えているが、
そのことに対して反発する女性は多いと思う。
しかし、時代が変わろうとも、未来永劫変わる事ことのない
理性の下に隠されている男の本質を示す事で、
駄目な男の見抜き方を教える方が、
女性のためには有意義なことのように思えた。
女性にとってのセクシュアリティとは何かを考えさせられた。
ひとりは、優生保護法、刑法堕胎罪の問題点を指摘し、
性と生殖に関する政策と女性の人権問題を著した
「性の美学」の松本侑子。
もうひとりは、銀座ふたご屋のママとして、
一万人の政財界人と接してきた体験をもとに、
本物の男のなり方、見抜き方を綴った
「いい男の条件」のますい志保だ。
松本はフェミニストらしく、男は性、食、睡眠の三大欲望を
女性に依存していて、その快楽を調達できない苛立ちが
女性への憎悪、暴力、支配へと通じ、
それを支えてきたのは、家父長制度だとして糾弾している。
ふたご屋のママのように、女の華の命は、
どれだけいい男に出会えるかで決まると言う女性に対しては、
父権社会が女に課している抑圧的な決まりごとを、
何の疑いもなく受け入れて、他の女に強要する
女性学の言葉を借りて、「父の娘」と言って批判する事だろう。
松本が指摘する男性社会の問題点は、
しごくごもっともな事ばかりなのだが、
彼女は、理想論が通じない世界があることを理解しようとしない。
一方ますいは、そんな世界で若い頃を過ごし、
人間の修羅場を見てきた苦い経験から、
生き方に不器用な女性に対するアドバイスは現実的で的確だ。
私は、松本のように女性軽視の間違った社会を
根本的に変革して行く活動には賛同するが、
現状を否定するようなセクショナリズムな考えでは、
男性からの理解は得られないだろうし、
女性のためにもならないと思う。
ますいは「いい男の条件」で、
「最後に選ばれない女性の共通点」
「遊びの女性と本命の女性の違い」など
女性は男性に愛される存在であるべきと言った視点で捉えているが、
そのことに対して反発する女性は多いと思う。
しかし、時代が変わろうとも、未来永劫変わる事ことのない
理性の下に隠されている男の本質を示す事で、
駄目な男の見抜き方を教える方が、
女性のためには有意義なことのように思えた。
(2007年6月5日)

