小説「封璽の都」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

如何候也、

と結んでしまったら後は封璽を印するだけなので、私は本当にさみしいのである。やるせないといってもいい、気落ちしていると言っても差し支えない、人殺しに遜色ないのだから。

 

我が家の書庫には、そうした封璽を押された文書が、押さらえれたなり顧みられることもなく埃をかぶって、だたそれだけ。

私は、今書いたこの文章も、封璽を印してしまったらそうしたほこりまみれの書物の、たった一冊になってしまうと思って、それが哀しくて仕方がない。でも仕方がない。封璽与り方を守っている我が家の大事な仕事だから、

やれと言われたことを、私はするだけである。私はさっき書いた文言の墨が乾くのを待ちながら、父の部屋に封璽を取りに行った。

 

父はもう記録書きをすることは無い。これは体力が居る仕事だ。ほとんど力付くだと言っていい。

50を過ぎた父に、もうそれをすることは出来ない。きつい仕事だ。去年あたりから中央から舞い込んでくる記録書の仕事はみんな私が預かるようになった。

でも要である封璽は、未だに父の部屋に保存されている。封璽は家宝だ。そして稼業の要だ。大切なものなのだ。

だから、父の課長としての威厳を、とりあえず守っておくためにも、封璽の保管は父の居室で、と決まっている。私は文机の上のかき上げた文書をもう一度眺めて、

「済まんね。」

いつも考えることを今日も思う。そして父の部屋に封璽を取りに行った。

 

「お父様。」

父はめっきり病人だ。

記録書きを投げ出すことを家族に宣言した時から、用もなく、と言ういい方も変だ、いつと言うこともなく布団に入って、何をするでもなく寝起きしているようになった。

起きている時には冊子を捲っていることもある。寝ている時は、目を閉じているだけで意識は覚めている。

「なんだ。」

襖の向こうから聞こえてきた声は横になっている時よりさらに冴えていた。

「封璽を頂戴にあがりました。」

私は答えた。

「そうか。入りなさい。」

私が襖を開けて父の敷居のこちら側に手を付いて頭を下げたら、上げたら、父は羽織を肩に書けたままいざって自分の書棚ににじり、封璽の入った箱を出してきた。

 

「よく書けたか。」

と霧箱を渡しながら問う。いつも問う。同じことを問う。

「筆が進むだけ辛くてありますな。」

と私は答える事にしている。

「大概にしておけ。情けるだけ無様だぞ。」

父は病人のふりをして大きく咳き込んで見せるのだった。

 

私はこの国で、民の目にあけ広げる事の出来ない事結を文書で記録することを仕事としてになっている。

税収をごまかすためにありもしない横領をした公家衆の名前を連ねたり、病で死んだことになっている皇子が畜生腹で醜聞やんところなしとして始末された話など、そういうことは言分け使が舌にくるんで伝えに来る、

それをまた訊いて、文書に残すのである。

そして書き終わると封璽を刺す。

 

封璽とは我が家の家宝で、封璽を押された物語は予めなかったこととして、消え失せてしまうのだ。

人の記憶から、耳で見たことから目で聴いたことから、骨に刻まれた名前も石に歯を立てた後も、この世に残ったあらゆる怨嗟の名残をすべて飲みこんで、

無かったことと

として飲みこんで食い尽くして消してしまうのである。横領で改易された公家衆の名前も誰も覚えていない。扼殺された赤子二人の事も、母親さえ思い出さない、封璽とはそういうものなのだ。

 

そして我が家の書庫には、そうしてはじめから無かったことにされたこの国の物語が、その為に誰に顧みられることもなく、ほこりまみれで唾棄されている。

 

私は、今書いた記録に封璽を刺そうとして再び文言を読み返した。

これは一つの事実としての命ある生き物を、永久に殺す行いである。だから足掻く。私が書こうとする出来事は、私に書かれまいとして足掻きに足掻くのである。

だから封璽与り方は寿命を縮める。一度体に居れた物語が、外に出ようと暴れまわるのを足で踏んで首を抑えてどうにかこうにか格闘して、一本の記録に封じるのである。これは疲れる。

でも向うとしても命が掛かっているのだ。それは暴れるだろう、仕方のない事だろう。

 

私は妊娠の事実を葬るために内通を着せられた後宮の女性の怨嗟の、きいきいきゃあきゃあ言うのを聴きながら、もう一度この記録を読み返す。

私が刺したらこの女君も無かったことになる。誰の記憶の端にも上らなくなる。でもそれが私の仕事だ。私はやれと言われたことをするだけだ。

 

私は記録書きの中に力を込めて封璽を印す。

我が家の書庫は、これこそが真性の歴史を伝えた、無明の都みたいなもんである。