台風が猛威を振るっています。
近隣の様子は分かるのですが各地でどんな被害が出ているか、時間的に情報が上がってきません。
どうか無体なことになっていませんように。
今何気なく首筋を触ってみたら石のようになっていました。私の神経組織は自然現象の前でこんなにも素直でけなげで弱っちいんだなあ、と改めて納得、およびあきれている次第です。
さて、
戦後もう何年かパッと出てきませんね。私にとって印象的なのは1995年。戦後50年の年でした。その時中学生。節目の年ということもあって大々的にテレビが組まれていたから、印象にも残ったのでしょう。
そしてそれから20年経つ。
家族が好きなので一緒に見ることが多いですが、日本の会社が作っている漫画やアニメには実におびただしく、かつ容易に
「死ね」
「消えろ」
という単語が出てきますね。面白いのかな。
そんなわけがない。
面白いのは死んだり殺したり殺そうとすることではなくて、
それを乗り越えようとする努力、そして無力、なお諦めない人の力。
(それを見て面白がっているほうがまだ悪趣味な気もしますが)
私は、自分の文章の中で常に人が生きて死ぬことを追い続けます。そういう意味でルポのようにも感じます。
そして人ひとりが生きて老いて弱って死んでいくことなんて、何万年経っても実にでたらめなことなんですよ、きっと。
マンモス食べていたころから人は身内の不幸に苦しんできた。大切な人が死んだら悲しい。でも乗り越えて乗り越えて、乗り越えるために、
お墓を作ったり歌を歌ったり壁に画を描いたりしてきたのです。
あなたが死んだら私は悲しい
これは生きたいという欲求の潤滑油になっているのかもしれません。
あなたが死んだら私は悲しい。だから、私は自分を研ぎ澄まして人の生き死にの気配をかぎ分けようと試みる。
言語は命、文字は魂、物語には力がなくては。
8月15日。
大勢の人がなくなった日に、大勢の人の死をハラ抱えて笑うコンテンツを見ながら、やはり私は大勢の人の死を避ける可能性についてのみ、
祈ります。
拝。