小説「どうぶつのおかあさん」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

子供が熱を出した、私はこいつの事がきらいだ、一つもゆうことを聞かない、聡明さの欠片もない、かといって体力的に優れているわけでもない、安直で、将来性の暗い、何処にでもいる、十円の駄菓子みたいな子供、好きになる理由がない、そいつが熱を出した、私はリンゴの擦ったものと、散薬を水に溶いてそいつに含ませた、含ませながら、

ああ私の基本は動物なんだ、と知る。と言うかこう言う時でないと、私は自分が動物であることを思い出せない、私は子供が嫌いだ、だがこの小さな病んだものを死なせるわけな行かない、だから私はきっと、動物のお母さんなんだろう。

精神も知識も感情も嗜好も、みんな後から落としたアプリみたいなもので、ハードとしての肉体は何処までも生物なのだ、自分が永遠に存在すること、その事だけに、その為だけに、遺伝子を複写し続ける。そういう本質を型した存在、生物。
私は生物だ、だから利己的だ、だから自分のことしか大事じゃない、しかし今子供が熱を出している。

生物である私はこのときだけ動物になるらしい。

本能も理性も後付けの情報で、そこに私の意思は差し入って居ないかもしれない。

だが、私は今日だけ動物だ。動物は自分の熱量を複写した遺伝子に注ぎ込む特性を持っている、と言うのは私の勝手な見解、だが少なくとも動物は子供を育てる、そこで消費される、熱量。

私は子供が嫌いだ、全く見込みのないこの小さいものが嫌いだ、だが今それが病んでいる、私は熱が下がるまで添い寝するだろう。

後付けのアプリなのだ。

私も動物に育てられたから、ハードにインストールされたのだろう。