上信鉱業専用軽便線(未成線) | Bunny The Flat 【including 徒然鉄】

Bunny The Flat 【including 徒然鉄】

〜2014年迄のヤフーブログ「徒然鉄」(鉄道写真)/
2012年〜のFC2ブログ「Bunny The Flat」(犬との生活)
を移転統合しました。
現在はフラットコーテッドレトリバーの愛犬グレースとの
滝巡りや秘境探検を主に活動しています。
bunnytheflat@twitter.com

今回の探検の始まりは、実は何年も前に遡る。
そしてそれは1つじゃなくて、いくつもの探検が今回のプロローグになっていた。知らないうちに。

そのなかで最も関連性が高いのは2014年のこの探検だろう。
嬬恋村干俣の上信鉱山では終戦まで航空機の機体材料のアルミニウム、ジュラルミンの原料となる蝋石が産出され、索道を使って草軽電鉄の嬬恋駅に運ばれていたとされる。
終戦により同山は閉山を余儀なくされたが後年になり耐火煉瓦のハロイサイト鉱山として昭和中期まで再稼働した。
この焼成炉はその当時の遺構である。

さて、戦局厳しくなった頃の話に戻るが、戦闘機の増産のためには、蝋石のさらなる速達輸送が求められた。
当時の輸送手段は草軽電鉄の貨物輸送だったが
本数の少ない旅客貨物混合列車の上、
本数は少なく平均時速15kmという低速で輸送効率は悪かった。
そこで、索道の終点・嬬恋駅から昭和20年初頭に開通する国鉄長野原線の終点長野原までを結ぶ専用軌道の敷設が、国策として進められた。
これにより群馬鉄山で産出される鉄鉱石は日本鋼管太子線にて、上信鉱山の蝋石は上信鉱山専用線にて、それぞれ長野原に集められて同時に速達輸送が可能になるのだ。
(写真は1979年国鉄吾妻線小野上駅でのEF12牽引ホキカモレ)

しかし後者のほうは完成することなく終戦を迎え、閉山に伴ってそのまま山中に放置されることになった。
今回はこの上信鉱山専用線の未成線の遺構を探索する。

いままでにでてきたキーワードを説明しだすと本当にきりがないので、ディープにもライトにも読めるように関連記事をリンクしときます!

草軽電鉄全線(バニーとの詳細な探索記2009・目次)

草軽・嬬恋駅


国鉄長野原線・太子線

群馬鉄山


そして今回の未成線の起点・嬬恋駅と終点・長野原駅(現在の長野原草津口駅)、探検した3遺構及び上信鉱山のマップを先に出しておきます!

(左上のログS-Gはコマタ滝のもので関係ないです、あとマップ中央近くの滝マークは赤川出合滝であって瀬戸の滝のものではないです)



さあこっからが本題です!

草津街道R145バイパス坪井大橋の真下に来ました!

この右側のこれが長野原から嬬恋を結ぶ予定だった上信鉱業専用線の軌道敷跡ではないかということで観に来ました!

たしかに、草軽を彷彿とさせる掘割状の軌道敷跡のように見えます!
険しい断崖の下には吾妻川が流れています。
このあたりから軌道敷の痕跡は不明瞭になりました。

そこで吾妻川と吾妻線に沿って少し嬬恋寄りの場所までワープしました!草木原地区です。
くんくん、パラダイスのにおいとハイのにおい、それもかなりのオオモノのにおいがしてきますよ!
踏み跡を辿ると吾妻川に出られました!
左岸から遅沢川が出合っています!
ひだりがパラダイスみぎがハイですね!みぎいきましょう!

すると一瞬でオオーッ!!

最大20m以上はあろうかという石積みの橋脚群が現れました!
遅沢川の流れを挟むようにまず二本

嬬恋側の斜面上にはもう一本が確認できます!

すごい!こんな遺構が、戦後75年間、こんな場所に雌伏していたとは!

特に中央の橋脚は、草軽電鉄の柳川橋 

を彷彿とさせる姿形で、

よほど頑丈に作られてあるのだろう、崩れ一つ無い姿をキープしていて、

古代遺跡の塔のようだ!

かわもキレイでうれしいです!

向こう側からも眺めてみよう!

遅沢川の二段の堰堤が山側に控えています!

奥に見える緑の鉄橋は吾妻線、てことは車窓からもこの遺構が見えたのかな?

朝日の逆光に浮かび上がる橋脚
嬬恋側の一本はこちら側からのほうがよくわかる。

嬬恋側の斜面、遅沢川右岸を登ってみよう
左に見える嬬恋側の橋脚まで登ります!
嬬恋側の橋脚の上に来ました!

3本並んでるのがわかるかな?

嬬恋側の橋脚と中央の橋脚

この時期でも藪が深いので緑が芽吹いたら撮影は難しくなるだろう

さらに斜面の上を見ると
!?

造りかけなんだろうか?上端が明らかに低い基礎状のものと、
その上に藪に紛れるように橋台がありました!

これでひととおりかな、ドウガをどうぞ!
いやそれにしても驚きの

素晴らしい遺構でした!

それでは戻ろうか、

と言いつつ帰り際に長野原側の端をよく見たら、橋台がありました!
足元の橋台から橋脚群を一直線に!
少し視点をずらすと
遅沢川と吾妻川との関係がよくわかる。

では、名残り惜しいけど次の遺構に移ろう。

これまでのものが下のマップの遺構1で、嬬恋に向かい
未成線はR144と同じように吾妻川左岸を走行していたようだ。よく探せば段丘状の路盤跡と思しきものや小橋梁跡があるのだが、未成線ということで割愛し遺構2に移る。

次の遺構は、オツムギ沢出合付近に残る橋脚である。
5mほどの橋脚が2本、周囲の風景に溶け込むようにして立っていた!
なんとこれは、車を停めて簡単に見れる場所にある!
簡単な場所すぎて車の往来も多いのでグレには車に残っててもらった。
これには地元民も気づいているだろうが古い吾妻線のものだろうくらいにしか思ってないんだろうな。
戦跡でも滝でもそうだが、かんたんに見れるとテンションが上がらない。グレ待たしてるし次の遺構に移ろう。
遺構2のオツムギ沢橋脚から、次の遺構3までの間に未成線は吾妻川を渡っている。それは瀬戸の滝より数100m長野原側のあたりで、実際左岸にのみ橋台の痕跡が伺えるのだが、フォトジェニックでないので割愛した。

瀬戸の滝の対岸から少し嬬恋方向に向かったあたりで駐車しました。
旧嬬恋駅にほど近い芦生田の集落の外れに、未成線の軌道敷跡っぽい部分を見つけて藪に入ると、
くんくんククク!?
なんと!トンネルをみつけました!

卵型の断面の丁寧に面取りされたコンクリート造りのトンネルだ

両サイドは簡素な擁壁が囲んでいる

ではなかをみてみましょう!
こっからさきは、ドウガでどうぞ!
反対側のポータルまでの完全版です!


地面に落ちている白いのは最初バラストかと思ったら、
天井から剥がれ落ちた砂岩状の土砂の堆積物でした!
所により盛大に崩落してましたが、まあ75年以上このまんまなので今崩れ落ちることはないでしょう(笑)
でぐちまでこれましたね!
反対の出口はセメント工場のような私有地に開口していて、盛業中のようだったのでこのへんで引き返しました。
これで今回の探検は終了です!
晴らしいアドベンチャーでした!

いままでのタンケンがすべてセンでつながったタンケンでした!かんむりょうです!

最後に、昭和12年の草軽電気鉄道嬬恋駅の地図と今回のトンネル▼の位置関係を。
未成線は嬬恋駅で草軽に接続する予定だったそうですが、
おそらく索道からの蝋石の積み込みは当時吾妻川対岸の隣駅である上州三原駅(じゃうしうみはら)で行われていたと思われます。
貨車の待避設備や列車交換のできる駅構造、停車時間の関係から、自分なりにそう考察します。
古地図では東三原駅に北西の吾妻硫黄鉱山からの索道があるのが見て取れます。
東三原駅は後年客扱いを廃止したという記録があり、単なるスイッチバックのための信号施設と解釈していたが、上州三原〜東三原が一連のヤードとなっていて、東三原で索道から貨車への積み込みを行って列車への増結を上州三原で行っていた可能性があることに気づいた。
とすると上州三原が当初新嬬恋と名乗っていたことから、上信鉱業専用線の終着駅は嬬恋駅ではなく新嬬恋駅すなわち上州三原駅を指していた可能性もあったかもしれないと推測しています。
もしそのとおりだったとしたら、この未成線が竣工できていたら、上信鉱業の貨物列車は嬬恋駅から上州三原駅まで草軽に乗り入れ運転することになっただろうと思います。
そう考えると、ロマン溢れる未成線だったと思います。