だだまじいさん、というのがオジイの呼び名だ。それ以外のものはない。それ以外のものは必要ないからだ。
シンプルでいいと思っている。駄玉を取って暮らしているからだだまじいさん。オジイを表現するのにこれ以上の情報はいらないのだ。どこで生まれたとか、誰を愛していていたのだとか。そしてその人がこの湖水の下に眠っているのだとか。オジイが自分で沈めたのだとか。
と言っても、事実をオジイは聞かれれば人に何でも話す。聴きたがる人がいないだけ。私は一宿一飯の恩義でオジイの話しを聴いている。こんなふうに、船の上で。オジイは真剣に水の底をを漁って、貝殻が出てくるとこじ開けてはろくでもない真珠を拾っている。駄玉というのは昔からここらの水源で真珠を取っている人たちの言い方で、形の崩れたきたない真珠のことを言うのだ(きたない真珠という日本語の詮議は、なしだ)
このあたりの水源では養殖を行わない。いくらでも貝殻が湧いてきて、珠を吐いてくれるから人はそれを拾うだけでいい。
それだけで生活していけなくなって以降は、近くに工場や集積場ができるようになったので、珠拾いをしたくない人たちはそこで働けばいい。海を超えて仕事するよりは手軽に、暮らしを立てられる。
ちなみに駄玉の真珠は、売り物にならないからもう一度捨てられる。オジイはそれを拾い、欲しがる人を探して売りつける。水源の人々は、それでも、オジイを軽蔑して生きている。こんな人達にも、自分たち以下の生活が必要、だから。
形の崩れた真珠を拾って、生きていけるものだろうか。と私はオジイに訊いた。
「ウンニャ。」
と彼は答えた。おれは沈めやだ。と言った。
「沈めやってなんだい」
「ここの下いっぱいに」
と言って、湖水の下向きに指差す。おれが沈めた死体が埋まってるんさ。
「埋まる? 人は水中で腐ったら浮かんでくるものだ」
「浮かばねえ。浮かばねえようにおれがしごとしてんだ」
曰く、浮かんでくるのは内蔵が腐ってガスがたまるからなので、予めお腹に切り込みを入れて、脂肪をいくらか切り取って、石を糊付けして詰め込んだりすると、浮き上がろうにも浮いてこないのだそうだ。
もちろんこれだけではなくて、他にもいろいろ仕事しなくてはいけないのだが。このあたりの水源では、200年くらいずっと水葬を行っている。いまさら誰かの死体が増えてもわからない。DNAという言葉はこの国にはない。
私はオジイが沈めた愛しい人の話しをもっと聴いてみたいと思っている。特に、誰が殺したのかを。